欧州・奥州青年友好総会への池田先生のメッセージ 2018年12月3日

欧州・奥州青年友好総会への池田先生のメッセージ 2018年12月3日

人類に勇気を贈る光はここに!
地涌と平和の陣列を世界へ
青年友好総会の感動さめやらぬ中、全参加者が記念のカメラに。一人一人が主役だった。全員が輝いていた。少年少女部の笑顔と美しいハーモニーも、東北男子部の代表によるピアノや津軽三味線の演奏も、青森ねぶた祭を再現したような演出も「全てに池田先生の心を感じました」――ヨーロッパの同志は皆、一様に声を弾ませた。これからも、欧州と奥州の心は一つ、センセイと共に!(仙台市の東北文化会館で)

 一、「二つのオウシュウ」、すなわち、ヨーロッパと東北の「地涌」の若人が相まみえ、広布後継の誓いを新たにする歴史的な青年友好総会、誠におめでとう!
 21カ国よりはるばる集い来った、わが愛するヨーロッパの青年リーダーの皆さん、遠いところ、本当にありがとう! そして東北6県の頼もしき青年部の皆さん、本当にご苦労さま!
 私の心も今、東北文化会館にあります。この晴れやかな世界広布新時代を象徴する総会を、万感の思いで一人一人と固く心の握手を交わし、見守っております。
 日蓮大聖人は、「過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」(御書231ページ)と示されました。
 今この時に、共に励まし合って創価世界市民スクラムを広げゆく皆さん方が、どれほど深い宿縁で結ばれていることか。そして、今ここから、どれほど大きな広宣流布歓喜の波動を起こしてくれることか。御本仏が全て御照覧でありましょう。
 一、大震災から7年。東北の皆さんは、想像を絶する苦難の中、不撓不屈の負けじ魂を燃やし、復興の歩みを進めてこられました。
 また、ヨーロッパの各国の皆さまから、温かな励ましと支援をいただき、私たち日本人は勇気づけられました。このことは、決して忘れられません。
 東北には、逆境の中でも人々の心に温もりを広げる共生の精神の炎があります。自他共の尊厳を輝かせる崇高な生命の宝塔が林立しています。
 そして、今、若き後継の皆さんが、凜々しくたくましく、東北健児と東北華陽姉妹の底力を示して活躍してくれていることが本当にうれしい。
 欧州青年部もまた、さまざまな社会の困難な問題に毅然と立ち向かい、一人一人が人間革命の光を放ちながら、「欧州は一つ」という異体同心の団結で生命尊厳の思潮を高め、目覚ましい社会貢献を果たしてくれています。
 一、今年6月、私は、敬愛してやまないアルゼンチンの人権運動家、エスキベル博士との共同声明「世界の青年へ レジリエンス(困難を乗り越える力)と希望の存在たれ!」をヨーロッパの地から発表しました。
 その中で、人類が試練に直面した時も、「それに立ち向かう『青年の連帯』がある限り、希望は失われることはない」。青年の行動が未来を変えることを信じ、「『民衆と共に人生を歩む』という責任を勇んで担おうではないか」と呼び掛けました。
 今、ヨーロッパをはじめ192カ国・地域の青年が世界広布新時代の先頭に立って、「友情の対話」「励ましの対話」「平和の対話」を生き生きと拡大し、人間主義の連帯を築いてくれています。それ自体が「未来を変える」「青年の行動」の大きな潮流であり、共同声明で掲げた、“誰も置き去りにしない”社会への「世界市民教育を通じた青年のエンパワーメント」の推進に他なりません。そして、人類に勇気を贈る「レジリエンス」の黄金の柱なのであります。
 一、この東北の地も訪れたことがある20世紀最高峰の歴史家、トインビー博士は、かつて英語版の小説『人間革命』に序文を寄せてくださり、「創価学会は、既に世界的出来事である」と私たちの人間革命運動に大きく期待されていました。
 仏法史において、これだけ世界に広がった、気高き平和と人道の民衆運動はありません。いよいよ人類の共生の新時代をリードしゆく大舞台が、洋々と開かれました。皆さん方が活躍する10年先、20年先、そして30年先の栄光の未来を思うと私の胸は高鳴ります。
 どうか皆さんは、創価の誇りに胸を張り、一日一日の課題に師子王の心で挑み、自分らしく桜梅桃李の価値を創造していってください。そして、わが黄金の人間革命の日記文書をつづりながら、良き仲間とスクラムを固く組み、一人さらに一人と「地涌の陣列」即「平和の陣列」を広げて、「ヨーロッパ新時代」「東北新時代」の旗手たる使命を、見事に果たしていっていただきたいのです。
 一、草創期より、三障四魔が紛然として競い起こるたびに、皆さんの父母たちと心肝に染めてきた「開目抄」の一節があります。
 私が最大の信頼を寄せ、世界広宣流布の総仕上げを託しゆく東北とヨーロッパの青年部に、この御聖訓を贈りたい。
 「我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ、我が弟子に朝夕教えしかども・疑いを・をこして皆すてけんつたなき者のならひは約束せし事を・まことの時はわするるなるべし」(同234ページ)
 この「誓願の信心」「不退の信心」「勝利の信心」の真髄を、君たちが未来永遠に受け継いでくれ給え!
 大切な大切な皆さんの健康と成長とご一家のご多幸を祈り、私はこれからも妻と共に一生懸命お題目を送ります。
 皆さんの勝利が私の勝利です。皆さんの幸福が私の幸福です。
 皆さんと私の心はいつも一緒です。本当にご苦労さま、ありがとう!
 「オウシュウは一つ! 師弟勝利のために!」(大拍手)

〈池田大作先生 四季の励まし〉 人間革命の劇を今ここから 2018年12月2日

池田大作先生 四季の励まし〉 人間革命の劇を今ここから 2018年12月2日

 
 

 1964年(昭和39年)の
 きょう12月2日、
 私は最も戦火に苦しんだ沖縄の地で
 小説『人間革命』の筆を起こした。
 「戦争ほど、残酷なものはない。
 戦争ほど、悲惨なものはない……」
 世界不戦は、わが魂の叫びである。
 その思想を、
 人々の胸中深く打ち込み、
 友情の橋を懸けるために、
 私は、書き続けてきた。

 すべては、
 自己自身の変革から始まる。
 生活も、事業も、
 教育も、政治も、
 また経済も、科学も、
 いっさいの原点は人間であり、
 自己自身の生命の変革こそが
 すべての起点となる。

 人の幸福を祈れば、
 その分、自分が幸福になっていく。
 人の健康を祈れば、
 その分、自分の健康も守られる――
 これが妙法の不思議な力用である。
 「利己」と「利他」の
 どちらに力点があるかで、
 人間の偉大さは決まる。
 信心が本物かどうかも決まる。
 皆さまは、
 法のため、友のため、
 真剣に祈り動いて、
 「利己」から「利他」へと、
 ダイナミックな生命の転換を、
 偉大なる人間革命を
 実現していただきたい。

 人間革命の舞台は、
 どこか遠くにあるのではない。
 「今ここ」にある。
 そのドラマは、
 いつか始まるのではない。
 眼前の課題に、勇んで祈り、
 立ち向かう。
 この一瞬から幕を開けるのだ。
 真剣勝負の戦いの中にこそ、
 人間革命がある。

 「一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする」――小説『人間革命』『新・人間革命』に貫かれた主題である。
 54年前のきょう、池田大作先生は『人間革命』の執筆を沖縄で開始した。写真は1988年(昭和63年)2月、池田先生が恩納村の沖縄研修道場で撮った一枚である。かつての核ミサイルの発射台の上には、先生の提案によって6体のブロンズ像が立ち、「世界平和の碑」へと生まれ変わった。
 世界の平和と幸福のために重ねた執筆は『人間革命』から『新・人間革命』へと続き、本年、完結を迎えた。今こそ師の思いを胸に刻んで、自らの人間革命に挑み、平和のスクラムを築きゆこう。

〈信仰体験 ブラボーわが人生〉第54回 茨城に舞え 金の風 2018年12月1日

〈信仰体験 ブラボーわが人生〉第54回 茨城に舞え 金の風 2018年12月1日

「耐え抜くことが私の使命だかんな」

 【茨城県つくば市】ご近所さんとの付き合いを大切にしてきた。畑で野菜ができれば持って行き、少し前なら、山に入ってごみ拾いもした。「おかげさまで丈夫な93歳になっちゃったよお」。篠内つまさん(93)=大勝支部、婦人部副本部長。今でこそ、みんなから優しい言葉をたくさん掛けてもらえる。でも以前は、ちょっと大変だったようですね、つまさん。

 そうなの。近所に信心した人がいてよ、集落を回るんだ。広布草創の頃だからよ、みんなが避けてたんだいな。来るのが分かるのね。げただもん。カラコンカラコンと音するんだよ。うちにも朝に晩に来るからよ、雨戸閉めちゃってな。いじわるだったから。
 生活厳しかったのな。ボロのうちでよ、ハエがぶんぶんいたからな。小学生の娘が具合悪くてな。蚊帳の中でずーっと寝てんだよな。原因が分からねえ。どんどんひどくなったの。医者から「大事に送ってやるしかない」って言われたんだよね。つらかったよなあ。
 昭和35年(1960年)の5月だよ。またカラコンと音がすんだ。顔が見えるぐらいに雨戸開けてよ、「うちは信心しないから」って音立てて閉めたな。そしたら蚊帳の中から娘がよ、「母ちゃん、信心して本当に治るんなら、治してくろよ」。泣かれたのが、入会のきっかけだいな。
 信心の確信はすぐだよ。娘が大っきいカバンを提げてよ、小学校さ行けるようになったんだからよ。その喜びは言い表せないよ。抱き締めたいぐらい。
 それからだよな。誰もうちの前の道路さ通んない。祭りの時はよ、みこしをぶつけられんだから。どすん、どすん。うちが揺れてよ。あと回覧板も回ってこないでしょ。小学校の保護者会でも、誰もそばさ寄らないの。
 でも題目だけは、あげさせてもらったんだよなあ。信心浅かったけど、必ず良くなる、と思った。
 信心してちょうど1年だな。畑仕事から帰って、ご飯の支度してる時だ。みんなのうちに有線放送があってよ、スピーカーから娘の声がしたんだよ。
 学校で詩を書いたんだな。それが表彰されてよ。有線放送で詩を朗読したの。柱のスピーカーの前で正座してよお。信心のおかげなんだな。この放送を、集落のみんなが聞いてるわけだから。人生で一番うれしかった瞬間だよね。
  
 孤独がなくなったわけじゃないよ。中学校の草刈りがあったの。みんな、まとまって行くでしょ。私には何の知らせも無かったからな。学校からの連絡で知ったんだ。汗かいて走ったよ。みんな白けた空気でよお。隅っこの方でな、独りぼっちで草むしったものな。
 腹にあったのは熱原の三烈士のことなんだ。三烈士を処刑した平左衛門尉がよ、14年後に滅亡したんだよな。よし、オレも14年後には必ず解決できるな、と思ったもの。
 毎日折伏だよな。自転車こいでよ。もちろん雨戸閉められてよ、塩もまかれたよ。落ち込む暇なかったな。先輩が「頑張ろう、頑張ろう」って、引っ張ってくれたから。きょうだい9人全員、折伏したよ。御本尊様が見ててくれれば、それでいいからな。
 昭和43年だよな。池田先生が水戸でよ、みんなと写真を撮ってくれたんだ。いやいや、もうほんとに……どんなにいじめられてもよ、涙なんか出ないんだ。けどよ、池田先生の姿を見ただけでよ、涙が止まんねえの。ほんと不思議だよね。負けねえって誓ったもの。
 読み書きが得意じゃなかったのね。学校もろくに行けなかったからよ。御書に仮名を振ってもらってよ、何回も読んだよ。無我夢中だったね。
 「此の経を持たん人は難に値うべしと心得て持つなり」(御書1136ページ)。信心した時に教わった御文なんだな。ああそうだったんだと思ってよお。
 とにかく御本尊様と池田先生しかなかったな。ある日、信心の話を持ってきてくれた人が亡くなったの。集落の人は葬式に来ないと思ってたよ。ところがよお、「われわれも出席させてください」って向こうから来たんだよ。驚いたよね。信心してちょうど14年だったから。題目はすごいね。
  
 支部婦人部長になった時だから昭和53年だよな。村八分より悔しかったかんね。あれだけ尽くしたのによ、坊主の態度が全然違うんだから。
 正座させられてよ、「ああ言ったっぺ、こう言ったっぺ」って責められてよ。それこそ、言ってもないことだもん。膝の拳が震えたかんな。
 その年に、池田先生が茨城県の歌「凱歌の人生」を贈ってくれたんだ。「君よ辛くも いつの日か/広宣流布の 金の風」。先生は、何もかにも分かってくださってんだよね。今に見ろ、今に見ろ、今に見ろ、と思ったよな。ひどい仕打ちされても全然へっちゃら。先生を思うと、じーんと来るんだよね。
 「受くるは・やすく持つはかたし・さる間・成仏は持つにあり」(同1136ページ)。信心する上で一番大事なことだいな。ほんとに歯を食いしばったもんな。信心を裏切ったら、見る影もないよな。
  
 茨城のみんながよ、金の風を吹かせたんだな。みんな負けなかったよ。おかげさまで、近所の人が親切にしてくれる。至れり尽くせりだからな、「今日の聖教新聞みたか?」と教えないでいられないんだよ。「池田先生がこう言ってるよ」。信心してきて良かったよな。
 4世代で暮らしてる。中学生と小学生のひ孫がいるよ。2人並んで経本見ながら勤行してる姿見るとよ、頑張ってきてほんと良かった。耐え抜くことが、私の使命だかんな。
 この子らに題目を送ってんの。幸せになるように? それもあるよ。この子らもいつか、信心を試されるんだ。その時の貯金になればと思ってよ、題目あげてんの。

後記

 かつてのつらい話を明るく話してくれた。その表情の豊かさは、辛抱の幅を想像させる。「つらかったけどよ、信心しちゃったものはしょうがない」。優しい話し言葉の奥に、強さを感じた。
 茨城県歌を歌ってくださった。途中で歌詞を詰まらせた。涙をぐっと、こらえていた。池田先生を思い浮かべると、素直な心でいられるのだろう。
 そういえば、茨城県ということで水戸黄門の話になった。番組の終盤でようやく、格さんが懐から印籠を取り出す、あれ。「この紋所が目に入らぬかあ」。おなじみのセリフで、悪代官がさらりと降参してしまう。
 もしも、つまさんがご老公だったら、きっと格さんは印籠を出さないだろう。風雪で磨いた輝きがある。「ええい控え、控えおろう。この笑顔が目に入らぬかあ」(天)

〈教学〉 12月度座談会拝読御書 高橋殿御返事 2018年12月1日

〈教学〉 12月度座談会拝読御書 高橋殿御返事 2018年12月1日

御書全集 1467ページ1行目~3行目
編年体御書 1427ページ1行目~3行目
広宣流布を支える真心に功徳輝く
信心の「志ざし」に無量の福徳
 
拝読御文

 同じ米穀なれども謗法の者をやしなうは仏種をたつ命をついで弥弥強盛の敵人となる、又命をたすけて終に法華経を引き入るべき故か、又法華の行者をやしなうは慈悲の中の大慈悲の米穀なるべし、一切衆生を利益するなればなり

本抄について

 本抄は、日蓮大聖人が、駿河国静岡県中央部)の富士方面で、門下の中心的な役割を担っていた弟子に与えられた、お手紙の一部(断簡)と考えられます。
 そこからの推定により、かつては高橋六郎入道に宛てられた御消息文とされていましたが、詳細は不明です。
 本抄の冒頭で大聖人は、謗法の者を養ってはならないことを示されます。それは、人々の成仏の種子を断つ、法華経の敵の命を永らえさせ、悪になってしまうからです。
 その上で、たとえ謗法の者であっても、命を助ければ、いずれは心を改める時が来て、正法に導くことができるとの可能性を示されます。
 どこまでも謗法を誡めることが大前提の上で、「敵人」をも救っていくとの大聖人の慈悲心からの仰せだと拝されます。
 一方で、現実に民衆救済の戦いをしている「法華の行者」に米穀を供養することは、供養した相手だけでなく、広宣流布を進め、一切衆生を利益することにつながっていきます。ゆえに、「慈悲の中の大慈悲」の働きになると述べられます。
 たとえ同じ米穀であっても、誰への供養かによって、その意味は大きく違ってくるのです。
 さらに、大聖人のもとへ使者を遣わし、供養を届けられた弟子の真心を喜ばれ、「あなたの身に釈迦仏、そして地涌の菩薩が入り替わられたのであろうか」と称賛されます。
 続いて、「その国の仏法流布は、あなたにお任せします」と、地域広布の主体者としての使命と誇りを教えられます。
 最後に、法華経を聞かせることが縁となって万人成仏の種子が相手の生命に植えられることを訴えられ、妙法を説き広めていくよう望まれています。

下種仏法

 日蓮大聖人の仏法は、万人成仏の根源の一法である南無妙法蓮華経を直ちに説き聞かせ、成仏の種を植えることができるので、下種仏法といいます。
 下種とは「種を下ろす」と読みます。「種」は仏種である南無妙法蓮華経のことです。私たちで言えば、相手の幸福を願い、仏法対話に励んでいくことが、下種の実践になります。
 下種には「聞法下種(相手の心に成仏の種子を下ろすこと。相手の信不信は問わない)」と「発心下種(下種を受けて、相手が仏法を求める心を起こすこと)」とがあります。聞法下種でも発心下種でも、相手が妙法を聞いたことに変わりはありません。
 大聖人は、「とてもかくても法華経を強いて説き聞かすべし、信ぜん人は仏になるべし謗ぜん者は毒鼓の縁となって仏になるべきなり」(御書552ページ)と仰せです。それは、たとえ相手が反発したとしても、仏種を植えたことで、後にこの縁によって必ず発心し、成仏の道に入ることができるからです。
 拝読御文で、法華経の敵であっても「終に法華経を引き入るべき故か」と仰せになっているのは、一切衆生を絶対に救うのだとの大聖人の大慈悲の現れと拝されます。
 反発した人さえも等しく成仏させていくのが大聖人の仏法です。たとえ反発している人であっても、どこまでも誠実に、妙法の素晴らしさを語っていくことが、大聖人の御精神に叶った慈悲の実践なのです。
 すぐに発心するかどうかは、相手の機根によります。すぐに発心しようが、しまいが、どちらにしても、仏法を語って聴かせれば、生命の奥底には、必ず仏種が植えられます。ゆえに、下種の実践に対する功徳は、変わらないのです。

御供養の精神

 日蓮大聖人は、供養を届けられた門下に、「仏になり候事は凡夫は志ざしと申す文字を心へて仏になり候なり」(御書1596ページ)と、凡夫は「志ざし」によって成仏できると教えられています。
 では、「志ざし」とは、どういうことをいうのでしょうか。
 大聖人は先の御文に続く部分で、“一つしか無い衣服を法華経に供養すること”“これを供養すれば、きょうの命をつなぐことができない時に、その食物を仏に供養すること”を例として、命を捧げるにも等しい「志ざし」に、無量の福徳が輝くことを教えられているのです。
 このように、供養は信心の純真な発露であるからこそ、誰に供養するのか、相手の正邪を厳しく見極めていかなければなりません。
 拝読御文に仰せの通り、謗法への供養は、「法華経の敵」を利することになり、万人成仏の道を閉ざす悪業を積んでしまうことになるからです。
 一方で、「ひとつのかたびらなれども法華経の一切の文字の仏にたてまつるべし。この功徳は父母・祖父母・乃至無辺の衆生にも・をよぼしてん」(同1231ページ)と、法華経の行者である大聖人への供養は、計り知れない福徳となって、一家眷属を包み、そして、さらに多くの人々にまで及んでいくことを教えられています。
 また別の御書では、「あなたの真心は、法華経の題目を弘めている人に相当する。多くの人が題目を唱えるならば、その功徳が身に集まるでしょう」(同1241ページ、趣旨)とも仰せです。
 大聖人の御遺命のままに、世界広布を現実にしてきたのが創価学会です。ゆえに、それを支える学会員の福徳は、大きく広がっていくだけでなく、自身にも集まって、我が身を荘厳していくのです。

謗法厳誡

 謗法とは「誹謗正法」のことで、正法を誹謗することをいいます。その罪は、仏の身体を傷つけることよりも重い罪とされ、無間地獄に堕ちる原因となります。それは、正法を誹謗することによって、万人成仏の道を閉ざしてしまうことになるからです。
 大聖人は「謗法の者を対治する功徳に依って生死を離る可きなり」(御書68ページ)と、謗法を責める実践が仏の境涯を開くことになると仰せです。ゆえに謗法は厳しく誡めていかなければなりません。このことを「謗法厳誡」といいます。
 牧口先生が、戦時中、宗門から“神札を受けるように”と言われた時、「謗法厳誡」の精神で拒否しました。牧口先生は、その心境を、戸田先生に「一宗が滅びることではない、一国が滅びることを、嘆くのである。宗祖聖人のお悲しみを、恐れるのである」と語られています。
 悪と戦わないことは、悪を放置することになり、結果的に悪と同じになってしまいます。悪と戦うことが善であり、三代会長を貫く学会精神です。そこにこそ大聖人の精神も流れ通うのです。
 「災難対治抄」で大聖人は、「謗法の者を治す可し若し爾らずんば無尽の祈請有りと雖も災難を留む可からざるなり」(同85ページ)と、謗法を退治しなければ、無量の祈りがあっても、災難を留めることができないと、教えられています。謗法を責めてこそ、祈りは叶うのです。

池田先生の指針から 深き一念で幸福の方向へ

 大聖人の御在世当時も、広宣流布の陣列に名前を連ねた、数々の在家の門下たちがいた。
 大聖人をお慕いする門下たちは、大聖人がいらっしゃる佐渡や身延にまで、遠く危険な道のりを歩みぬいていった。そのなかには、幼子を連れた女性もいた。かなりの年配の方もいた。
 大聖人のもとにお届けした御供養の品も、一生懸命に節約して用意したものであろう。こうした門下の“広宣流布の志”を、大聖人は心から讃嘆された。“ありがとう、本当にありがとう”“こんなところまで、よくきてくださいました”と深い深い感謝の心で包んでいかれたのである。
 (『池田大作全集』第99巻所収、第55回本部幹部会でのスピーチ)
 ◇ ◆ ◇ 
 御聖訓には、庶民の真心の信心にかなうものは、この世に何一つとしてないと説かれている。
 大聖人は、門下の女性(王日女)の真心を最大に讃嘆されて、こう言われている。
 「此の二三の鵞目は日本国を知る人の国を寄せ七宝の塔を忉利天にくみあげたらんにも・すぐるべし」(御書1263ページ)
 ――あなたの真心の二百文、三百文というお金の御供養は、日本国を治める人(権力者)が国を供養し、七つのすばらしい宝で飾られた塔を、忉利天(欲界の六つの天の二番目。地上から八万由旬の高さ)に届くほど高く組み上げて供養したよりも、すぐれています――と。これが御本仏の御心である。
 その御精神をことごとく踏みにじり、庶民の真心を足蹴にしてきたのが、日顕宗である。その罪は、あまりにも重い。(中略)
 「妙法のために」「広宣流布のために」という強く深い一念の心があれば、一切を幸福の方向へ、希望の方向へと変化させられる。
 信心を貫ききっていけば、最後には「所願満足」となることを晴ればれと確信していただきたい。(『池田大作全集』第88巻所収、中部代表者会議でのスピーチ)

SGI総会から(会長指導) 2018年11月24日

広宣流布大誓堂完成5周年11・18「創価学会創立の日」記念 世界広布新時代第39回本部幹部会 SGI総会から(会長指導) 2018年11月24日

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原田稔 会長
人間革命の凱歌を高らかに
地涌の義」とは「一人立つ」精神

 一、「世界広布新時代第39回本部幹部会」ならびに「SGI総会」の開催、誠におめでとうございます(拍手)。

 本日は、SGI秋季研修会で来日された70カ国・地域300人の同志も参加されております。遠いところ、ようこそお越しくださいました。心から歓迎申し上げます。
一、「広宣流布大誓堂」の完成5周年を迎える、この「11・18」を目指しての折伏・弘教で、特に本年は、近年まれに見る部員増・世帯増を果たすことができました。心から感謝申し上げるとともに、ともどもに健闘をたたえ合いたいと思います(拍手)。
また、広布部員の皆さまには、世界広布の礎を担いゆく志に、衷心より御礼申し上げます。最後まで無事故で、万代にわたる福徳を積みゆく財務となりますよう、私自身、真剣に祈念してまいります。
一、さて、先月25日、日中平和友好条約締結40周年記念の式典が、北京の人民大会堂で行われ、日本の政財界、文化・教育分野の関係者が列席。学会からも池田主任副会長が参加し、各界代表の十数人と共に、中国の李克強首相との記念写真に納まりました。



また、私もフィリピンを訪問し、これまで池田先生と5度、会見したラモス元大統領や、国立フィリピン大学のアブエバ元総長、ダビデ最高裁長官夫妻らと会見。池田先生へのマニラ首都圏パサイ市からの「市の鍵」、リサール協会からの「国際賞」授与式も盛大に挙行されました。
さらにアルゼンチンでは、先生に対し、公共メディア・コンテンツ庁から「芸術と平和の青の賞」、東部(エステ)大学から名誉博士号が授与。訪問団の代表が、マクリ大統領と会見しました。
また、このほどアルゼンチンのサンフアン州サルミエント市に、先生のご功績をたたえ、同市議会の決議によって「池田大作先生平和山」が命名・誕生しました(拍手)。
一、特に、昨今の海外訪問を通じて実感するのは、今や時代は、直接には池田先生にお目に掛かっていない世代が、世界中で先生を尊敬し、顕彰する時代に入ったということであります。
例えば、今回、先生に「国際賞」を授与したフィリピンのリサール協会では、これまでキアンバオ元会長が先生と10回を超える会見を重ね、友情を結んでこられました。キアンバオ元会長は語っています。
「池田先生は、リサールだけでなく、世界のあらゆることについて豊富な知識をお持ちです。私は先生の“弟子”と思っています」
現在のイバニェズ会長は、このキアンバオ元会長から語り継がれた池田先生の姿を通して、先生の偉大さを知り、自身も尊敬の念を込めて日本語で“センセイ”と呼ぶのです。
一、今や、24本部64支部へと大発展を遂げたフィリピンSGI。その推進力は青年部であり、その原動力は小説『人間革命』『新・人間革命』であります。
フィグラシオン男子部長は語っています。
「私たち青年世代は、池田先生に直接お会いしたことがないメンバーが大半を占めます。しかし、先生の著作を読めば、心で“直接”対話することができます」と。
日蓮大聖人が「世の人疑い有らば委細の事は弟子に之を問え」(御書509ページ)と仰せの通り、師匠の正義を語り広げるのは、弟子の責任であります。
私たちは、小説『人間革命』『新・人間革命』を通して師弟の精神を学び、信心即生活の実践の中で、それを体現していきたい。
一、池田先生が「人間革命の歌」の制作に当たって最も心を砕かれたのは、「われ地涌の菩薩なり」との恩師・戸田先生の悟達を、いかに表現し、伝えるかでありました。
昨年末、池田先生は随筆で、「『不思議なる霊山一会の愛弟子たちと共に、末法万年尽未来際までの地涌の義を決定づける』――これが、新しい一年に臨む私の決意である」とつづられました。
御聖訓には仰せであります。「日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし、是あに地涌の義に非ずや」(御書1360ページ)
地涌の義」とは、「一人立つ精神」であります。「末法万年尽未来際」とは、今この瞬間、わが胸中にこそあるのです。
私たち一人一人が「私が山本伸一」との自覚で、「この世で果たさん使命あり」と立ち上がり、師弟の誓願に生き抜く時、池田先生が展望された「妙法に説く不老不死のままに、永遠に広宣流布の指揮をとる」とのご構想を実現することができると確信します。
さあ、きょうよりまた、新たな「創価勝利」へ、一日一日、新たな人間革命の凱歌を、高らかにうたい上げていこうではありませんか(拍手)。

〈世界広布の大道――小説「新・人間革命」に学ぶ〉 第2巻 解説編 2018年11月28日

〈世界広布の大道――小説「新・人間革命」に学ぶ〉 第2巻 解説編 2018年11月28日

紙上講座 池田主任副会長
〈ポイント〉
①組織とリーダーの在り方
②自然災害への対応
③民衆の側に立つ宗教
沖縄・恩納村にある景勝地「万座毛」(1997年2月、池田先生撮影)。第2巻の「先駆」の章では、第3代会長に就任した山本伸一が沖縄を初訪問し、支部を結成する模様が記されている

 今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第2巻の「解説編」。池田博正主任副会長の紙上講座とともに、同巻につづられた珠玉の名言を紹介する。次回は、第3巻の「基礎資料編」を12月5日付に掲載予定。(第2巻の「基礎資料編」は11月7日付、「名場面編」は14日付、「御書編」は21日付に掲載)

 『新・人間革命』第2巻について、三つの視点で述べたいと思います。
 1点目は、「組織とリーダーの在り方」という点です。
 第2巻は、山本伸一が第3代会長に就任した1960年(昭和35年)5月3日から、同年12月までの国内における激励の様子を中心に描かれています。
 具体的には、北は北海道から南は沖縄まで、各地を回り、自らが率先して一人一人に励ましを送っています。その激闘によって、わずか8カ月で、会長就任直前の61支部から124支部へと、学会は発展しました。
 「先駆」の章では、男子・女子・学生部に限りない期待を寄せ、「錬磨」の章では、婦人部大会で「行き詰まりとの闘争」について語っています。そこには、今の私たちにとっても、大切な指針となる指導がつづられています。
 こうした激励の中、第2巻で特に言及されているのが、「組織とリーダーの在り方」です。
 「先駆」の章では、「組織は、信・行・学を間違いなく加速させていく道である。また、人びとが、安心して伸び伸びと大樹に成長していく、大地であらねばならない」(14ページ)と、学会の組織は一人一人の信心の成長のためにあると述べられています。
 また、「いかなる運動も、絶えず“なんのため”かという根本目的に立ち返ることがなければ、知らず知らずのうちに、手段や方法が独り歩きし、本来の目的から外れてしまうものだ」(22ページ)と、リーダーが“なんのため”を問うことを忘れた時、空転が生じることを指摘しています。
 「勇舞」の章では、「学会の役職は名誉職ではなく、責任職である」(182ページ)と述べられ、「仏法は勝負です。常に障魔との戦いです」(187ページ)とあります。この障魔を破るのが、リーダーの確信の祈りであり、一念であると強調されています。
 伸一が会長に就任した60年は、急速に組織が発展した年です。その中で、支部のリーダーたちは、伸一の振る舞いを通して、自らがどうあるべきかを学んでいきました。その核心が「同志を、会員を守り、励ます」(240ページ)という点です。この一点を、私たちも決して忘れてはなりません。
 発展している組織というのは、「日々革新」している組織です。リーダーの自己変革の意識が希薄になり、“戦う魂”を失った時、組織は官僚化していきます。広布のリーダーは「どこまでも思いやりにあふれ、(中略)奉仕の人でなければならない」(316ページ)との指導を心に刻んでいきたい。

「立正安国」の必要性

 2点目は、「自然災害への対応」ということです。
 今年は大阪北部地震(6月)、西日本豪雨(7月)、北海道胆振東部地震(9月)、台風の上陸など、多くの自然災害が発生しました。
 第2巻では、60年5月のチリ地震津波(38ページ)、59年9月の愛知・三重県を中心に甚大な被害を及ぼした伊勢湾台風(151ページ)について言及されています。
 チリで大規模な地震があったことをニュースで知った伸一は、深夜に何度か目を覚まし、ラジオのスイッチを入れます。それほど、現地の被害を憂慮し、津波の心配をしたのです。
 伸一は本部で、次々と被災地に見舞いと激励の電報を打ち、最も被害の大きい地域に幹部を派遣することを決めます。さらに、災害対策本部を設け、救援活動を行うよう指示します。
 一旦緩急の時に、どのように行動するのか――そこに、その人の責任感が表れます。
 こうした迅速な対応に比べ、当時の政府の対応は極めて遅いものでした。この時、伸一は日蓮仏法の本義である「立正安国」の必要性を痛感します。
 また、「錬磨」の章では、伊勢湾台風の折、伸一が次々と救援活動の手を打ち、さらに、自らも被災地へと向かい、同志を激励する様子が描かれています。
 「大変なことになりましたが、全国の同志が、再起を願い、お題目を送っています。今が正念場です。見事に信心で乗り越えてください」(156ページ)
 「家が壊され、家財が流されても、信心が壊れなければ、必ず蘇生することができます。信心をしっかり貫いていけば、必ず立ち直ることができるんです」(同)
 被災した方々への激励と、当時の救援活動は、現在の学会の自然災害への対応の原点とも言えるでしょう。

師子王のごとく

 最後の3点目が、「民衆の側に立つ宗教」です。
 第2巻が掲載されたのは、94年6月から12月末です。この年、学会は「創価ルネサンス・栄光の年」と掲げています。91年11月、学会は宗門から「魂の独立」を果たし、世界宗教へ雄飛しました。テーマに「創価ルネサンス」と掲げた年は、92年から94年まで続きました。
 そのような中での執筆ということもあり、第2巻は宗門に対する記述が幾つも見られます。
 「錬磨」の章では、夏季講習会で「日興遺誡置文」を繙かれ、「僧侶がこの御遺誡に目覚める日を祈り、願いながら、講義を続けた」(145ページ)とつづられています。
 また「民衆の旗」の章では、このように述べられています。「学会員を軽んじるような僧侶、悪侶が出たならば、(中略)学会は断固、戦っていかねばなりません」(320ページ)。僧侶を腐敗・堕落させたくはない――それが、伸一の深い思いでした。だが、その思いに反し、宗門は“衣の権威”を振りかざし、学会員を隷属させようとしてきた。
 学会員を軽んじ、手段化しようとする“悪”とは、徹底して戦っていかねばなりません。でなければ、広布の組織が破壊されてしまうからです。
 「民衆の旗」の章にこうあります。
 「学会は永遠に民衆の側に立つ。ゆえに、これからも行く手には弾圧があろう。謀略の罠も待ち受けていよう。しかし、民衆の栄光のために師子王のごとく戦い、勝つことが、学会には宿命づけられているのだ」(281ページ)
 今月の本部幹部会のスピーチ映像で、池田先生は新しい七つの鐘の構想に言及し、未来永劫の“創価勝利”の展望を語ってくださいました。
 広布の未来を託される師の思いを胸に、私たちは「学会は永遠に民衆の側に立つ」との精神で前進してまいりましょう。

名言集

●“後継”と“後続”
 “後継”と“後続”とは異なる。後方の安全地帯に身を置き、開拓の労苦も知らず、ただ後に続く“後続の人”に、“後継”の責任を果たすことなどできようはずがない。“後継の人”とは、勝利の旗を打ち立てる“先駆の人”でなければならない。(「先駆」の章、25ページ)

●価値創造の「庭」
 家庭とは、家族が共同でつくりあげていく価値創造の「庭」であり、明日への英気を培う、安らぎと蘇生の「園」である。また、人間を育みゆく豊かな土壌といえよう。(「錬磨」の章、91ページ)

●信心の「根」
 個人指導は、最も地道で目立たない活動ですが、信心の「根」を育てる作業といえます。根が深く地中に伸びてこそ、天に向かって幹は伸び、葉も茂る。同様に、一人ひとりの悩みに同苦し、疑問には的確に答え、希望と確信をもって、喜んで信心に励めるようにしていくことが、いっさいの源泉になります。(「勇舞」の章、175~176ページ)

●助走の勢い
 助走の勢いが跳躍の力を決定づけるように、広宣流布の活動の勝敗も、いかに周到に準備を進めたかによって、決まってしまうといってよい。ジャンプへと踏み切る“決戦の瞬間”には、既に勝負は、ほぼ決まっているものだ。(「民衆の旗」の章、323ページ)

 ※『新・人間革命』の本文は、聖教ワイド文庫の最新刷に基づいています。

小説「新・人間革命」第30巻〈下〉のあらすじ 2018年11月29日

小説「新・人間革命」第30巻〈下〉のあらすじ 2018年11月29日

創価三代の師弟の魂を青年たちに
誓願」の章から(内田健一郎画)

 小説『新・人間革命』の最終巻となる、第30巻の下巻(単行本)が、創立の日「11・18」を記念して、きょう発売される。ここでは、各章のあらすじを紹介する(1~29巻の要旨は、創価学会の公式ホームページ「SOKAnet」の「会員サポート」の「小説人間革命 関連データ」に掲載)。

「暁鐘」の章(後半)

 1981年(昭和56年)6月16日、山本伸一の平和旅は、フランスからアメリカへ。ニューヨークでは、メンバーと徹底して会い、地涌の使命に生きる創価学会の確信と誇りを語る。20日、青春時代からの座右の書『草の葉』の著者ホイットマンの生家を訪ね、生涯、人々に励ましと希望と勇気を送る詩を書き続けようと決意する。この日、ニューヨーク市内での日米親善交歓会の席上、伸一がアメリカに到着後、寸暇を惜しんで作った詩「我が愛するアメリカの地涌の若人に贈る」が発表される。詩には、妙法を護持したアメリカの青年たちの使命が示されていた。
 続いてカナダのトロントへ。21年前、伸一たち一行を迎えた未入会の婦人テルコ・イズミヤは、同国の議長となり、カナダ広布20周年記念総会には約1000人の同志が参加。伸一は、一人立つことの大切さを訴える。
 米・シカゴでは、世界広布新章節の開幕を告げる第1回世界平和文化祭が開催される。ロサンゼルスに到着した7月1日、世界芸術文化アカデミーは、伸一に「桂冠詩人」の称号授与を決定する。ソ連、欧州、北米8カ国を歴訪した彼は、8日に帰国。間断なき激闘によって、世界広布の朝を開く新章節の旭日が昇り始め、“凱歌の時代”の暁鐘は、高らかに鳴り渡った。

勝ち鬨」の章

 7月、伸一は結成30周年記念の青年部総会や南米男子部総会に激励の言葉を贈る。18日、会長の十条潔が急逝し、第5代会長に秋月英介が就任。伸一は、これまでにも増して力の限り応援していこうと、強く心に誓う。
 宗門事件で苦しめられてきた地域を回り、同志の奮闘をたたえようと、11月9日、徳島講堂落成記念勤行会へ。四国研修道場での「香川の日」記念幹部会では「もう一度、指揮を執らせていただきます!」と宣言。四国男子部の要請を受け、新愛唱歌に筆を入れる。推敲は二十数回にも及び、完成した「紅の歌」は、青年の魂の歌として全国で歌われていくことになる。
 12月8日、13年半ぶりに大分を訪問。正信会を名乗る“邪信”の若手僧らによって、非道な仕打ちを受けてきた大分の同志を励ます。10日夜、県青年部幹部会の席上、「青年よ 21世紀の広布の山を登れ」が発表される。伸一が口述し、直前まで推敲を重ねた21世紀への新たな指針が、大分の地から全国に発信される。
 彼は、熊本に移動する際には、岡城址で、悪僧の仕打ちと戦ってきた竹田の同志を激励。皆とカメラに納まり、「荒城の月」を大合唱する。熊本では、阿蘇の白菊講堂を初訪問し、熊本文化会館での県幹部会などに出席。15日には、自由勤行会に参加した友と、会館近くの公園で記念撮影し、「田原坂」を高らかに合唱。歓喜の万歳が広がる。
 翌82年(同57年)1月10日、雪の秋田へ。秋田の同志も僧たちから激しい迫害を受けてきた。伸一は、秋田文化会館に向かう道路脇に立つ同志の姿を見るたび、車を降りて足を運び、声を掛けた。秋田でも、自由勤行会を開催。雪の降りしきる中、会館前の公園に記念撮影のために集った同志は、伸一と共に、「人間革命の歌」を熱唱し、民衆勝利の宣言ともいうべき勝ち鬨を上げる。
 2月には、学会攻撃の烈風が吹き荒れた茨城を訪問。茨城文化会館落成記念の幹部会等に出席したほか、日立、鹿島、鉾田、土浦を訪れ、同志への激励を重ねる。

誓願」の章

 3月22日、第1回関西青年平和文化祭が開催され、青年たちは、困難に挑み戦う学会精神を学び、不撓不屈の“関西魂”を継承していった。平和文化祭は、中部、さらには全国各地で行われていくことになる。
 6月には、国連本部で「現代世界の核の脅威」展を開催するなど、本格的な平和運動が展開されていく。83年(同58年)8月、国連は、伸一の平和への貢献をたたえ、「国連平和賞」を贈る。彼は仏法の平和思想、人間主義の思想で世界を結び、平和への流れを開こうと、ソ連ゴルバチョフ大統領やアフリカ民族会議マンデラ副議長をはじめ、世界の指導者らと対話を進める。
 学会は一貫して宗門の外護に努めてきたが、日顕ら宗門は伸一と会員を離間し、学会を破壊しようとする陰謀を実行に移す。彼らは、伸一がベートーベンの「第九」をドイツ語でも歌おうと提案したこと等を、外道礼讃、謗法と言いだした。そして90年(平成2年)12月末、宗規改正を理由に、伸一や学会首脳幹部らの法華講総講頭・大講頭の資格を剥奪する。さらに、学会の組織を切り崩そうと、「檀徒づくり」を公式方針として打ち出し、「破和合僧」の大重罪を犯す。また、信徒を蔑視して僧俗の平等を否定。教条主義権威主義を露骨にし、日蓮大聖人の仏法の教義と精神から大きく逸脱していった。
 学会は大聖人の精神を復興させ、人間のための宗教改革を断行。宗門は91年(同3年)11月28日付で、学会本部に「創価学会破門通告書」を送った。その日は、広宣流布の前進を妨げ、“日顕宗”と化した宗門からの“魂の独立記念日”となった。
 “破門通告書”が学会本部に届いた29日、東京に大使館を置くアフリカ外交団26カ国の総意として、SGI会長の伸一に「教育・文化・人道貢献賞」が贈られた。それは、「魂の独立」を果たした創価の未来に寄せる喝采と期待でもあった。翌30日、「創価ルネサンス大勝利記念幹部会」が各地で行われ、伸一と共に、創価の新しき前進が始まった。
 時代は東西冷戦の終結へと向かい、12月、東側陣営を率いてきたソ連が崩壊。伸一は、92年(同4年)、冷戦終結後の新たな平和構築を展望し、アジア、欧州等を訪問。翌93年(同5年)、北・南米を回り、アメリカでは“人権の母”ローザ・パークスと会見し、ブラジルでは、ブラジル文学アカデミーアタイデ総裁らと対談する。また、アルゼンチン、パラグアイを初めて訪れ、チリで世界50カ国・地域目の訪問となった。95年(同7年)にはネパール、96年(同8年)にはキューバを訪問し、フィデル・カストロ国家評議会議長と会談する。伸一は、恒久平和と人類の幸福を目指し、“分断”を“結合”に変えるために、2000年(同12年)12月まで世界への平和旅を続けた。
 晴れやかに開幕した21世紀。01年(同13年)5月3日、待望のアメリ創価大学が開学。一方、9月にアメリカ同時多発テロ事件が起こる。伸一は、今こそ平和と対話への大世論を起こすべきと主張。
 11月、創立記念日を祝賀し、青年部結成50周年記念の意義を込めた本部幹部会で、青年たちに後継のバトンを託す思いで、「創価三代の師弟の魂」を受け継いでもらいたいと訴える。学会は新世紀の「第2の七つの鐘」へ、地涌の大前進を開始していく。