〈随筆 永遠なれ創価の大城〉25 師弟凱歌の物語 2017年12月1日

〈随筆 永遠なれ創価の大城〉25 師弟凱歌の物語 2017年12月1日

人間革命の「勝ち鬨」を高らかに!
「今」を燃えて生きよ! そこに栄光の「未来」が
紅の葉、黄金の葉、また緑の葉が幾重にも織り成す武蔵野の秋――。輝く錦繡の丘には、偉大な先師を讃える東京牧口記念会館の列柱が王者の如く堂々と(11月16日、池田先生撮影。八王子市で)

 錦繡の丘に立つ師弟の大城は、いつ訪れても、荘厳である。
 八王子の東京牧口記念会館は、紅と黄金の千葉万葉に包まれ、柔らかな陽光に照らされていた。
 広宣流布と立正安国の大闘争に殉じていかれた先師の崇高なご生涯を偲び、「初代会長牧口常三郎先生顕彰室」で、私は妻と勤行・唱題を行った(十一月十六日)。
 日本の軍部政府による弾圧で、牢獄に囚われてもなお一歩も退かず、看守とも信念の対話を重ねられた牧口先生である。
 獄中からの最後の便りに、「三障四魔ガ紛起スルノハ当然デ、経文通リデス」と記されていた。
 当時、七十三歳。寒く狭い独房にあっても、その命には、まさしく「師子王の心」が明々と燃え上がっていたのである。
 妻は幼き日、実家での座談会にお迎えした牧口先生とご一緒に題目を唱えた。先生の威風も堂々たる音律は、命に刻みついて離れないという。
 「御義口伝」には、師子吼の意義について、「師弟共に唱うる所の音声なり」(御書七四八ページ)と説かれる。
 我ら創価の師弟は、常に初代会長の広布への「不惜身命」「死身弘法」の大精神に連なって、勤行・唱題の会座に臨む。ゆえに、いかなる三障四魔も断じて恐れることはないのだ。

命の限り前へ!

 学会家族の前進の大目的は、全人類の幸福と、地球の平和という遠大にしてロマンあふれるドラマの実現だ。これは、師から弟子へ、親から子へ、世代から世代へと語り継がれ、受け継がれていく大叙事詩である。
 命の限り、前へ前へ! 日蓮大聖人は、「身の力・心のはかり事・先先には百千万ばい(倍)こへたり」(同一〇六二ページ)とも表現されている。
 妙法に生き抜く色心に、停滞はない。胸中の生命力はいや増し、無量無辺の福智を発揮していけるのである。
 尊き広布の幾春秋を重ね、唯一無二の人間革命の物語を綴っておられる全国・全世界の同志に、ますますの健康あれ! 幸福あれ! 栄光あれ!と、今日も私は妻と祈りを重ねている。

牧口先生の御書

 東京牧口記念会館の顕彰室には、牧口先生が使われた「御書」が展示されている。至る所に剣豪の如き研鑽の跡がある。
 「開目抄」のページを開くと、「大願を立てん」(同二三二ページ)の個所には二重線が引かれ、欄外にも大きく赤い文字で「大願」と記されている。
 「誓願の心」こそ、法華経の行者の心であり、日蓮仏法の魂であり、仏教の根幹なのである。
 釈尊は、「最上の幸福」とは何かと問われ、自ら「正しい誓願」を起こすことこそが、「こよなき幸せである」と答えた。
 確固たる誓願を立てた人は強い。負けない。状況がどうであろうと、他人から何を言われようとも、動じることはない。
 「開目抄」に「其の外の大難・風の前の塵なるべし」(同ページ)と仰せの通り、大いなる確信と喜びを人生に与えてくれる揺るぎない力こそ、正しい誓願なのである。

誓願の道を70年

 では、最も正しい誓願とは何か。それは、最も正しい人生の道を貫き通すことだ。
 大田区蒲田の座談会で初めて恩師・戸田城聖先生とお会いした時、十九歳の私は質問した。
 「正しい人生とは、いったい、どういう人生をいうのでしょうか」
 戸田先生は、初対面の一青年に、懇切丁寧に答えてくださった。
 日蓮大聖人が人生の最重要の難問題、すなわち「生老病死」の打開と生命の尊厳を解き明かされていることを力説され、こう私を力強く励まされたのである。
 「実践してごらんなさい。青年じゃありませんか」と。
 師を信じ、誓願の道を走り始めて七十星霜――こよなく正しい人生の物語を、師と共に、同志と共に示し広げてこられたことに感謝は尽きない。
 小説『人間革命』も、「正しい仏法とは何か」「正しい人生とは何か」を、創価の師弟を通して後世に伝えたいと願い、愛する沖縄の天地で執筆を開始した。「黎明」の章を書き起こして、あす二日で五十三年となる。沖縄では、その意義を踏まえ、希望の声弾む、記念の「地区ファミリー総会」を県内全土で開催されると伺っている。
 小説『新・人間革命』第三十巻は、いよいよ「勝ち鬨」の章へと入る。ここまで続けてこられたのも、ひとえに読者の皆様の温かなご支援ありてこそである。

ドラマは続く!

 かつて、聖教新聞で小説『高杉晋作』を連載してくださった山岡荘八氏も、幾度となく「人間革命」と語られていた。
 唯一の戦争被爆国である日本に生きる一人として、戦争の残酷さを痛感されていたのであろう。一九五〇年(昭和二十五年)から新聞連載が開始された名作『徳川家康』第一巻の「あとがき」には、こう綴られている。
 「新しい哲学によって人間革命がなしとげられ、その革命された人間によって社会や政治や経済が、改められたときにはじめて原子科学は『平和』な次代の人類の文化財に変ってゆく――」
 そして、この夢を自著『徳川家康』に託して、「人間革命の可能」を限界まで描こうとする気概を述べられていたのだ。
 ゆえに今、世界百九十二カ国・地域に広がった、創価の「人間革命」の大連帯を、きっと喜んでくださるに違いない。
 ともあれ私も、毎朝、聖教新聞を配達してくださる「無冠の友」の方々をはじめ、不二の言論の同志との「共戦」の思いを込めて、力の限り執筆を続けていきたい。
 「一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする」――この命題を託して、幾百万の庶民の蘇生のドラマと、師弟の凱歌の物語を描き留めていくのみである。

「心の一法」から

 本年、日中国交正常化の四十五周年を記念し、ご一緒に対談集を発刊した中国の王蒙元文化相が強く訴えられていた。
 ――現代人が科学技術などの物質的な価値ばかりを追求してきた結果、世界は今、「人間の心」の問題に直面している。これからは一層、精神的な価値を生み出すことが重要である、と。
 仏法では「心の一法より国土世間も出来する事なり」(御書五六三ページ)と説かれている。
 戦争も飢餓も、地球環境の問題も、詰まるところ、全て人間の「心の一法」に帰着すると言って決して過言ではない。
 不可思議にして、つかみがたい心を、聡明に、また豊かに広げながら、善へ、正義へ、平和へと力強くリードする法こそ、我らの信奉する日蓮仏法に他ならない。
 この大確信と誇りの炎を燃やしながら、わが心の輝きをもって、今いる家庭を、地域を、職場を、そして社会を、国土を、希望の大光で照らしていこうではないか!

英知・情熱・勝利

 明二〇一八年、わが学会は「世界広布新時代 栄光の年」と掲げた。
 学会の年間テーマに初めて「栄光」の二字が輝いたのは、半世紀前の、一九六八年(昭和四十三年)である。
 発表したのは、前年(一九六七年)の十一月、青年部総会の席上である。
 この折、私は若人たちに三つの指針を贈った。「英知」「情熱」そして「勝利」と。「栄光の年」の主体者は青年を措いて他にないと固く信じ、託したのである。
 広宣流布大誓堂の完成五周年を迎える明年は、新たな世界広布の五十年を開く一年となる。
 栄光への門出に当たり、信ずる地涌の青年たちに、そして全国・全世界の宿縁深き同志たちに、私は今再び捧げたい。
 「英知」――徹して御書を学び、英知を磨け! ここに人類の未来を照らす直道があるからだ。
 「情熱」――折伏への情熱を忘るな! 自他共の幸福に生きよ! 学会は永遠に折伏の団体だ。
 「勝利」――他の誰でもない、自分に勝て! 今日を勝て! その源泉こそ、勤行・唱題のたゆみなき実践なり。 
 「生きているあいだ何事も先へのばすな、きみの生は行為また行為であれ」とは、ドイツの文豪ゲーテの叫びである。
 限りある人生だ。同じ生きるなら、わが生命を最大に充実させたい。
 「今」を完全燃焼して生きることが、一つまた一つと栄光の「未来」を開くことになる。
 御本仏は宣言された。「所詮誓願と云うは題目弘通の誓願なり」(御書八四六ページ)と。
 さあ、「広宣流布」の大誓願を掲げ、世界の友と出発しよう! 共々に人間革命の「勝ち鬨」を高らかに上げるのだ! 
 わが広布の足跡も、我らの地域の前進も、全て「未来までの栄光の物語」になると確信して!

 (随時、掲載いたします)

 釈尊の言葉は『ブッダのことば』中村元訳(岩波書店)、山岡荘八は『山岡荘八全集1 徳川家康 第1巻』(講談社)、ゲーテは「ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代」(『ゲーテ全集8』所収)登張正實訳、潮出版社