「苦労」が生命を輝かせる 2017年6月11日

SEIKYO online (聖教新聞社):随筆など

池田大作先生 四季の励まし〉 「苦労」が生命を輝かせる 2017年6月11日

 
 

 仏法では
 「如蓮華在水」と説かれている。
 蓮華は泥沼から生じて、
 あの美しい花を咲かせる。
 同じように、
 どんなに厳しい状況にあっても、
 最高に価値ある人生を
 開いていけるのが仏法である。
 私もそう確信して生きてきた。
 今、どんなに苦しくても、
 決して負けてはいけない。
 幸福と栄光の人生へと、
 劇的に転換できるのが信心だ。

 白蓮は、花と実が同時に成長する。
 すなわち、原因(花)と結果(実)が
 同時に具わっている――
 これが「因果俱時」の法則である。
 ゆえに、いつか、どこかで、
 仏になるというのではない。
 今この時、
 真剣に妙法を説き弘めゆく、
 わが命に、即、
 仏の大生命が躍動してくるのだ。
 友のため、法のため、
 広宣流布のために行動することは、
 人の何倍も苦労が多い。
 しかし、それは自分自身の生命を、
 何よりも尊く強く美しく、
 光り輝かせていく道である。

 「負けじ魂」とは、一体、何か。
 それは、究極の「勇気」である。
 偉大な栄光は、
 悪戦苦闘なくして
 勝ち取ることはできない。
 ゆえに、真の「栄光の人」とは、
 負けじ魂を燃え上がらせた
 「勇気の人」なのである。

 必死の一念は、
 無限の活力を、智慧を、
 湧かせる源泉である。
 広宣流布のために
 断じて戦い抜こうとする
 強き一念の前には、逆境はない。
 すべての困難や悪条件は、
 闘魂の炎を
 燃え上がらせる風となる。

 美しく咲き薫る蓮の花。その横には、今にも開花しそうなつぼみが、太陽に向かって膨らんでいた。昨年7月、池田大作先生が東京・新宿区内で撮影した一葉である。
 「蓮華」は、中国で「君子の花」とも呼ばれ、古来、最も高貴な人間の姿を象徴していた。
 御書には、「蓮華と云うは地涌の菩薩に譬えたり」(833ページ)と。泥の中にあっても汚れることなく、清らかに咲く蓮華。その凜とした姿は、苦悩の多い現実社会の中で、地涌の使命に生き抜く創価の友のよう。
 蓮の花言葉の一つに「雄弁」とある。師弟の月・7月の凱歌へ――さあ、堂々と正義を語り、友情の大輪を満開に咲かせよう!