世界広布新時代第35回本部幹部会 関東総会から(要旨) 活動体験 千葉 柏総県 朝倉禎史 総県総合長 2018年6月12日

世界広布新時代第35回本部幹部会 関東総会から(要旨) 活動体験 千葉 柏総県 朝倉禎史 総県総合長 2018年6月12日

36歳で医師免許を取得 2人の子も医療の道に
信心根本に勝利の人生開く
 

 一、私はいわゆる“学会3世”です。小学生までは、“転勤族”だった父の仕事の影響で、数年ごとに転校を繰り返していました。
 1973年4月、小学5年生の時に住んでいた東京・大田区では、池田先生との記念撮影会に参加する機会に恵まれました。
 その数日前、担当のお兄さんが、参加者で提出する少年部員カードを、わが家に持ってきました。「将来の志望」の欄に、私は「医師」と書きました。とはいえ、当時は、それほど真剣には考えていませんでした。大学卒業後は、予備校の講師になりました。
 働き始めて約1カ月後の早朝、突然、息苦しくなり、そのまま意識を失いました。気が付いた時は病院のベッドの上。倒れてから何日も経過していました。病名は「急性気管支ぜんそくの重積発作」。5分以上の心肺停止に陥り、まさに生死の境を、さまよいました。
 “家族や同志の祈りに守られた”と心から感じた私は、それからは男子部の活動にも、折伏にも全力で挑戦しました。当時、対話していたある友人は、会館に来るだけで体調が悪くなるほど、学会に拒絶反応を示していましたが、諦めずに祈り、対話を続けました。
 350万遍の題目をあげ抜いた時、彼女の方から「信心をやってみる」と言ってくれ、ついに入会に導くことができました(拍手)。その女性は今では分県婦人部長を務め、さらに私の妻も“兼任”しています(笑い)。
 妻とは89年に結婚し、その翌年には長男が誕生しました。
 仕事に活動に張り切っていたところ、再び重篤な発作に襲われました。幸いにも再び一命を取り留めることができましたが、乳児を抱える妻を不安にさせた申し訳なさとともに、助かった命の使い方を決めたいと御本尊に向かいました。すると、脳裏に、あの小学生の時の先生への誓いがよみがえりました。
 思い切って妻に打ち明けたところ、「夢があるなら応援する」と後押しをしてくれ、28歳で医学部受験への挑戦を開始しました。
 必ず1年で結果を出すと決め、猛勉強を開始。学会活動にも、一歩も引かずに取り組みました。誓いと祈りと執念、予備校講師としての受験ノウハウ、全てがかみ合い、目標通り、1年で医学部に合格することができました(拍手)。
 しかし、それから6年間の学生生活が大変でした。実習などもあるため、アルバイトすら満足にできず、蓄えていた貯金も底をつきました。
 生活に見合った家賃で、かつ男子部の会合に使える広さの住まいを探して8度も引っ越しを繰り返し、あるアパートでは雨もりにも悩まされました。それでも愚痴を言わず、明るく支えてくれた妻には本当に感謝しています。
 組織でも部長、本部長、圏男子部長を、全てやり抜き、36歳の時、晴れて医師免許を取得することができました(拍手)。
 一、医師となってからも信心根本の姿勢を貫こうと、皆が深夜まで大学に残るのを尻目に研究を切り上げ、学会活動に向かいました。仕事も活動も一切、手を抜かずに取り組むと腹を決めると、手掛けた研究でも不思議と守られ、同期の中で最も早く医学博士号を取得することができました(拍手)。
 診察の現場でも、インフォームドコンセント――患者さんへの十分な説明と同意が求められる場面で、多くの医師がコミュニケーションに四苦八苦している中、学会活動で身に付けた同苦の実践が大いに役立っています。
 青年部時代は、創価班でも戦わせていただきました。2001年9月、池田先生が出席された「第1回千葉青年部総会」に壇上役員として任務に就かせていただいたことは生涯の原点となっています。
 実は、この前日の役員会で、先生の体調が優れないことを伺いました。役員として会合を成功させたい思いと、医師として先生のお体を心配する思いが交錯し、複雑な思いで当日を迎えました。ところが、壇上の先生は体調のことなど全く感じさせない気迫で、アメリカの同時多発テロ直後で動揺する世界の同志に向けて、師子吼されました。
 「平和を願うならば、平和の準備をせよ! すなわち、断固として広宣流布せよ!」と。先生の平和への闘争心に触れ、生涯、先生に続こうと誓いました。
 壮年部に移行してからも、ブロック長、地区部長、支部長と、不規則な仕事をやり繰りし、頂いた使命に全身全霊で臨んできました。総県長を経て、総合長となった今も、病気で悩む友がいると聞けば、訪問・激励に向かい、「抜苦与楽」こそわが使命と、一人への励ましに徹しています。
 一、本年は、池田先生が柏文化会館を訪問されてから30周年。この佳節を勝利の実証で飾ろうと柏総県の同志は総立ちとなって戦い、この関東総会に向けた戦いでも、総県でブロック1の拡大を達成。私自身も本尊流布を達成して、本日を迎えることができました(拍手)。
 私が医学生だった頃、机を並べて小学校の宿題をしていた息子も、学ぶこと、挑戦することの喜びを感じ取ってくれたのか、自ら医師を志し、現在は埼玉の大学病院で若手医師として奮闘しています。
 女子地区リーダーの娘も、兄に続き、現在は医学部6年生。2人とも広布の庭で育ってくれたことが、何よりの喜びです。 
 明年には、地元に待望の我孫子文化会館が完成します。この建設のつち音に合わせ、同志と共に、人生の幸福と、地域広布の盤石な基盤を必ずや築いていく決意です(拍手)。