〈社説〉 あす「世界難民の日」

SEIKYO online (聖教新聞社):社説

〈社説〉 あす「世界難民の日 2017年6月19日

他者に同苦し、尊厳を見いだす心

 ヨーロッパ、アジア、アフリカに囲まれ、美しい景観で知られる地中海。夏が近づき波が穏やかになると、ここにヨーロッパを目指す大量の難民を乗せたボートが現れる。粗雑な作りで到達前に沈没するものも多く、沖で溺れる難民の悲劇は近年、後を絶たない。
 なぜ海を越えるのか。イタリアへ渡ったシリア人男性は言う。「自分の命よりも大きなもの、もっと大きな夢のために命の危険をおかすんだ」と。住んでいた町が破壊され、自分は夢も希望も失った。しかし子どもは違う。「うまくいけば、私は3人の子供たちの夢を叶えられるかもしれない。子供たち、そして孫たちの夢を」(パトリック・キングズレー著『シリア難民』ダイヤモンド社
 あす6月20日は国連が定める「世界難民の日」。現在、紛争や自然災害などで難民・国内避難民生活になった人は、世界で6500万人を超える。
 先日、約130万人のシリア難民を受け入れているヨルダンから「ヨルダン・ハシェミット慈善団体」事務局長のアル=ムレフ氏が来日した。氏は本紙のインタビューで、難民に必要なのは「尊厳」であり、難民を数で見るのではなく“人間として扱う”姿勢であると語った。
 東日本大震災後、日本でも多くの人が惨状に心を痛め、自分にできる“何か”を模索した。創価学会は被災者の最後の一人が立ち上がるまで寄り添い続けるとの思いで、励ましを送ってきた。こうした“同じ人間として放ってはおけない”という心と行動こそ、切迫した状況を打開しゆく根本の力であろう。
 池田先生は、昨年発表した平和提言で「ささやかな行動だったとしても、それがあるかないかは、差し伸べられた人にとって決定的な重みをもつ大きな違いなのです」と述べている。
 先のシリア難民の男性は述懐する。戦争の恐怖、故郷を追われた苦しみ、粗雑な船で海を渡るつらさとトラウマ、新しい習慣や文化に適応する難しさ、未来への不安、子どもたちと家族の心配――「そうした大変なことはたくさんありましたが、私は多くのことを学びました。なかでもいちばん大きかったのは、どこに行っても必ず、この暗闇をがんばって突き進もうという希望と決意を与えてくれる人たちがいたことです」(前掲書)と。
 立ちはだかる問題がいかに大きくとも、目の前の一人に同苦し、希望を送り続ける。その先に国際社会が目指す「誰も置き去りにしない社会」はある。