本部幹部会で紹介された池田先生の指針 2017年11月20日

本部幹部会で紹介された池田先生の指針 2017年11月20日

幸福の種子を世界に蒔きゆけ
題目にまさる力なし 妙法は希望の大音声
「いまだこりず候」と不屈の大闘争心で
1995年11月、本部幹部会が行われた大阪市の関西文化会館で。池田先生ご夫妻が、関西の有志が作成したオブジェを見つめる。この日の幹部会で先生は「妙法を唱える人生は、すべてが喜びとなる。すべてを変毒為薬できる」と語った

 「世界広布新時代第28回本部幹部会」(11日、巣鴨の東京戸田記念講堂)の席上、1995年11月の本部幹部会での池田先生のスピーチ映像が上映された。弘教拡大への指針として掲載する。

 一、日蓮大聖人は、仰せである。
 「題目を唱え奉る音は十方世界にとずかずと云う所なし、我等が小音なれども、題目の大音に入れて唱え奉る間、一大三千界にいたらざる所なし、譬えば小音なれども貝に入れて吹く時・遠く響くが如く、手の音はわずかなれども鼓を打つに遠く響くが如し、一念三千の大事の法門是なり」(御書808ページ)
 ――題目を唱え奉る音声は、十方(東西南北の四方と東南・東北・西南・西北の四維と上下の二方)の世界に届かない所はない。
 我々の小さな声でも、題目という「大音」に入れて唱え奉るゆえに、大宇宙の中で到達しない所はない。
 たとえば小さな音でも、ほら貝に入れて吹く時、遠くまで響くようなものである。また手の音はわずかでも、鼓を打てば遠くまで響くようなものである。一念三千の大事の法門とはこれである――と。
 妙法は、大宇宙に轟きわたる「希望の音声」である。「勇気の音声」である。人々の心を善の方向へ変え、喜びで包んでいく「智慧の大音声」である。
 生命の大音楽であり、大シンフォニー(交響曲)とも言えるであろう。
 題目の大音によって、三世間の五陰、衆生、国土のすべてが変わる。全宇宙の諸天善神、十方の仏・菩薩につながり、勝利の方向へ動かしていく。これが一念三千の法門である。
 ゆえに、題目の大音声にかなうものは何もない。何も心配もなければ、恐れる必要もない。
 題目にまさる力は何もないのである。
 この「大確信」で進んできたゆえに、学会の今日の大発展がある。
 これからも朗々と題目を唱えに唱えながら、「栄光の序曲」を奏でてまいりたい(大拍手)。

自分らしく貫く

 一、永遠不滅の大哲理を「信じ」「行じ」「学ぶ」ことが、どれほど豊かに人生を飾るか――。
 日蓮大聖人はこう仰せである。
 「譬えば春夏・田を作りうへつれば秋冬は蔵に収めて心のままに用うるが如し春より秋をまつ程は久しき様なれども一年の内に待ち得るが如く此の覚に入って仏を顕はす程は久しき様なれども一生の内に顕はして我が身が三身即一の仏となりぬるなり」(同411ページ)
 ――(一生成仏の法理とは)たとえば、春・夏に田を耕して種を植えるならば、秋・冬にはその実りを蔵に納めて、思うままに用いるようなものである。
 春から秋を待つ間は長いようであるけれども、一年の内に必ず来るように、この悟りに入って仏の境涯をあらわすまでは長いようであるけれども、一生の内に(仏の境涯を)あらわして、我が身が三身即一身の仏となるのである――
 一、蒔かぬ種は、生えない。すでに私どもは、「妙法」という「成仏の種子」を生命に植えたのである。
 これを育てるのが「仏道修行」である。育て切れば、必ず一生のうちに「仏」という「大境涯」の実りを得る。
 これが大聖人のお約束である。大聖人のお言葉には絶対に間違いはない。
 そして「一生成仏」した人は、次の世も、また次の世も、永遠に仏の境涯を得ることができる。
 だからこそ御本仏は、繰り返し「退転してはならない」「仏道修行を続けよ」と説いておられる。
 一、途中が順調でも、最後が不幸であれば、人生は敗北である。そういう人は多い。「一生成仏」は、最後に「勝利の総仕上げ」をするのである。
 ゆえに、焦ることはない。人をうらやむ必要もない。自分は自分らしく、仏道修行を貫き通していけばよい。
 途中で何が起ころうとも、嘆くことはない。最後に勝つ、一生の総仕上げで見事に勝つ――ここに仏法の精髄がある。
 「煩悩即菩提」であるゆえに、悩みがあっても、全部「成仏への滋養」となる。
 やがて、金秋の豊かな実りのような「熟達の人生」をもたらす。三世永遠に無量の福徳を広げる果実となる。
 そして、この最も尊き「幸福の種子」を、世界の人々の心田に蒔きゆくことが、広宣流布の大運動なのである。これほどの崇高な作業はない。
 目先の欲にとらわれた人々には、到底、想像もできない聖業なのである。
 すでに皆さまは、心に一生成仏の種を植えておられる。「苦労」があっても、それはすべて種子を果実とするための“肥やし”なのである。この大確信で生き抜いていただきたい(大拍手)。

青年よ勝ち抜け

 一、また、大聖人はこうも仰せである。
 「此法門を日蓮申す故に忠言耳に逆う道理なるが故に流罪せられ命にも及びしなり、然どもいまだこりず候法華経は種の如く仏はうへての如く衆生は田の如くなり」(同1056ページ)
 ――この法門を日蓮が説くゆえに、「忠言は耳に逆らう(正しい忠告ほど聞き入れられにくい)」という道理で、流罪され、命にも及んだのである。
 しかしながら、いまだにこりてはいない。
 法華経は種のようであり、仏は植え手のようであり、衆生は田のようである――
 御本仏は「いまだこりず候」と。どこまでも、どこまでも「一生涯、妙法流布」、これでいきなさいとの仰せと拝される。
 この大聖人正統の「不屈の大闘争心」が、学会精神である。
 一、創価学会は、大聖人の真実の御精神を体した仏勅の団体である。全世界に、ほかにはない大「創価学会」である。その真実の直系、広宣流布の後継者こそ、わが青年部である。
 ゆえに私は「青年よ、断じて、生き抜け。断固、勝ち抜け」と強く強く念願し、私のスピーチを終わりたい。ありがとう!(大拍手)