〈随筆 永遠なれ創価の大城〉24 「行学の闘士」の誉れ 2017年9月23日

〈随筆 永遠なれ創価の大城〉24 「行学の闘士」の誉れ 2017年9月23日

「天晴れぬれば地明かなり」
自信満々と学べ 語れ! 太陽の哲理を
さあ勇気凜々、希望の海へ!(池田先生撮影。21日、神奈川文化会館から)

 御本仏・日蓮大聖人は高らかに宣言なされた。
 「天晴れぬれば地明かなり法華を識る者は世法を得可きか」(御書二五四ページ)と。
 我らには「太陽の哲理」がある。「仏法」即「社会」という赫々たる英知の大光がある。
 ゆえに、いかなる混沌の闇にも惑わない。
 いかなる変化の乱気流にも怯まないのだ。
 夕張炭労事件の渦中、苦難をものともせぬ北海道の朗らかな同志と、この御文を心肝に染めて、意気天を衝く気迫で邁進したことも懐かしい。
 今年は、恩師・戸田城聖先生の熱誠によって、『日蓮大聖人御書全集』が出版されて六十五周年の佳節である。
 先生は「発刊の辞」に、我ら学会は「大聖人の御書を敬い之に親しむこと天日(=太陽)を拝するが如く」と綴られた。
 草創以来、創価家族は常に御書を開き、無限の生命の陽光を浴びて、確信の対話を広げながら一切を勝ち越えてきた。
 まさに、「御書根本で勝つ」ところに、学会精神の真髄がある。
 後半戦の出発に、わが愛する求道の同志は、教学部初級試験・青年部教学試験三級に取り組み、「行学の二道」の金の汗を流してきてくれた。
 合否を超えて、一人ももれなく信心の勝利者に――これが、私の偽らざる念願である。
 受験する宝友を支えてくれた先輩方に、満腔の感謝を捧げるとともに、この尊き研鑽を通して、実りの秋に“勝ち戦”の確かなリズムが刻まれたことを讃えたいのだ。

立正安国へ立つ

 この二十一日、私は妻と共に、三年ぶりに神奈川文化会館を訪問した。彼岸にあたり、追善回向をさせていただき、そして日本全国、全世界の同志に届けと真剣に勤行・唱題を行った。
 また、九州はじめ日本各地の台風の被災、カリブ海地域・米国南部を襲うハリケーンやメキシコの大地震等々、大規模な災害も続いている。
 「立正安国」を願われた大聖人の御心を拝しつつ、大切な宝友の無事安穏、速やかな復興、救援に当たる方々の健勝を強盛に祈る日々である。
 「正義」の神奈川は、まさしく大聖人が「立正安国」の大闘争を起こされた天地に他ならない。
 「立正安国論」には、「言わずんばある可からず」(同一七ページ)とある。一宗一派のためではない。民衆の幸福と安穏のため、「今、真実を語らずして、いつ叫ぶのか!」との炎の仰せであられる。
 一九五七年(昭和三十二年)の九月、核兵器の脅威が高まる中で、戸田先生は「原水爆禁止宣言」を、ここ神奈川から放たれた。それは、大聖人に直結する「立正安国」即「世界平和」への師子吼であったといってよい。
 この宣言の草稿を書き留められた先生の手帳も、懐かしく拝見した。
 六十周年の本年、神奈川の友は、世界の若人と共に、宣言の大精神を力強く響かせてくれた。
 折しも、国連本部で「核兵器禁止条約」の署名式が行われ、各国の署名も進む今、平和を願う市民社会の声をさらに結集し、強めてまいりたい。
 神奈川文化会館からの帰路、車窓から鶴見の記念講堂を眺めた。草創の鶴見支部の同志たちと「立正安国論」を学び合ったことも蘇る。
 「汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を禱らん者か」(同三一ページ)――今、お隣の韓国をはじめ世界中の同志も、「立正安国の対話」を誠実に繰り広げてくれている。
 わが一念の変革から、人生も、環境も、やがて世界も変えていける。その人間革命の哲理が、どれほど勇気と希望の光源となることか。
 「自他共の幸福」を祈り、友情の対話と社会への貢献を積み重ねることこそが、最も地道でありながら、最も確実な世界平和への直道なのだ。
 「立正安国論」の結論の段には、「汝早く信仰の寸心を改めて速に実乗の一善に帰せよ、然れば則ち三界は皆仏国なり」(同三二ページ)と呼び掛けられている。
 「決意」は即「行動」である。
 立つべき時に立つ!
 時を逃さずに戦う!
 電光石火の共戦こそ、創価の師弟の心であり、楽土を築きゆく地涌の闘争なることを忘れまい。

カッシナの戦い

 人生も社会も「いざ」という時が勝負である。
 芸術の秋、広島県立美術館で開催中の「レオナルド・ダ・ヴィンチと『アンギアーリの戦い』展」(東京富士美術館企画)で展示されている、誠に示唆深い名画がある。
 巨匠ミケランジェロが描いた「カッシナの戦い」の下絵の模写である。
 その戦いは、一三六四年、フィレンツェ軍が勝利した史実である。しかし、周到に準備して臨めた戦いではなかった。
 暑さをしのぐため、軍が休憩をとり、アルノ川で水浴びをしている最中に、突如、敵軍の襲撃の報せを受けたのである。
 さぞかし驚いたに違いない。だが、フィレンツェ軍の兵士たちは直ちに川から上がり、身支度を整え、郷土のための戦いに渾身の力で挑んでいった。その逞しい勇者たちの群像を、ミケランジェロは描いたのである。
 現実は、思いも寄らぬ事態に遭う時がある。
 しかし、逡巡せず決然と行動を開始するのだ。そして自らのなし得る限りを、信ずる仲間と共に一気呵成に果たしていくのだ。この「やらんかな」の心意気に、逆転勝利の道は必ず開かれる。
 「わたしは自分の今あるもろもろの条件の下で最善をつくすだけだ」とは、ミケランジェロの信条であった。

わが境涯を開け

 広宣流布、立正安国の大闘争は、そのまま一人ひとりが宿命転換を加速し、一生成仏の大境涯を開く戦いに他ならない。
 竜の口の法難、佐渡流罪という大難の中で、勇気ある信心を貫き通してきた一人の鎌倉の女性門下がいた。夫に先立たれ、幼子たちを抱えて懸命に生きる母であった。
 大聖人は、亡き功労の夫君のことも追善されつつ、心を尽くして一家を励まされた。そして仰せになられたのである。
 「法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる」(御書一二五三ページ)
 試練の厳冬の中にある誰もが、一人残らず幸福勝利の大歓喜の春を迎えられるように!――この御本仏の大慈大悲が胸に迫ってならない。
 戸田先生は、こうした御聖訓を通されながら、「大聖人が、功徳の出ない、境涯の開けない戦いをさせるわけがないんだよ」と言われていた。
 御書には、一人にここまでも心を配られるのかという、大誠実の「人の振舞」が随所に示されている。その究極の人間主義を深く学びながら、私たちも、一人ひとりを大切にし、一人ひとりと仏縁を結んでいくのだ。
 「御義口伝」には、「日蓮に共する時は宝処に至る可し」(同七三四ページ)ともお約束である。
 我らは、どこまでも、大聖人と「共に」、広宣流布へ、立正安国へ、仲良く賑やかに大行進していく。そして周囲も、いな自分さえも、あっと驚くほどの実証と功徳を現していただきたい。そう私は祈り続けている。

異体同心で前進

 熱原の法難に屈しなかった烈士たちのことを、御書には「御勘気を蒙るの時・南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経と唱え奉ると云云、偏に只事に非ず」(同一四五五ページ)と讃嘆されている。
 あの六十年前の雷雨の大阪大会の後、戸田先生は、この御聖訓を私にそっと示された。そして、「御本仏は、大作と関西の同志たちをさぞかし褒めておられるよ。学会は、この民衆の正義の声と不二の団結で、これからも、あらゆる戦いを勝ち切っていくのだ」と。
 二カ月後の九月二十五日、私は東京・葛飾の総ブロック長として、模範の地域の建設へ、熱き心の同志と共に出陣した。
 それは恩師の生涯の願業たる「七十五万世帯」達成へ、弟子の総仕上げの挑戦であった。
 私たちは第一に、勤行・唱題の「誓願の祈り」の呼吸を深く合わせた。
 第二に、どこまでも、「御書根本」の「法華経の兵法」で、智慧と勇気を湧き出して戦った。
 第三に、「異体同心の団結」をがっちりと固めながら前進した。
 この鉄壁の大東京のスクラムは、威風も堂々と「七十五万世帯」成就の原動力となり、師弟凱歌の栄光を飾ったのである。
 「日蓮が一類は異体同心なれば人人すくなく候へども大事を成じて・一定法華経ひろまりなんと覚へ候、悪は多けれども一善にかつ事なし」(同一四六三ページ)
 創価の「一善」の陣列に恐れるものはない。
 我ら「行学の闘士」は、正義の勝利の太陽を、断固と勝ち昇らせようではないか!
 ――神奈川文化会館からは青い海を望んだ。かつて船上の四国の友を、懐中電灯を振って見送ったことも思い出される。
 館内に、私が揮毫した「ああ陽は昇る」(神奈川の歌)の歌詞も掲げてあった。それを見ながら、妻と一緒に口ずさんだ。

この世悔いなく 暁鐘を 
広布の友は 雲と涌く
このリズムをば 誰人も
讃え仰がん 限りなく
ああ陽は昇る
   我等の同志にも
 
 (随時、掲載いたします)

 ミケランジェロの言葉は杉浦明平訳『ミケランジェロの手紙』(岩波書店)。