十字御書

「十字御書」を拝して  2015年正月 大白蓮華

 
誓願の人生に 無量の福徳 …正木理事長

世界広布新時代 躍進の年」が開幕。広布拡大の上げ潮の中、先生とともに、
大勝利の歴史を刻んでいきましょう。

大聖人は、前段で、「地獄」も「仏」も、我が一心に具わると仰せです。
つまり、「不幸」や「幸福」の根本の因は、「我らが心の内」にあると教えられています。
続いて、正月にあたり、決意新たに法華経を供養する女性門下の「御心」を賞賛し、「木より花のさき」「池より蓮のつぼみ」等と、その志には仏界の生命が芽吹いていると仰せです。

私たちは、ともすれば、「志」を持って供養した結果、「仏」になると考えます。しかしここでは、女性門下の「志」そのものが「仏」であるとされているのです。
では、仏の境涯、真の幸福とは、いかなることを言うのでしょうか。

牧口先生は“人生の幸福とは、価値創造にあり”と洞察されました。
「価値創造」の人生とは、最も偉大な価値である「人類の幸福を実現する」という大目的のために日々、行動を積み重ね、最高に充実した瞬間瞬間を生きること。それはまさに、広布誓願の「志」に生きる私たちの日常そのものなのです。

何の悩みも、何の苦難もない状態を、幸福とうのではありません。そこには人間的成長も、人間革命も、宿命転換もありません。
煩悩の薪を焼いて菩提の慧火現前するなり」710の御金言のごとく、苦難や悩みがあってこそ成長があるのです。ゆえに、仏法が示す成仏観、幸福観は、本来、“こうなったり幸せ”といった、到達点や完成を想定していません。

限りなき成長、限りなき人格向上への軌道に入ることが、成仏であり、あらゆる苦難を成長の因としながら、その成長の軌道を歩み続けることが幸福なのです。

先生は、綴っています。「『広宣流布の大願』と『仏界の生命』とは一体です。だからこそ――
この誓いに生き抜く時、人は最も尊く、最も強く、最も大きくなれる。この誓を貫く時、仏の勇気、仏の智慧、仏の慈悲が限りなく湧き出てくる」と。

広布大願の「志」こそ、「仏界の生命」です。大聖人の不惜身命の大闘争に連なる私たちは、「かをばしさのそなえたるがごとし」と仰せの如く、福徳に包まれた大満足の人生となっていくのです。

さあ、「さいわいを万里の外よりあつむ」主体者と輝き、わが地域を福徳で包みゆこうではありませんか。