〈教学〉 2月度「御書講義」の参考 法華証明抄  2018年2月13日

〈教学〉 2月度「御書講義」の参考 法華証明抄  2018年2月13日

御書全集 1586ページ12行目~1587ページ8行目
編年体御書 1390ページ12行目~1391ページ8行目
いかなる苦難も乗り越える妙法の大功力

 2月度の「御書講義」では「法華証明抄」を学びます。拝読範囲は「地にたうれたる人は・かへりて地よりをく~日蓮が言をいやしみて後悔あるべし・後悔あるべし」(御書全集1586ページ12行目~1587ページ8行目、編年体御書1390ページ12行目~1391ページ8行目)です。ここでは、拝読の参考として、本抄の背景と大意、また、拝読範囲の理解を深める解説を掲載します。

背景と大意

 本抄は弘安5年(1282年)2月28日、日蓮大聖人が61歳の時に身延で著され、駿河国静岡県中央部)の門下・南条時光に与えられたお手紙です。
 熱原の法難の渦中に、迫害の矢面に立って強盛な信心を貫いてきた時光は、この時、24歳でした。時光が重病であるとの報告を受けて、本抄は認められています。
 本抄の冒頭で大聖人は、末法において法華経を信受し実践する人が、いかに大善根を積んだ人であるかを示され、病床に伏す時光に、勇気と希望を送られます。
 続いて、時光について、(戦闘で人を殺したりする)武士の家に生まれたので悪人と言わなくてはならないところだが、心は善人であると仰せです。
 その理由として、難が競い起ころうとも揺らぐことなく信心を貫いてきた両親に続き、自ら信心に励んでいるからであると述べられます。
 そして、時光が激しい障魔との戦いの中にあっても信心を貫いてきたことで、成仏は間違いないという境涯に達したからこそ、天魔や外道が病を起こし、信心を脅そうと試みているのだと教えられます。
 最後に、時光を苦しめる鬼神を厳しく呵責され、病魔をはね返す大境涯を示されています。

過去の宿縁――「法華経」によって必ず成仏

 日蓮大聖人は拝読範囲の前段で、末法法華経を信じる者が、いかに過去世から仏法と宿縁が深厚であるかを示されています。
 本抄の冒頭では、末代悪世で法華経を持つ者は、過去に十万億の仏を供養した人であることが強調され、このことは、釈尊一人の説法だけではなく、多宝如来も、十方の諸仏も証明していることであると明言されています。
 その上で大聖人は、「いかなる過去の宿習にて・かかる身とは生るらむと悦びまいらせ候」(御書1586ページ)と仰せです。混乱と苦悩が渦巻く末法にあって、法華経を持つことが、どれほどの福運であり、どれほどの宿縁であるか――。このことを確信して、法華経を実践すれば、いかなる苦難をも勝ち越え、成仏という絶対的な幸福境涯を得ることができると教えられているのです。
 一方、十万億の仏を供養した大福運の者が、悪世に生まれて苦労するのは、なぜでしょうか。それは、謗法、すなわち法華経への誹謗が過去世にあったからだと示されています。
 しかし、福徳があるゆえに、逆縁によって、今世で法華経を信ずる人として生まれて、最後は法華経の力によって成仏することができると断言されています。
 今回の拝読範囲の冒頭で大聖人は、妙楽大師の「法華文句記」の文を踏まえて、「地にたうれたる人は・かへりて地よりをく」と仰せです。
 これは、たとえ法華経への誹謗によって、ひとたび悪道等に堕ちたとしても、正法との縁が結ばれたことによって、必ず、その正法によって救われることを譬えたものです。
 地によって倒れた者は、地によって立つことができる――。法華経を誹謗した者は、法華経によって必ず救われるという、妙法の計り知れない功徳が説かれています。

不退の信心――勇敢な心で広布へ前進!

 大聖人は本抄で、殺生をなりわいとする武士の家に生まれた南条時光であっても、「心は善人なり」と仰せになり、大聖人を外護し、妙法流布に懸けた純粋な信心を称賛されています。
 そして、「すでに仏になるべしと見へ候へば・天魔・外道が病をつけてをどさんと心み候か」と述べられ、さまざまな迫害の中をひるまずに信心を貫いてきたがゆえに、時光が成仏することは間違いない。その成仏を妨害しようとする魔の働きとして、このたびの病気が生じたのであると示されています。
 信心をしていても、さまざまな試練や苦難に直面することがあります。“なぜ、こうした問題に直面するのか?”という時光の疑問に対して大聖人は、“それは信心が進んだために起こるのである”と断言されています。
 難を乗り越えていくところに成仏の境涯が開かれていきます。
 大聖人は時光に、さらに深い確信に立って進んでいくように励まされていると拝されます。
 他の御書で大聖人は、「行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競い起る」(1087ページ)との天台大師の言葉を引用されています。信心に励むゆえに、信心を妨げる三障四魔が競い起こることは、仏法に照らして当然の道理です。
 大事なのは、その時にこそ勇気を奮い起こし、信心根本に立ち向かっていくことです。
 拝読御文の「命はかぎりある事なり・すこしも・をどろく事なかれ」との言葉には、妙法によっていかなる苦難をも打開できるという大確信が込められているのです。

病魔に勝つ――鬼神を叱咤する強盛な祈り

 拝読御文に、「鬼神めらめ此の人をなやますは剣をさかさまに・のむか又大火をいだくか、三世十方の仏の大怨敵となるか」とあります。これは、南条時光を苦しめる病魔に向かって、日蓮大聖人が厳しく呵責されている箇所です。
 「鬼神」とは、超人的な働きをするもので、仏道修行者を守護する働き(善鬼神)と、生命をむしばむ働き(悪鬼神)に大別されます。
 大聖人は「鬼神に二あり・一には善鬼・二には悪鬼なり、善鬼は法華経の怨を食す・悪鬼は法華経の行者を食す」(御書1246ページ)と示されています。
 拝読御文は、鬼神が病によって時光を苦しませることは、“法華経を持つ者を守護する”との法華経の会座での誓いを破ることになり、あらゆる仏の大怨敵となることなのだと強く戒められています。
 さらに、鬼神が善の働きを起こして、時光の病を治し守護する場合には、鬼神が餓鬼道の苦しみから免れられることを示されています。
 本抄を御執筆された当時、大聖人御自身も病と闘われていました。しかし、病魔と闘う時光を励ますために、本抄を著す3日前に時光への激励の言葉を語り、それを弟子の日朗に代筆させて、お見舞いの書状を送られています。
 さらに今度は、大聖人自ら筆を執って本抄を認められたのです。しかも本抄には「法華経の行者 日蓮(花押)」と記されており、大聖人が「法華経の行者」として、妙法弘通の後継の弟子に厳愛の御指導をされるとともに、時光を苦しめる鬼神を叱咤されています。
 師匠の仰せ通りに信心を貫いた時光は、その後、大病を乗り越えて健康を回復し、74歳で亡くなるまで、広宣流布のために尽くしていきました。
 偉大な妙法への確信に立ち、鬼神をも従えて難を乗り越えていくとの、大聖人の強盛な祈りが、御文には込められているのです。