100年分の美しき涙

皆様、おはようございます。
〈信仰体験 ブラボーわが人生〉第30回 100年分の美しき涙 2017年6月20日

「池田先生のこと これっぽっちも忘れられません」

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兵庫県豊岡市】こんなにも美しい涙を見たのは、いつ以来だろう。関岡加津枝さん(100)=出石常楽支部、地区副婦人部長=は、言葉を一つずつ区切りながら、師弟の思いを語ってくれた。「池田先生」と口にするだけで、込み上げる。しわだらけの手で、こぼれる涙を何度も拭った。「ただ、池田先生が大好きでな……」。純粋で、飾り気のない言葉の奥に、関岡さんの100年がある。

 年いって、もう100歳になりました。ちょうど100歳。耳は聞こえんし、物は言いにくい。ほいでも、題目だけは、題目だけは、いまだ負けずに、真剣にやってます。
 どんなことがあっても、池田先生に、ご報告できるような題目を……先生に……先生に。本当に苦労しましたけども、題目あげながら、負けずに、頑張っております。
 池田先生のこと、これっぽっちも忘れられません。先生は(胸に手を置いて)ここにおってくださる。祈ります。涙が出ます。
 題目あげてるとね、池田先生とお会いしたことが、スーッと思い出されるでよ。昭和43年(1968年)の豊岡です。ええ、お会いしましたがな。小さい孫を背負うて、先生への会いたさに、走って、走って。
 先生が、目の前にいてはったのに、「先生!」と、よう言わんかった。言いとうても、大勢おるから、言うたらあかんて。いまだに先生との写真(当時の光景)が、ここ(胸)に入っとる。ああ、忘れられません。
 題目あげなあかん。自分の肝に銘じとるで。絶対、題目。題目です。題目が仕事です。御本尊様に感謝して、題目あげてると、池田先生が「もっと頑張れ、もっと頑張れ。絶対に幸せになれる」と言うてくれはるようで。……先生……先生。祈ります。
 
 信心したんは、昭和35年の秋ですか。なんせ、あの時分は、みんな同じような貧乏。その中でも、うちは一番の貧乏やった。
 昔は、川で野菜を洗うてたからなあ。流れてくる白菜の端っこを拾って、食べたで。米はないわね。おじいさんの里に借りに行ったけど、「おまえらに食べさせる米はないわい」と。
 信心したことで、近所からバカにされた。バカにされてもね、「なにくそ、なにくそ。今に良うなる、今に良うなる」と思って、題目あげた。信心した。
 貧乏のどん底でも、貧乏とは思わんかったねえ。金もあらへんけども、題目あげては折伏。東京の方まで行きましたよ。着るもんを質に入れて、行きましたがね。
 新聞配達をさせてもろうたんです。暗いうちから、聖教新聞を降ろしてくれはる所まで、取りに行きましたよ。自転車によう乗らんから、稽古(練習)して。川にはまって、警察に「危ないで」と心配されて。ほいでも自転車は、坂を上ったり下ったりするのに具合がええんです。
 雪のえらい日は、14キロの道を歩いて、豊岡まで行ったがね。雪が降ろうが雨が降ろうが、新聞をぬらさんように配達してきたでな。新聞配達をやめたいとは思わへんねえ。先生のお手紙だと思い直しては、歩きました。思い出します。懐かしいです。
 
 御本尊様の前に、ずっと座ってきたでな。その姿を見て、子も、孫も、ひ孫もみんな、信心するようになってきた。それが一番うれしいです。涙が出ます。
 信心してなかったら、きょうの日はないねえ。つろうても、題目あげたおかげで、今がある。
 孫に、ひ孫に言うてます。「題目やで、題目やで。負けるなよ、負けるなよ」。お題目あげとったら、御本尊様が、みんな知ってくださいます。「しっかり信心せえよ。題目やで。題目やで。人間革命して、宿命転換できるでよ」。そう言うてきました。おかげさんで、子どもたちも宿命転換しております。
 お金には困らへん。もう、お金はいらへんなあ。買うもんがあらへん。みんなが持ってきてくれる。風邪もひかへんし、病気もせえへん。たまに足が痛いけど、今が一番、幸せやなあ思います。
 
 先生がいつも、ここ(胸)から見とってくれはる。先生とお話しする時があるでよ。「先生のおっしゃる通り、題目、題目。題目ですねえ」言うてなあ。
 御本尊様、池田先生、同志の皆さまに守られて……ああ、もったいないこと。「雨ニモマケズ/風ニモマケズ」で頑張ってきました。自分を褒めます。
 先生とお会いした時、「先生! 先生!」と言いたかった。言われへんかった。でも題目あげて、題目あげて、この年でようやく、池田先生とお話しできるようになったでよ。
 「池田先生……先生……。先生の教えを、わずかながらも、実践しております。おかげで病気もせず、けがもせず、100歳になりました。ありがとうございます……ありがとうございます」