世界広布新時代第27回本部幹部会から 池田先生のメッセージ 2017年9月3日

世界広布新時代第27回本部幹部会から 池田先生のメッセージ 2017年9月3日

「大法弘通」の時は来た
池田先生、私たちが世界平和の柱となります!――SGI青年研修会で来日した55カ国・地域の友らが決意も固く(氏名を2面に掲載)。ナイジェリアの女子部メンバーは「核兵器のない世界を私たち青年の手で築いていきます。目の前の一人に生命尊厳の思想を語り、アフリカ、そして世界へと広げていきます」と語った(神奈川池田記念講堂で)

 一、世界へ、未来へ、広々と開かれた「正義」と「平和」の港・神奈川での本部幹部会、おめでとう!
 「SGIの青年研修会」、さらに「全国学生部大会」も誠におめでとう!
 広宣流布の行動は、最も地道でありながら、最も壮大な夢を広げゆく、究極のロマンであります。
 ここ鶴見をはじめ、横浜、さらに神奈川は、わが草創の同志との忘れ得ぬ師弟共戦の天地です。
 66年前の9月より、私は戸田先生から鶴見支部市場地区の御書講義の担当に任じられ、この地に通いました。愛すべき同志は、経済苦や病などとの闘いを抱えていた。私は一軒一軒、家庭訪問に回り、「苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経」(御書1143ページ)等の御文を一緒に拝しつつ、折伏に走りました。
 その折々に励まし合ったことは、「今は散々、悪口を言われているけれども、いずれ世界中から地涌の菩薩が続々と集い、世間があっと驚く時が必ず来る」ということです。まさしく今、その通りになっているではありませんか!(大拍手)
 私は、生死を超えて結ばれた共戦の宝友たちを偲びながら、ここに颯爽と集ってくれた世界55カ国・地域の青年リーダーを、全国の同志と共に熱烈に大歓迎したい。若い皆さん方が、万難を排して、よくぞ広布のために来日してくれました。ありがとう! 本当にありがとう!(大拍手)
 一、60年前の9月、戸田先生が、神奈川を選んで「原水爆禁止宣言」を発表する準備を進められている折、先生と二人で拝した御聖訓があります。
 それは、「大悪は大善の来るべき瑞相なり、一閻浮提うちみだすならば閻浮提内広令流布はよも疑い候はじ」(同1467ページ)との仰せであります。
 すなわち末法の濁り切った悪世には、人々の心の貪欲(貪り)と瞋恚(瞋り)と愚癡(愚かさ)が増大する一方で、善なる生命力は衰弱してしまう。
 しかし、その救い難い時代の危機さえも本源的に打開できる哲理が、妙法である。ゆえに、妙法を受持し、流布しゆく我らには、臆するものなどない。 
 戸田先生は、「この御書は、御本仏が、我ら創価学会を一閻浮提広宣流布のために、地球上に呼び出してくださった御金言だよ」と言われました。
 「一閻浮提」、すなわち全世界が打ち乱れ、核兵器という最大の魔性の産物まで生み出された「大悪」の時だからこそ、我らは、民衆の大地から一人また一人と、地涌の菩薩を涌出させるのだ。どんな不幸の無明も照らし晴らす「元品の法性」という生命の太陽を赫々と昇らせていくのだ。そして「一閻浮提広宣流布」即「世界平和」という「大善」の道を、断固として切り開こうではないか。ここに、創価の師弟が貫き通してきた大誓願があります。
 私は、この御聖訓を、新出発のわが男女学生部、また、日本さらに世界のわが青年部に託します。
 どうか、広布と青春の途上に何が競い起ころうとも、「大悪は大善の来るべき瑞相なり」と大確信に燃え、いやまして勇敢に立ち向かってください。

体験に勝るものなし

 一、大悪を乗り切るだけではない。さらには、大善にまで転ずることができる。いな、断じて転じてみせる。これが、他の思想哲学の次元を遥かに凌駕した、日蓮仏法の正義のダイナミズムであります。
 創立の父・牧口先生も、「たとえば病気が治るだけではない。以前よりももっと健康になるのが、変毒為薬の妙法である」と弟子を激励されました。
 「現証」「実証」「体験」に勝るものはありません。
 うれしいことに今、日本中、世界中で青年たちが仏法を実践し、目覚ましい成長を遂げ、人間革命してくれている晴れ姿こそ、何よりの希望の光です。
 「一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする」
 この創価の師弟が掲げた主題に連なって、わが後継の友は一人ももれなく、自らの誓いの舞台で「歓喜の中の大歓喜」(同788ページ)の題目を唱え、いよいよ人間革命の実証を勝ち飾っていただきたい。
 そして、不思議なる「大法弘通」の時を迎えた今、一人でも多くの新たな地涌の友を誕生させながら、「慈折広宣流布」という幸福と平和の大潮流を起こしていっていただきたい。
 そう私は、強く祈り、念じつつ、小説『新・人間革命』の総仕上げとなる第30巻を、日々、書き進めています。
 一、さあ、共々に「地よりか涌きたる我なれば この世で果たさん使命あり」と胸を張り、人間革命の栄光の暁鐘を打ち鳴らしていこうではないか! 
 愛する皆さんのご家族に、また各国・各地に、安穏あれ! 繁栄あれ!と申し上げ、私のメッセージといたします。
 題目を送ります。皆、お元気で!(大拍手)

〈座談会 栄光の峰をめざして〉55 “清新”な決意で下半期を出発 さあ、勇気と希望の暁鐘を! 2017年8月31日

〈座談会 栄光の峰をめざして〉55 “清新”な決意で下半期を出発 さあ、勇気と希望の暁鐘を! 2017年8月31日

今が仏縁を広げる新たな時
〈出席者〉
原田会長
長谷川理事長
永石婦人部長
志賀男子部長
伊藤女子部長
世界広布の王者・ブラジルは、誓願の青年を先頭に、模範の弘教拡大を!――全土250会場にインターネットで同時中継された同国SGIの集い(23日、サンパウロ市のブラジル池田文化会館で)

 原田 このたび、ペルー、ブラジル、メキシコの中南米3カ国を笠貫SGI女性部長らと訪問してまいりました。無事故・大成功で終えることができ、心から感謝しております。

 伊藤 南米最古の名門・ペルー国立サンマルコス大学による、池田先生の人間主義の理念に基づく、平和と教育の卓越した業績をたたえての、「名誉博士号」授与式をはじめ、各国での諸行事の模様が連日、聖教新聞で報道され、楽しみにして読んでいました。

 原田 どの国も、池田先生の入信70周年を盛大に祝賀しようと、目覚ましい発展ぶりでした。「青年拡大の年」らしく、各国で青年が躍動しており、改めて世界広布新時代の様相を目の当たりにしました。

 長谷川 日本でも下半期の活動が始まっています。本年前半の大勝利の勢いのままに、まずは「11・18」へ、皆が“清新”な決意で出発していきたいですね。

 原田 先生は、小説『新・人間革命』「雄飛」の章に続き、「暁鐘」の章を書き進めてくださっています。一人一人が、自らの新たな「人間革命」の勝利劇へ、勇気と希望の「暁鐘」を打ち鳴らしていきましょう。

 志賀 青年部も、「創価の世紀」の朝を告げゆく、栄光と勝利の「暁鐘」を、師と共に、高らかに轟かせていく決意です。

弘教と人材を拡大

 長谷川 この夏も伝統の全国最高協議会を開催し、眼前の広布の戦いである「弘教拡大」「人材拡大」に総力を挙げ、広宣流布大誓堂完成5周年となる明年の「11・18」を完勝で飾ることを確認し合いました。

 永石 具体的な下半期の活動としては、①「友人参加の座談会」と「モバイルSTB視聴運動」の推進②「聖教新聞の拡大」「任用試験(仏法入門)」を通じた仏縁の拡大③「教学部初級試験・青年部教学試験3級」「任用試験」で人材の育成、ですね。

 志賀 座談会については、各部一体で友人参加を進められるよう、日程を工夫し、「信仰体験」や「モバイルSTB」などを通し、内容を充実させていくことが大切になりますね。

 永石 聖教拡大では、間もなく、お手元に届く「聖教新聞PR版(2017年秋季号)」などを活用し、「新しい友人読者」の開拓と、「新しい聖教拡大活動者」の育成に、取り組んでいきたいですね。

 長谷川 併せて、任用試験での地区2人以上の合格者の輩出を目指し、会友受験に総力を挙げ、仏法理解を深めていきましょう。

 永石 また、初級・3級試験を通し、拡大に挑戦する人材を育成していきたいですね。なお、任用試験は、未来部育成に力を入れる意味から、今回より中等部員の受験が可能となります。

師弟こそ前進の力

 原田 こうした下半期の戦い、さらには学会の「永遠性」を確立する闘争に勝利する要諦として、先生はこの夏、三つの御書を通して、指導されています。

 伊藤 はい。一つ目は、「千年のかるかや(苅茅)も一時にはひ(灰)となる百年の功も一言にやぶれ候は法のことわりなり」(御書1091ページ)です。

 原田 “千年たった茅も、小さな火から、瞬時に灰になるように、百年の功があっても、たった一言で、全てが灰じんに帰す”との池上兄弟への戒めを通し、先生は、「建設は死闘、破壊は一瞬」――これが、社会と人生の厳しい実相であり、勝ち進みゆく広布のリーダーには、それだけ魔も強いと強調されました。ゆえに、“百千万億倍の用心”で魔を寄せ付けず、偉大な使命を全うしてもらいたい、と言われています。

 長谷川 「勝って、また勝つのが仏法です。勝った時に、次に負ける原因をつくってはならない。勝った時にこそ、次もまた勝つ原因をつくるのです」とは、池田先生の常勝の哲学です。強盛な祈りで、一切の油断を排し、下半期に臨んでまいりましょう。

 伊藤 二つ目は、「難を忍び慈悲のすぐれたる事は・をそれをも・いだきぬべし」(同202ページ)との開目抄の一節です。

 原田 先生は、「この御本仏の忍難弘通と大慈大悲に直結しているのは、我ら創価の師弟しかいない」と綴られました。牧口先生、戸田先生、池田先生の三代の師弟の闘争を自身の命に刻めば、そこから前進の力――つまり、忍耐、智慧、団結、勇気が生まれることは間違いありません。

 志賀 リーダーが創価の三代と同じ心で、宝の同志のために祈り、大誠実を尽くせば、智慧はいくらでも湧くと、先生が述べられている通りですね。

 原田 創価の師弟に連なることができる誇りを、わが生命に満々とみなぎらせながら、下半期も、友好拡大に、友の激励に、全力で取り組んでいきましょう。

 伊藤 三つ目は、「悦しきかなや・楽かなや不肖の身として今度心田に仏種をうえたる」(同286ページ)との撰時抄の御文です。

 志賀 先生は、今が仏縁拡大の新たなチャンスであるとされ、「いよいよ強く朗らかな折伏精神で、妙法を渇仰する民衆の心田に仏種を植え、地涌の人材を林立させようではないか!」と呼び掛けられています。

 永石 混沌とする世界、分断と対立が際立つ現代だからこそ、私たちは、「大正法必ずひろまるべし」(同1300ページ)との大確信で、いよいよ喜び勇んで、友の心に幸福の種をまいていきたいと思います。

 原田 本年12月には、戸田先生の願業「75万世帯」の達成から、60周年の佳節を迎えます。不惜身命で、不可能を可能にされた師弟の闘争に一切を学びながら、私どもも、使命の場所で一人立ち、圧倒的な拡大を成し遂げていきましょう。

バレンサ大学からの名誉博士号授与式での池田先生の謝辞(代読) 2017年8月27日

バレンサ大学からの名誉博士号授与式での池田先生の謝辞(代読) 2017年8月27日

人生の総仕上げの事業は教育
ソクラテスプラトンの如き対話の金波を広げよ
我らの運命を変える力は我らの哲学にあり ブラジルの大文豪
共に人類の未来を――南米最高の知性の殿堂であるブラジル文学アカデミーのアタイデ総裁(当時)と語り合う。池田先生はこの日、同アカデミーの在外会員に就任した(1993年2月12日、リオデジャネイロで)

 一、今、私の心は、太平洋の大海原を越え、そびえ立つアンデスの大山脈も越え、「リオデジャネイロ州の誇り」と讃えられる英知の府・バレンサ大学の栄えある授与式に臨ませていただいております。
 そして、敬愛してやまぬペレイラ学長から、最大の感謝を込めて「名誉博士号」を拝受しております。
 誠に誠に、ありがとうございました。(大拍手)
 嬉しいことに、この会場には、わがブラジルSGIの同志も駆け付けてくれております。
 私の誇りの宝友たちと、この栄光を分かち合えることは、何ものにも代え難い喜びなのであります。
 奇しくも、きょう8月24日は、1947年、19歳だった私が、恩師・戸田城聖先生と共に、平和建設の大航路に出立した原点の日であります。師は第2次世界大戦中、軍部政府の弾圧による2年間の投獄にも、断じて屈しませんでした。
 出獄後、「地球民族主義」の理念を青年に示し、最晩年の57年9月8日には、原水爆を「絶対悪」として厳しく断じ、その全面禁止を求める先見の「原水爆禁止宣言」を遺訓として発表しております。
 折しも、この7月、国連では核兵器禁止条約が採択され、被爆者の方々をはじめ幾多の先人の命を賭した叫びが、いよいよ世界の思潮となりゆく、一つの結実を見ました。なかでも、貴国・ブラジルは、長年、ラテンアメリカカリブ海の国々と共に、核兵器を禁止する条約の制定を先導されております。
 なかんずく、人権の確立を求め、国連改革を訴えてこられた国際法の権威・ペレイラ学長がリーダーシップを執られる先駆的な大学こそ、貴大学であられます。その最高峰の英知の宝冠を、師弟の出会いより満70年のこの日に賜り、恩師に捧げることができました。これほどの誉れはありません。
 重ねて、重ねて御礼申し上げます。(大拍手)
 一、本日は、わが愛するブラジルの青年たちと一緒に、貴大学が刻んでこられた偉大な歴史を仰ぎつつ、21世紀を担いゆく若き世界市民の指標を3点にわたって確認し合いたい。

人間的価値創造が可能性を開く

 第1は、「対話の金波を広げる哲人たれ」という点です。
 貴大学は、半世紀前の67年に開学した「バレンサ哲学科学文学大学」が前身であると伺いました。貴大学の創立の志が、その名に表れています。
 “我らの運命を変える力は、我らの哲学にあり”とは、大文豪アシスの信念でありました。
 確固たる哲学の柱を抱いた青年の「人間的価値の創造」こそ、無限の可能性を開き、世界をも変えていくのであります。そしてそれは、かの大哲学者ソクラテスと弟子プラトンの如く、全人格を傾けた対話を通して共に真理を探求しゆく中で、成し遂げられていくのではないでしょうか。
 貴大学は、まさにそうした対話にあふれた人間教育の宝城であります。
 大学首脳と学生の代表が「バレンサ大学とコーヒータイム」と呼ばれる交歓会を開いて、大学や学部・学科の在り方や課題、そして今後の発展について闊達に語り合うことも、素晴らしき校風であります。
 ブラジルの創価の青年たちも、いやまして朗らかに対話の金波を起こしながら、生命尊厳の哲学のスクラムを広げていってほしいのであります。

危機に直面した時が建設の好機

 第2に、「危機にたじろがぬ社会建設の先導者たれ」と申し上げたい。
 教育が正しい人を創り、その人が正しい社会を創っていく――この電源地こそ、大学です。
 特にグローバル化の進む現代にあっては、世界の出来事が直接、困難となって個人に降りかかることも、多々あります。
 だからこそ、ペレイラ学長の洞察が、実に含蓄深く、胸に迫ってきます。
 すなわち、「危機に面した時に大切なことは、『新たなものを建設する時である』と決断することであり、それが人類の新たな歴史の局面を形成しゆく新たなパラダイムといえる」と。
 そして貴大学は、危機にたじろがず、むしろ新たな建設の好機として、「文化的な創造力」「学術面の向上心」を発揮し、社会の発展に貢献する人材を育成されているのであります。
 先哲の金言には、試練の時に「賢者はよろこび愚者は退く」とあります。ブラジルの若き賢者の喜びあふれる連帯が、新たな地球社会を建設しゆくことを、私は確信してやみません。
 第3に、「力を合わせて地域発展の道を開け」と訴えたい。
 わが憧れのバレンサ市の歌には、「バレンサの天空の光/それは、卓越した灯台なり。/ああ、わが故郷よ!/あなたの子どもであることこそ/無窮の栄誉なり」と歌われております。
 貴大学は、この麗しき故郷バレンサの地域社会の要請に応えつつ、伝統の教育学部から始まり、堅実に学部を増やし、総合大学に発展してこられました。
 とりわけブラジル有数の医学部、リオ州トップクラスの歯学部・獣医学部看護学部を備え、健康増進プログラムや低所得者のケアに力を注ぐ、地域に不可欠な医療センターとなって大いに信頼されていることも、よく存じ上げています。(大拍手)
 地域が抱える諸課題に応じ、その解決に尽くしゆく貴大学の挑戦と、民衆に貢献されゆく貴校の卒業生の活躍こそ、新たな時代を照らし晴らす卓越した英知の灯台なりと、皆で大拍手を送ろうではありませんか!(大拍手)

地域貢献のモデルをブラジルから!

 一、ブラジル文学アカデミーのアタイデ元総裁は、私との対談で、「人間が他の人と仲良く社会、地域の繁栄を考え、目指し、ともに暮らしていくために教育がある」と語られておりました。わがブラジルSGIもまた、地域貢献・社会貢献のモデルを全世界に、仲良く聡明に、一段と示し切っていただきたいのであります。
 思えば、貴大学の源流を成す尊き教育の先人ドン・アンドレ・アルコベルデ先生が、1925年にバレンサの地に赴任して最初に行ったこと――それは、地域の未来を育む小学校と高校を創ることであります。
 私もまた、若き日から人生の総仕上げの事業は教育と心に定めてまいりました。恩師の夢を実現する創価教育の学園を創立してからは、50年となります。
 ご存知のように、ここブラジルの天地にも創価学園が誕生し、頼もしき英才たちが陸続と学び育っております。
 今日よりは、栄光ある貴大学の陣列に連なり、さらに愛するブラジル社会の発展と世界の平和のために尽力していくことをお誓い申し上げます。
 その決意を、リオ出身で、ブラジル初の児童図書館を創立された詩心の女性リーダー、セシリア・メイレレスの信条に託させていただきます。
 すなわち――「人類の平和も、一人一人の幸福も、思いがけずに享受するものではない。それは、明晰に時間をかけて育んで果たすべき課題である。一人一人の確固たる平和とともに世界の平和をつかみとるのだ」
 次の50年へ、敬愛するバレンサ大学に栄光あれ! 勝利あれ!
 大好きなブラジルに幸福あれ! 平和あれ!
 ムイト・ムイト・オブリガード!(ポルトガル語で「大変に、大変に、ありがとうございました!」)(大拍手)

〈随筆 永遠なれ創価の大城〉23 民衆勝利の七十年 2017年8月25日

〈随筆 永遠なれ創価の大城〉23 民衆勝利の七十年 2017年8月25日

師弟誓願は時空超え未来へ厳然
「対話」から人間革命も一切の変革も始まる
1947年(昭和22年)8月14日、大田区内の座談会。「われ 地より湧き出(い)でんとするか」――凜々しき青年は即興詩に詠んだ。油彩画「池田先生と恩師との出会い」(内田健一郎作)

 その一枚の絵は、七十年前の出会いを鮮烈に蘇らせてくれた。
 一九四七年(昭和二十二年)の八月十四日、私が師匠・戸田城聖先生に初めてお会いした座談会の光景を、小説『新・人間革命』の挿絵でお世話になっている内田健一郎画伯が描いてくれた油彩画である。
 総本部の恩師記念会館で、師恩への感謝の勤行を行った折、妻と感慨深く鑑賞させていただいた。(今月二十二日)
 あの日あの時、戸田先生の声は、慈父の如く温かくも懐かしかった。
 「池田君は、幾つになったね?」
 「なんでも聞いてあげるよ」
 それは、久遠から約束されていた、必然の邂逅であったに違いない。
 「正しい人生」の道を求めてやまない十九歳の私を、先生は「どうだ一緒にやるか」と導いてくださった。
 “この人ならば信じられる!”と、師にお仕えし、共に進みゆくことを、一人、心に深く決めた。出会いから十日後の八月二十四日、私は入信したのである。

「師子吼」を共に

 御本仏・日蓮大聖人は法華経に説かれる「師子吼」の意義について、「師とは師匠授くる所の妙法 子とは弟子受くる所の妙法・吼とは師弟共に唱うる所の音声なり」(御書七四八ページ)と仰せになられた。私が常に立ち返ってきた「御義口伝」の一節である。
 わが師匠には、全民衆を救い切っていくのだとの「地涌の菩薩」の大生命が漲っている。
 ゆえに弟子である自分も、この師と心を一つに祈り、戦い抜くならば、同じ勇気と智慧が湧いてこないわけがない。
 私はそう定めて、広布の最前線を走り、拡大の突破口を開いていった。誰もが不可能と尻込みする激戦にも、“これは広宣流布の大師匠の構想だ。ゆえに、勝てないわけがない。いな、断じて勝たねばならない”と、一念に億劫の辛労を尽くしつつ、勝利の旗を一つ一つ打ち立ててきたのだ。
 そして、わが同志は、難を恐れず、労苦も惜しまず、地涌の底力を現して、私と共に勇敢に戦い勝ってくださった。ただただ感謝を捧げたい。

生涯かけた信念

 思えば、歴史を変えた先人たちも、青春の誓いを生涯の主題とし、試練を越える力としていた。
 ――古代ギリシャの大哲学者プラトンは、若き日にソクラテスの門下となった。師が処刑されたのは、彼が二十八歳の頃だ。以来、真正の弟子として、一生を懸けて師の正義を宣揚していった。
 ――マハトマ・ガンジーは二十代前半に渡った南アフリカで人権闘争に立ち上がり、インド帰国後は、民衆の自立と祖国独立のため命を捧げ、非暴力の大闘争を貫いた。
 私が戸田先生にお会いした一九四七年の八月十四日は、奇しくもインド独立の前夜であった。
 ガンジーの直弟子だったパンディ博士とも、私は親交を重ねた。博士は十四歳でガンジーの弟子となった。九十歳を超えても、“私は師の教えを叫び続けます”と闘魂を燃やされていた。
 私が共に対談集を発刊したラダクリシュナン博士は年代的に、師匠と仰ぐガンジーと直接、会う機会はなかったが、師弟の道を突き進まれている。師弟とは、時空を超えた絆なのである。
 ――中国の周恩来総理と鄧穎超先生のご夫妻も忘れることはできない。「五・四運動」の渦中、若くして革命に身を投じたお二人であった。生涯「生命不息、戦闘不止(命ある限り、闘いを止めない)」との信念に徹し抜かれた。
 ――南アフリカマンデラ大統領は二十代で人種差別の撤廃運動に飛び込んだ。二十七年半の投獄にも屈せず、巌窟王の如く「闘いはわが人生」と屹立されていた。
 「誓い」を果たし抜く人生は、何と爽快であろうか。なかんずく、師弟共戦に生き抜いて、弟子として師匠に勝利と報恩の誠を捧げられることは、何と誇り高き栄光であろうか。
 八月二十四日は「壮年部の日」。「誓い」に生きる、広布の盟友たちに栄光あれ、健康長寿であれと、私は祈っている。

弟子が躍り出よ

 御書には「師匠は大地の如し」(九〇〇ページ)と譬えられている。
 豊饒な大地から多種多様な草木が、自在に枝葉を伸ばし、万花を咲かせていく。同じように、師弟が広布の「誓い」を共有する大地からは、文化・教育・平和の価値創造を担う多彩な人華が咲き、人間主義の花園が絢爛と広がっていくのだ。
 広布の使命と責任を分け合う縁ゆえに、戸田先生と私は、あらゆることを語り合い、たゆまず手を打ってきた。
 「聖教新聞」発刊の淵源も、戸田先生の事業が窮地に陥った一番苦しい時に、師弟の対話で着想されたものであった。奇しくも私の入信三周年(一九五〇年)の八月二十四日のことである。
 「創価大学」の創立の構想は、同じ年の晩秋、神田の日本大学の食堂で、戸田先生と食事をとっている折に伺った。
 六十年前(一九五七年)の九月八日、恩師が発表した「原水爆禁止宣言」の精神を、私たちは叫び抜き、展開してきた。核兵器なき世界を願う声の高まりは本年、遂に国連での「核兵器禁止条約」の採択に結実した。
 恩師が遠大な広宣流布の未来像を語ってくださったことも蘇る。
 ――創価学会は将来、必ずや世界の平和と文化を担う、中核的な存在としての使命を持つに至るだろう。そのための人材を育てる教育的母体となっていくに違いない。この「人間革命」の運動が人類の宿命をも変えていくのだ、と。
 「立正安国」即「世界平和」を築きゆく創価学会の大使命を、明快に示してくださったのだ。
 先生は、「レールは敷いておくからな。後は、君たちが思う存分に戦って広げよ」と語られた。
 私は不二の分身として、日本中、世界中を回って種を蒔いてきた。あの地にも、この国にも、地涌の菩薩よ、涌出せよと、大地に題目を染み込ませる思いで、一心不乱に祈り動いてきた。

一人を宝として

 地涌の拡大は、出会った一人また一人を輝く希望の宝として、心から励まし、結んだ縁を、一つ、また一つと大切に育む積み重ねに他ならない。
 焦点は、常に目の前の「一人」である。
 この夏も、多くの同志が、私の心を心として、宝の未来部の一人ひとりを激励してくれている。その尊き「未来までの物語」に感謝は尽きない。
 ともあれ、我らの行進は、常に伸びゆく若人と一緒にある。
 先日、私は創価文化センターを訪れ、創価学園創立五十周年の記念展示をじっくり見学した。(今月十三日)
 わが七十年の平和と文化と教育の使命旅の実に五十年が、学園生と共にあったことを振り返りつつ、これからも未来永遠に若き後継の友が続いてくれることを、うれしく展望する一時となった。

天の時に暁鐘を

 大文豪・魯迅の言葉に、「もともと地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ」とあった。
 私が歩み始めた「師弟の道」も、最初は、誰も気づかない小さな一本の道だった。しかし今や、日本中、さらに全地球にまで伸び広がって、創価の民衆が誇り高く闊歩しゆく大道となったのだ。
 御書には、「涌出とは広宣流布の時一閻浮提の一切衆生法華経の行者となるべきを涌出とは云うなり」(八三四ページ)と示されている。
 この夏も、インドから、またブラジルから、地涌の青年たちが誓願に燃えて来日してくれた。
 今月末には、五十五カ国・地域から二百八十人の若人が集い、SGI青年研修会が開催される。
 各地での青年大会も、今月、大成功を収めた岩手、石川、富山に続き、来月も宮城、山形、青森で意気軒昂に行われる。
 創価の師弟の道に行き詰まりは絶対にないことを勇んで証明しゆく、若き愛弟子たちの躍進は、頼もしい限りだ。
 さあ、人間革命の拡大へ、対話をいやまして広げていこうではないか!
 「いよいよ」「これから」の本因妙の生命で!
  
 よからんは
  不思議と 覚悟の
    七十年
  師弟は勝ちたり 
    閻浮に広布を
   
 朗らかに
  民衆の心田へ
   仏種 植え
  平和の花園
   地球に広げて
   
 天の時
  創価の世紀の
   暁鐘を
  地涌の勇気で
   いざ打ち鳴らせ
    
 (随時、掲載いたします)

 魯迅の言葉は『魯迅文集1』所収「故郷」竹内好訳(筑摩書房)。

〈負けじ魂ここにあり わが生命の学園生〉3 関西校 1973~75年度 2017年8月22日

〈負けじ魂ここにあり わが生命の学園生〉3 関西校 1973~75年度 2017年8月22日

他人の不幸のうえに自分の
幸福を築くことはしない。
この信条を培ってほしい。
ようこそ創価学園へ!――全国各地から集った1期生との記念撮影に臨む池田先生(1973年4月11日、大阪・交野市の創価女子学園〈当時〉で)

 古来、桜の名所として知られ、『新古今和歌集』や『枕草子』などにも登場する大阪の交野市。
 創立者・池田先生は、この詩情豊かな「ロマンの里」に、女子校を建設することを決めた。
 設立発表は、東京の創価中学・高校の開校から1年後となる1969年7月だった。
 縁深き関西の天地に、いつの日か創価の学舎をつくりたいと、人知れず構想を膨らませていた先生。「女子校をはじめとする教育事業に、残る半生、全魂をこめ、心血をそそいで応援してまいる考えです」――73年1月の落成式に寄せたメッセージには、率直な真情をつづっている。

未来の平和への道

 陽光が差し込む体育館に、真新しい紺地のセーラー服を着た乙女たちが入って来る。
 先生の出席のもと、創価女子中学・高校(当時)の第1回入学式が行われたのは、同年の4月11日である。
 誉れの1期生となったのは、高校生239人、中学生148人。スピーチに立った先生は、緊張と決意の表情を浮かべる友を見つめながら、開口一番、こう呼び掛けた。
 「今朝、妻に『うちは男の子しかいないから、全員、娘にしたいな』って言ったら、妻も『そうしたいですね』って言うんですよ」
 絶妙なユーモアに、歓声と笑みが広がる。
 和やかな雰囲気の中、先生は「伝統・平和・躾・教養・青春」の五項目について言及し、「他人の不幸のうえに自分の幸福を築くことはしない」との言葉を贈った。
 「この心をもち、実践していったならば、まれにみる麗しい平和な学園が実現するでありましょう」「地球は大きく、この学園は、その地球から見るならば、ケシつぶほどのものであるかもしれない。しかし、未来の平和への道を考えるとき、皆さんのこれからの実践は、やがて地球を覆うにたる力をもつはずである、と私は確信したい」
 これが、学園の“平和教育の永遠の指針”となった。
 式典を終えると、先生は生徒の輪の中へ。「良識・健康・希望」のモットーの碑の除幕式や、入学記念撮影会に参加し、卓球場・テニスコート開きでは、運動着に着替え、一緒に汗を流した。
 創立者との絆は、開校初日から固く強く結ばれていった。

一流の女性に

 この年の秋には、第1回「希望祭」が行われた(9月14日)。
 学園生の創意工夫があふれたバザーや展示。先生が来賓・保護者らと見守ったメイン行事“交野秋の夕べ”では、童謡メドレー、舞踊、モダンダンス、授業風景を模したコントなどが次々と披露され、拍手と笑いが絶えなかった。
 終盤には、いかなる苦難にも屈しない父子の姿を描いた創作劇「最後の一句」の上演も。迫真の演技に、場内は感動の渦に包まれた。
 劇で主人公の弟役を演じた山口好美さん(中学1期)。行事を終え、制服に着替えて校舎の外に出ると、ばったり先生と出会った。
 先生は山口さんらを野点の席に招いて言った。
 「劇、上手だったね」
 思わぬ一言に、山口さんは驚いた。カツラや化粧をした衣装姿は、観賞に来た母親ですら、わが子だと見分けがつかなかったからだ。
 さらに先生は、「一流の女性になるためには、お茶の作法も覚えておくんだよ」と、自ら礼儀やマナーを教えた。
 「一人一人を大切に育もうとされる先生の振る舞いは、今もこの目に焼き付いて離れません」と山口さん。卒業後は保育士として働きながら、学園生となった2人の子を育て上げた。同窓の誇りと原点を胸に、家族そろって感謝の道を歩む。

良識・健康・希望

 開校以来、先生は多忙な合間を縫って、関西校に何度も足を運んだ。
 中高の全学年がそろった3年目の75年4月。第3次訪中へ旅立つ直前にも、学園を訪れている。生徒たちに会いたいと、大阪から中国に出発することにしたからである。
 13日の記念撮影会。新入生にとっては、先生をキャンパスに迎える待望の機会となった。
 先生は、モットーである「良識・健康・希望」の意義を語った。
 「良識」――即、聡明であり、人間として人間らしく生きる、最も基本の姿である。
 「健康」――一生を生きていく上で、最も基礎となるものである。
 「希望」――何があろうと希望を抱いて前に進み、自分自身に挑戦していくことである、と。
 武内秀子さん(高校3期)は、中学3期の妹・中下愛子さんと共に参加した。両親は、家計が厳しい中、姉妹の同時入学を後押ししてくれた。
 「学園に入って本当に良かったと、心から思えた瞬間でした。生涯、創立者の“娘”として、三モットーを胸に生き抜こうと決意しました。それが、最大の親孝行になると思ったんです」
 95年に父が急逝した際は、妹と共に母を支え、大阪にある実家の運送業の手伝いを。当時住んでいた埼玉を離れる決断となったが、夫や義母の応援もあり、従業員やその家族の生活を守ることを最優先にした。
 「人のために尽くす人生でありたい。それが学園で創立者から教わった生き方です」
 武内さんは現在、母の後を継ぎ、会社の代表取締役に就任。2人の息子を学園、創価大学に送り出し、夫婦そろって地域貢献にも励んでいる。

タンポポのごとく

 76年3月。晴れの第1回卒業式で、先生は期待を込めて語った。
 ――進学する人もいれば、就職する人もいる。あるいは1年や2年、大学進学への準備を余儀なくされる人もいる。どのような道であっても、努力さえすれば、幸せになることは間違いない。新しい人生へ明るく、そして焦らず、勇気をもって前進していってください――と。
 1期生の中には、浪人するメンバーもいた。
 直後の4月、先生は彼女たちと懇談の機会をもつ。その際、全員で励まし合えるよう、グループ名を付けてはどうかと提案した。
 皆で考えた名称は「たんぽぽグループ」。
 それを聞いた先生は喜び、若き日に心に刻んだ「踏まれても 踏まれても なお咲く タンポポの笑顔かな」との詩を紹介し、一人一人の勝利と成長を念願した。
 翌年、「たんぽぽグループ」の友は、全員が大学合格を果たす。
 その一人、中内規子さん(高校1期)は、懇談の席上、小学校の教員を目指していることを伝えた。すると、先生は優しく語り掛けた。
 「子どもたちを無条件で好きになることです。子どもの心は寒暖計のように敏感で、その人の心がすぐに分かるんだ。誰からも立派な先生だと言われるようになりなさい。きっとあなたに合っているよ」
 中内さんは、大学卒業後、先生との誓いを果たし、教職の世界へ。小学校の校長となって、今年で10年目を迎えた。
 「苦しい時は“タンポポの詩”を思い返して頑張りました。教師として心掛けてきたことは、自分の価値観を無理に押し付けないことです。子どもや保護者の多様な考えにも耳を傾け、その思いを受け止めるように努力しています。そこに“他人の不幸のうえに自分の幸福を築かない道”があると思うからです」
 草創期、先生が示した信条は、時代と共に、卒業生と共に、一段と輝きを増している。

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〈池田大作先生 四季の励まし〉 よき出会いが人生を彩る    2017年8月20日

池田大作先生 四季の励まし〉 よき出会いが人生を彩る 2017年8月20日

 
 

 「出会い」は不思議である。
 「出会い」で決まる。
 私は、戸田先生との出会いを
 永遠に忘れない。
 戸田先生との出会いで、
 私の一生は決まったのである。
  
 新しい出会いは、
 新しい人生の
 「舞台」の開幕である。
 ゆえに、縁ある方を大切にし、
 一回一回、歓喜と感動の劇を、
 誠心誠意、刻んでいきたい。
 私は、お会いした方が
 少しでも元気になり、
 晴れ晴れと胸を張って
 帰っていかれるようにと、
 祈りを込めて、
 語らいを進めるのが常である。
  
 「人間」とは、
 「人と人の間」と書く。
 孤独は、気ままなようで、
 わびしい。
 自分の人格も磨かれないし、
 可能性も開かれない。
 いかに豊かな人間関係を築くか――
 よき人間関係こそ、
 人生を彩る財産であろう。
  
 「私には親友がいます」と
 言いきれる人は幸せだ。
 お金よりも、地位よりも、
 名誉よりも、
 「絶対に心がつながっている」
 「絶対に裏切らない」という
 友人をもっている人こそ、
 本当に「豊かな人生」である。
  
 一つ一つの出会い、
 一回一回の生命の交流は、
 時とともに、
 私たちの想像を超えるほどの
 大きな広がりと
 実りをもたらすものだ。
 新しい出会い、新しい交流――
 そのために大切なのは、
 打って出る「勇気」である。

 「水の都」として名高いスウェーデンの首都ストックホルム。世界都市を象徴するかのように万国旗がたなびき、人々が行き交う。1989年(平成元年)6月、池田大作先生が初訪問した折、カメラに収めた。
 先生はグスタフ国王ご夫妻、カールソン首相をはじめ、要人たちと会見を重ねる一方、諸行事の合間を縫って、メンバーのもとへ。その激励行は今もなお、同志の心に“不滅の原点”として輝く。
 今月14日は、池田先生が恩師・戸田城聖先生と出会って70年。10日後の8月24日、池田先生は入信し、「広宣流布」即「世界平和」の大道を歩み始めた。
 一つの出会い、一つの対話、一つの励ましを大切にし、朗らかに友情と信頼を結ぼう。そこから、新たな勝利の行進は始まる。

 

9・9「道の日」を記念する三代城「拡大」栄光月間 2017年8月19日 21世紀は北海道の時代

9・9「道の日」を記念する三代城「拡大」栄光月間 2017年8月19日

21世紀は北海道の時代

 北海道の「三代城『拡大』栄光月間」があす20日から始まる(10月8日まで)。
 若き日の創価三代の師弟が、正義と理想に燃えて駆けめぐった北海道。友は、師の闘争を模範とし、未踏の広布の原野を、青年の心で開拓してきた。
 そのことを誰よりもたたえ、期待を寄せてきたのが池田先生だ。
 “学会健児の手で、この地を世界一の理想郷に”と呼び掛けた1973年(昭和48年)の「第1回北海道青年部総会」は、9・9「北海道の日」の淵源として、今も友の心に深く刻まれている。
 この日を記念する月間では、弘教と聖教の拡大、教学部任用試験(仏法入門)を通した人材育成に全力を注ぐ。また男子部のニュー・リーダー、女子部の華陽リーダーの輩出に各部一体で取り組み、新たな人材を糾合して新時代を切り開く。
 池田先生はかつて、北海道の青年部に万感の思いを語った。
 「青春とは『闘争』の異名である。すべてが闘争である。なかんずく、人類のために最も根本的な大闘争は『広宣流布』である。広布のために、尊い情熱の炎を燃やしておられる皆さまの日々に、『永遠の栄光』が刻まれている」
 「間違いなく、『21世紀は、北海道の時代』である」
 日下北海道長、小松婦人部長は固く誓う。「『夕張闘争』、また『若人の祭典』と名付けられた第1回北海道体育大会から60周年、そして戸田記念墓地公園の開園40周年と、幾重にも意義深い本年。皆が青年の気概に燃え立ち、広布拡大の実証で勝ち飾ります!」