〈2月度 男子部「御書活動者会」研さんのために〉 法蓮抄 2018年1月30日

〈2月度 男子部「御書活動者会」研さんのために〉 法蓮抄 2018年1月30日

全ては「一人」の勝利から!
破竹の勢いで「3・16」へ
厚田港から白銀にきらめく日本海を望んで(北海道石狩市)。“一人立つ”創価の源流から人材は澎湃(ほうはい)と

 2月度の男子部「御書活動者会(御書活)」では、「法蓮抄」を研さん。万人成仏の原理とともに、「一人立つ」精神の重要性を学ぶ。

御文

 地獄の一人・餓鬼の一人・乃至九界の一人を仏になせば一切衆生・皆仏になるべきことはり顕る、譬えば竹の節を一つ破ぬれば余の節亦破るるが如し
 (御書1046ページ)

通解

 地獄界の一人といい、餓鬼界の一人といい、つまりは九界の中の一人を仏にすることによって、一切衆生が皆、仏になることができるという道理が顕れたのである。たとえば、竹の節を一つ割れば、他の節もそれにしたがって割れるようなものである。

背景と大意

 本抄は建治元年(1275年)、曾谷教信が父の十三回忌に当たり、日蓮大聖人への御供養と、諷誦の状(=追善供養の時に読み上げる文)をお送りしたことに対する御返事である。
 本抄を頂いた曾谷教信は、下総国葛飾郡曽谷(千葉県市川市曽谷)の領主であった。富木常忍や大田乗明と共に、大聖人の「竜の口の法難」「佐渡流罪」という最大の法難の渦中にあっても、動揺することなく戦い抜いた。大聖人はその信心をたたえられ、教信を「法蓮上人」と呼ばれている。
 本抄ではまず、法華経の行者を賛嘆する功徳と、釈尊を供養する功徳とを比較され、法華経の行者を供養する功徳が、よりすぐれていることを示される。そして、亡き父の追善のために自我偈を読誦してきた功徳の大きさを、故事を引いて述べられる。
 続いて、法華経は一々の文字が皆、生身の仏である故に、教信の読んだ経文の文字が仏として現れて、慈父の聖霊を助け救うであろうと教えられ、教信の孝養の尊さを称賛される。

解説

 日蓮大聖人は本抄で、法華経こそ、真実の孝養の経典であると教えられている。
 なぜ法華経が、真の孝養の経なのか。それは、法華経だけが一切衆生を成仏に導くことができるからだ。
 法華経以前の爾前経では、地獄界から菩薩界までの九界と仏界が断絶していたため、何度も生まれ変わって修行し続け、九界の迷いの生命を断ち切らなければならないとされていた。
 一方、法華経では「十界互具」が示され、どんな境涯の衆生にも仏界をはじめとする「十界の生命」が等しく具わっていることが明かされた。
 これによって、拝読御文にある「地獄の一人」でも「餓鬼の一人」でも、仏の生命を開くことが可能となった。そして、地獄界や餓鬼界といった九界の一人が成仏することで、万人の成仏が示されると教えられている。
 大聖人は、この道理を、「竹の節を一つ破ぬれば余の節亦破るるが如し」と仰せである。竹は、一つの節が割れれば、他の節も次々と割れていく。同じように、苦しみの人生にある「一人」が、仏法の実践によって幸福になることは、苦悩を背負った全ての人たちに、幸福の道を開くことに通じる。
 だからこそ、目の前の「一人」を励まし、正しい軌道に導いていくことが大切なのである。
 若き池田先生が広布拡大の先頭に立ち、師子奮迅の戦いで拡大の突破口を開いた「二月闘争」においても、先生は最前線の一人一人に光を当て、激励に徹した。
 この先生の励ましによって立ち上がった「一人」が、また「一人」へと信心の歓喜を広げ続けた結果、未曽有の拡大が成し遂げられた。まさに、「真剣の一人」の挑戦から破竹の勢いが生まれ、壁は破られたのだ。
 池田先生は、米国の未来学者ヘイゼル・ヘンダーソン博士と対談した折、創価学会がなぜ世界的な発展を遂げたのか、との質問に対し、「『徹して一人の人を大切にしてきた』からです」と答えた。
 一人の成仏が万人の成仏を開くように、一人の勝利が、一切の勝利を開く。
 「3・16」60周年を記念する「世界青年部総会」に向け、いよいよ“新時代の二月闘争”が始まる。池田門下の男子部は、皆が“一人立つ勇者”となり、どこまでも「一人」への励ましに徹しながら、弘教と人材拡大のうねりを一段と起こそう!