金吾殿御返事(八風抄)

SEIKYO online (聖教新聞社):御書の解説

〈8月度 男子部「御書活動者会」研さんのために〉 四条金吾殿御返事(八風抄) 2017年7月29日

揺るがぬ自身を築こう
仏縁広げる「鍛えの夏」を
陽光を浴びて大輪を咲かせるヒマワリ。広布に汗する日々が、たくましき信心を育む(長野県松本市)=長野支局・森田昭治通信員

 8月度の男子部「御書活動者会(御書活)」では、「四条金吾殿御返事(八風抄)」を研さん。いかなる「八風」にも侵されない、「賢人」の生き方を学ぶ。

御文

 賢人は八風と申して八のかぜにをかされぬを賢人と申すなり、利・衰・毀・誉・称・譏・苦・楽なり(御書1151ページ)

通解

 賢人とは、八風といって、八つの風に侵されない人をいうのである。八つの風とは、利・衰・毀・誉・称・譏・苦・楽である。

背景と大意

 本抄は、日蓮大聖人が身延で認められ、苦境に立つ四条金吾に送られたお手紙で、別名を「八風抄」という。
 大聖人が佐渡から帰還された文永11年(1274年)、金吾は主君の江間氏を折伏する。しかし、これをきっかけとして、金吾は、極楽寺良観の信奉者であった江間氏から、疎まれるようになる。
 やがて、金吾を取り巻く状況は悪化。建治2年(1276年)には、領地替えの命令が下る。窮地に陥った金吾は、所領の件で主君を訴訟しようと思い詰めるまでになった。
 本抄は、こうした報告を聞かれたことに対する、金吾への励ましのお手紙である。
 大聖人は金吾に対し、仏法の上からも道理の上からも、恩ある主君に仕えていくことが、人間として正しい振る舞いであることを教えられている。

解説

 今回の拝読御文では、仏道修行を妨げようとする「八風」に侵されない、「賢人」の生き方が説かれている。
 「八風」とは、人々の心を惑わせ、仏道修行を妨げる八つの働きを示す。
 それぞれ、利益を得て潤うこと(利)、さまざまに損をすること(衰)、世間から軽蔑されること(毀)、世間から褒められること(誉)、人々からたたえられること(称)、人々から悪口を言われること(譏)、心身が苦しむこと(苦)、心身が楽しいこと(楽)。
 このうち、一般的に人々が望む「利・誉・称・楽」を四順といい、反対に、人々が嫌がり避ける「衰・毀・譏・苦」を四違という。たとえ一時的に四順を得ても、それは永遠に続くものではない。肝心なのは、世間の毀誉褒貶や目先の利害損得に振り回されないことである。
 本抄で大聖人は、「八風」に侵されることのない「賢人」を、諸天善神が必ず守護すると仰せである。
 「無風」の人生などない。「順風」が吹くこともあれば「逆風」が吹くこともある。大切なことは、環境に左右されず、全ての状況を勝利の人生への「追い風」「原動力」にしていくことである。
 では、どうすれば、表層の現象や感情に左右されず、絶対的な幸福を追求する「賢人の道」を歩むことができるのか。
 同じく金吾に与えられた御書に、「苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ」(1143ページ)とあるように、苦しくても、楽しくても、勇んで題目を唱え抜いていく信心の姿勢が重要なのである。
 その上で大聖人は、今回の研さん範囲に続く御文で、「檀那(弟子)と師匠とが心を同じくしない祈りは、水の上で火を焚くようなもので、かなうわけがない」(御書1151ページ、通解)と、広布の師匠に心を合わせて祈ることの大切さを強調している。この点を絶対に忘れてはならない。
 池田先生は、「八風に動じない確固とした自身を築くためには、正邪を峻別し、幸不幸の因果を説く『法』と『師匠』の存在が不可欠です」と指導している。
 1947年(昭和22年)8月14日、池田先生は戸田先生と出会い、10日後の24日に入信した。本年の8月は、この歴史的な師弟の出会いから70年の佳節となる。
 後継の男子部は、池田先生の闘争に学び、師弟の道、広布の道を歩み抜くことが、「八風」に侵されない自身を築く要諦である。
 「鍛えの夏」「成長の夏」が到来した。日々の目標を明確にし、仏縁を拡大するとともに、自身の境涯も大きく広げていきたい。