〈誉れの学園 世界市民を育む創価教育〉第12回=完 母校愛

SEIKYO online (聖教新聞社):特集・企画

〈誉れの学園 世界市民を育む創価教育〉第12回=完 母校愛 2017年6月14日

人類の幸福の港を守り抜け!
1990年5月5日、大阪・交野市の関西創価学園で開かれた同窓の集い。創立者・池田先生は、「創立者にとって、自分の創立した学校の生徒や学生、そして卒業生が、いかに、いとおしく、誇りに思えることか。それは、親の情愛とは、また違った次元の、深い、深い思いなのである」と語り、参加した卒業生・学園生らに真心の励ましを送った

 今春も、北海道の札幌創価幼稚園には、多くの卒園生が帰ってきた。ある卒園生は、手に小さな瓶を持って、当時の担任のもとを訪ねた。その小瓶に入っていたのは、「甲子園の土」だった――。
 彼は今、高校3年生。卒園後、北海道の小・中・高校に学び、野球に打ち込んだ。憧れの甲子園を目指す日々。厳しい練習に耐え、けがを乗り越えた彼の胸奥には、“池田先生に、幼稚園の先生方に、甲子園出場を報告したい”との思いがあった。
 そしてこの春、北海道代表校の投手として、甲子園のマウンドに立ったのである。
 試合の4日前、彼のもとに、創立者・池田先生からの伝言が届いた。“創価幼稚園出身で甲子園か。本当にうれしい”
 試合当日、創価幼稚園の職員室では、当時の担任をはじめ教職員が、祈るようにテレビを見つめ、声援を送っていた。
 チームは敗れたが、彼は甲子園の土を札幌に持ち帰り、小瓶に移した。そして、創価幼稚園の職員室を訪ね、当時の担任に手渡したのである。その瓶の中には、彼の「母校愛」が詰まっていた。
 札幌創価幼稚園では、1期生が卒園した1977年以来、小学1年生を対象に、卒園生の集いを開催してきた。2001年からは、小学1・4年、中学1年、高校1年と、卒園生が3年ごとに集う「21世紀卒園生大会」に拡充されている。
 卒園生大会には、北海道外からも多数の卒園生が参加する。東西の学園に進学して戻ってくる子も。親子2代にわたる卒園生も増えてきた。ある年の卒園生大会、一人の高校生が近況報告に立った。彼女は、卒園後、父親の転勤で北海道外の小学校へ。だが、クラスメートから言葉のなまりをからかわれ、仲間はずれにされてしまう。
 そんな小学4年次、彼女は卒園生大会で幼稚園に帰った。玄関に入った瞬間、先生方が駆け寄り、優しく抱き締めてくれた。手をつなぎ、そばで悩みを聴いてくれた。
 後日、彼女のもとに、教員の手紙が届く。「良い時も悪い時も連絡ちょうだいね」。悲しみを分かってくれる人がいる。いつでも帰れる場所がある。安心感に包まれた。
 彼女は猛勉強の末、念願の創価高校(東京・小平市)に合格。今、海外の創価幼稚園の先生になりたいと、勉学に励む。
 教員のもとには、卒園生だけでなく、保護者からも多くの電話やメールが届く。保護者と綿密に連携する中で、卒園生の近況や悩みを知り、「的確な励まし」を送ることができる。教員は、創価教育の父・牧口常三郎先生の“真の教育は、子どもに情熱を注ぐ教師と、教育者を全面的に信頼する父母が一体とならなければできない”との教育理念を体現し、卒園後の成長をも見守り続けているのである。
 札幌創価幼稚園の「母校愛」を象徴する一つのデータがある。それは、教職員の半数以上が卒園生だということ。8期生の八木伸子さんもその一人。在園当時から、「創価幼稚園の先生」に憧れていた。
 八木さんは、卒園の時、教員から掛けられた言葉を今も心に刻んでいる。それは、「自分から勇気を出して友達に声を掛けていくんだよ」。小学校では、この言葉を思い出し、そばにいた子に声を掛けた。その子とは今も、何でも話せる親友である。
 八木さんは語る。「先生方は、幼い私たちの未来まで見据えて、強く生きるための指針を送ってくれていたのだと感じます」
 池田先生は語っている。「この幼稚園からは一人も不幸な人を出さない」と。その信念を「わが決意」とする教員の声だからこそ、その言葉が光となって、子どもたちの未来を照らしていくのだろう。
 3月、札幌創価幼稚園に、卒園の歌「ずっと ともだち」が誕生した。離れていても心は一つ。僕も、私も、太陽の子。だから、皆を照らしていける――歌詞には、そうした園児の心が表現された。最後は、池田先生の言葉で結ばれている。「いつまでも ここがこころのふるさと」と。
 ◇
 近年、日本の教育現場では、「愛校心」を育てる授業が重視されている。その一例が「自校教育」の推進だ。それぞれの大学が授業の中で、自らの建学の精神や大学史、社会的使命などを学生に教えている。
 それによって、大学への愛着や誇りが芽生え、研究や課外活動、社会貢献への意欲向上につながり、それが後輩の良き手本になるという好循環をもたらすという。
 母校のことを知るのは簡単だ。しかし、母校愛は、一朝一夕に深まるものではない。創価学園では、約半世紀にわたり、母校愛を育む教育に力を注いできた。その推進役を担ったのは、池田先生である。
 先生は、「真の優等生とは、『母校を愛し続ける人』」との理念を掲げ、学園生に校訓、モットー、五原則、合言葉などを贈り、小説『新・人間革命』などでは、学園創立の淵源を示してきた。
 さらに先生は、生徒たちと共に、建学の精神を刻む校歌や愛唱歌も作ってきた。学園生の「母校愛」は、こうした池田先生の人間教育の中で育まれてきたのである。
 これまで、創価学園の卒業生は、さまざまな形で、母校への貢献を重ねてきた。
 受験相談に乗る人、クラブの後輩に技術を教える人、委員会の後輩を激励する人、寮生・下宿生の後輩を支援する人、定期的に学園の校舎を清掃している人もいる。
 また、学園に寄付や記念品等を寄贈する卒業生もいる。毎年のように、教育ソフトやクラブの備品などが贈られてきた。寮生・下宿生には、少しでも長い時間、郷里の両親に電話をさせてあげたいと、「テレホンカード」が贈られたことも。ハンバーガーやカップラーメン、お菓子が届くこともある。図書委員会の出身者の中には、毎年、図書の寄贈を続けている人もいる。
 また、東西の創価学園出身者による母校への寄付金は、「鳳雛奨学金」として、後輩をサポートしている。学園生の日常を支える“物”の中には、卒業生の真心が詰まった品が多くあるのだ。
 また、東西学園の各校では、卒業生らによる“講演会”が、毎年、定期的に開催されている。これは、多職種で活躍する方々を講師に招き、夢を実現した軌跡や仕事の魅力を話してもらうものだ。
 また、各校では、毎年、定期的に“キャリアガイダンス”も実施している。多分野に進出した数十人ほどの卒業生が、生徒との懇談や進路相談に乗るもの。そのほか、アメリカ創価大学に進学した卒業生らによる受験相談の場も設けられている。
 懇談に参加した生徒たちは、「先輩方のように、私も夢を実現し、学園に帰って来て、後輩をサポートしたい」と感想を。帰校した卒業生たちは、「毎年、学園に帰って来る日を目標にして、仕事で成果を出そうと努力しています」と。学園生も卒業生も、母校を「決意と成長の基点」として、自身の課題と向き合っている。
 ◇
 1990年7月17日、東京・創価学園の第23回「栄光祭」が開かれた。池田先生は、百年戦争で、イギリス軍に包囲されたフランスの港町カレーを救った英雄サンピエールの信念に触れ、学園生にこう語った。
 「この学園も、ひとつの、人類のための“幸福の港”である。大切な、この宝の港を断じて守り抜かねばならない。悪に蹂躙されてはならない。権威に利用されてもならない。人類のため、正義のために」
 開校以来、どんな時も、“慈父”のように、学園生を信じ、支え、励ましてきた創立者・池田先生。その思いを受け継いだ卒業生たちは、“兄”“姉”のように、愛する後輩たちの成長を見守っている。
 創立50周年の「誉れの学園」。池田先生と心を一つに、母校を守り抜く「英雄たち」がいるかぎり、創価学園は永遠に発展していく――。

池田先生の指針

 母校には、人生の原点がある。
 母校への誇りは自身の人生への誇りでもある。
 本当の優等生とは、一生涯、母校を愛し、同窓の友を大切にする人だ。
 ケンブリッジ、オックスフォードという、イギリスを代表する両大学の偉大さは、単に多くのノーベル賞受賞者や国家の指導者を出したことにあるのではない。真の偉大さは、そこに学んだ者に、生涯にわたる誇りを育んだことだ。
 そして、その誇りとは、自分こそが大学自体であり、母校の栄光を担いゆくのだとの自覚である。
 〈『新・人間革命』「対話」の章〉

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