永遠なれ創価の大城〉22

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〈随筆 永遠なれ創価の大城〉22 未来部と共に成長 2017年8月1日

広布のバトンを「正義の走者」へ!
「従藍而青」を信じ 師子を育てゆこう
すくすくと伸びよ! 大切な未来の使者たちを慈愛で包んで。皆も共々に笑顔で見守る(1994年5月、モスクワで)

 新たな生命が、この世に生まれることは、何という希望であろうか。
 門下の子どもの誕生を喜ばれた御聖訓が、私の胸にこだまする。
 「法華経流布あるべきたね(種)をつぐ所の玉の子出で生れん目出度覚え候ぞ」(御書一一〇九ページ)
 わが未来部は一人ひとりが妙法の宝塔であり、広宣流布を担い立つ「玉の子」として、今この時に躍り出てくれた。
 ◇
 恩師・戸田城聖先生の出版社で私が働き始めたのは、二十一歳の時である。大変な毎日だったが、楽しくて嬉しくて仕方がない仕事があった。
 少年誌の編集である。
 “全ての子らが、正義を愛し、平和を愛する、よき人生を”と願った。
 よき言葉、よき物語を、子どもたちに届けようと、日本を代表する作家たちのもとを勇んで訪れ、誠心誠意、思いを伝えて、執筆や連載を快諾してもらった。
 依頼した作家の原稿が締め切りに間に合わず、自ら「山本伸一郎」のペンネームで、大教育者・ペスタロッチの伝記を書いたことも懐かしい。
 ペスタロッチは叫ぶ。
 「少年・少女が成長して、花咲いてゆくのをみることは名状し難い喜びではないか」と。
 私も同じ思いだった。ありがたくも今、「未来ジャーナル」や「少年少女きぼう新聞」を通して、若き宝友と心の対話を続けることができている。
 使命の花を咲き開かせていく未来部の友の姿に接する時、私の胸は、はち切れんばかりの喜びに満たされるのだ。

歌声に誓い込め

 七月の本部幹部会で、少年少女部、中等部、高等部の代表メンバーが、力強い演奏と共に、創価の希望の歌声を爽やかに響かせてくれた。
 一人ひとりが、勉強に、クラブ活動に、親孝行にと、挑戦を重ねて迎えた、感動のステージであった。家族の病や、学校でのいじめなどに負けず、祈りと勇気で勝ち越えた友もいると伺った。
 合唱してくれた歌は未来部歌「正義の走者」。
 第一次宗門事件の渦中の一九七八年(昭和五十三年)七月、私が岡山の地で作詞した歌だ。
   
 〽君も負けるな いつの日か
 共々誓いし この道を
 嵐も吹雪も いざや征け……
   
 「君よ」ではなく、「君も」と綴った。
 若きメロスよ! 君には、同じ志を抱き、嵐に挑む友がいる。
 君たちが進む道を開きゆかんと、苦難の道を走る創価の父母がいる。
 君たちの成長と勝利を厳然と見守り、楽しみに祈り待つ人がいる。
 ゆえに絶対に負けない。負けてはならない。同志と共に、父母と共に、「君も」また、断じて正義の道を踏破するのだ!
 私は、この万感の思いを歌詞に託した。
 誓いのバトンを受け取ってくれた当時の未来部の友は今、広布と社会のリーダーと光っている。
 未来部躍進月間――。「学会の永遠性の確立」の急所は、まぎれもなく、未来部の育成にある。
 伝統となった「E―1グランプリ」をはじめ、読書感想文や作文のコンクール、また「少年少女希望絵画展」も、皆で最大に応援していきたい。
 ◇
 人間教育において大事なポイントに、一方的に教えるのではなく、「共に学び、共に成長する」ということがある。これは、創価教育の父・牧口常三郎先生が先駆的に示されていた点でもある。
 学会の庭には、先輩も後輩も一体となって前進するなかで、人づくりの智慧が蓄積されてきた。
 各地の創価ファミリー大会なども、子どもたちと一緒に学会の歴史や活動の意義を学び、信心を深められるようにと、多彩に工夫されている。
 特に、壮年・婦人部の未来本部長、青年部の二十一世紀使命会、学生部の進学推進部長をはじめ、育成に尽力してくださる方々には、心からの敬意と御礼を申し上げたい。教育本部や国際本部等の尊いサポートにも、いつも感謝している。

「将棋」の思い出

 今、世界中で未来部世代の活躍が目覚ましい。
 二〇二〇年の東京オリンピックパラリンピックに向け、奮闘する十代のアスリート(競技者)たちの姿も眩いばかりだ。
 将棋界でも、中学生棋士の連勝記録が日本中の話題となった。
 実は、戸田先生も将棋がお好きだった。折々に、私も相手をさせていただいたものである。
 思い出深いのは、戦後の混乱の不況下で、戸田先生の事業が暗礁に乗り上げ、私が編集長を務めていた少年誌などの休刊が決まった日のことだ。
 先生は、いつものように、親しい来客に「一局どうだ」と、愉快そうに将棋を指しておられた。
 その泰然自若とされた王者の雄姿に、私も「何があろうと変わるまい。自分の今なすべきことを、なすまでだ」と、腹を決めたものである。
 ◇ 
 将棋の駒の「歩」は、じっと動かなければ、「歩」のままだ。しかし、一歩また一歩と、前へ進み、ひとたび敵陣に突入すると「と金」に成り、「金」と同じ働きをする。
 「桂馬」の動きは、面白い。いざという時まで動かないことで、敵の攻めを封ずることもある。
 駒それぞれに特性がある。一つとして意味のない駒はない。戦い続けていくならば、本来備わっている偉大な力を発揮することができる。
 人間も同じであろう。
 仏法は、桜梅桃李すなわち、一人ひとりが己の個性を伸ばし、開花させていく生き方である。
 未来部時代、また青春時代は、鋭敏であるゆえに、人と比べ、一喜一憂してしまうこともあるだろう。だが、決して悲観などすることはない。
 妙法と共に、広宣流布という偉大な誓願の人生に生き抜く時、誰もが、自分にしかない無限の可能性の花を、必ずや悔いなく咲かせ切っていくことができるからだ。

理想の人華の園

 将棋の起源は、古代インドの「チャトランガ」という盤上ゲームにあったとされる。それが中国をはじめ東アジアに伝わる中で、日本では「将棋」へと姿を変えていった。
 「仏法東漸」――インド発祥の仏教が東へ伝来してきた歴史と重なるようで、興味深い。
 先日、大発展するインドの地涌の若人二百人が、「先駆」の誉れも高き九州を訪れた。
 各地での交流交歓会で、歓迎の歌声や笑顔を広げてくれたのは、凜々しき未来部であった。
 国を超え、民族を超えて、同じ志を分かち合い、励まし合って進む、桜梅桃李の人華の園よ! 人類が願ってやまない理想の人間共和の縮図が、ここにこそあるのだ。
 この歓喜を、崇高さを、希望を、私たちは、自信満々と若き世界市民に伝えていきたい。

親子の心は感応

 御書には、「譬えば鳥の卵の内より卵をつつく時・母又同じくつつきあくるに・同じき所をつつきあくるが如し、是れ即ち念慮の感応する故なり」(八一〇ページ)と仰せだ。
 親が懸命に力を尽くし抜いた時、子も、その祈りに応えようとして、硬い卵の殻を割ることができる。生命の次元で、心と心は感応し合う。
 親の信心は、必ず子に伝わる。たとえ、時間がかかっても、回り道を重ねても、絶対に伝わる。
 飾る必要はない。失敗を恐れなくてよい。信念を曲げず、自ら決めた道を朗らかに進む。その親の生き方こそ、子に贈る「最上の宝」なのだ。
 ◇
 植物の「藍」から生まれ出る「青」は、重ねて染め抜くことで、藍にも増して色鮮やかに光る。同様に、後継の友を、自分以上に立派に、そして陸続と成長させるのだ。
 この「従藍而青(青は藍より出でて而も藍より青し)」の法理を、関わる側が信じ抜くことだ。
 「師子」を育てられるのは「師子」だけだ。
 「子どもを育てること、それ自体が平和のための仕事である」
 これは、忘れ得ぬ平和研究の母・ボールディング博士の信条であった。
 一人の未来部の生命を輝かせゆくことは、地球社会を希望で照らす平和の大事業なのである。
 いよいよ「未来部夏季研修会」が、八王子市の創価大学で始まる。
 世界各国でも未来部員が一堂に会し、有意義な研修会が行われている。 
 イタリアの研修会では、皆で御書を学んだ。教材は、かつて私が高等部に講義した「生死一大事血脈抄」。講師は、当時、講義を受けた高等部第一期生のリーダーである。半世紀を経て、滔々たる人材育成の大河は全世界に広がり、その伸展は世界同時進行である。
 さあ、創価の宝、人類の希望の未来部を励まそう! 共に成長しよう!
 広宣流布の永遠の流れを確立する聖業に連なる誇りを胸に前進し、充実と鍛えの夏を、健康第一で送ろうではないか!
    
 地涌の義は
  未来部にあり
   世界まで
  誉れの人材
    育つ嬉しさ
 
 (随時、掲載いたします)

 ペスタロッチの言葉は『ペスタロッチー全集1』長田新訳(平凡社)。