座談会 師弟誓願の大行進〉44 仏法の本義に基づく学会の「友人葬」 2018年7月2日

座談会 師弟誓願の大行進〉44 仏法の本義に基づく学会の「友人葬 2018年7月2日

自行化他の実践こそ最高の追善
師弟の月・7月 上半期の総仕上げを!
真心の唱題は、故人をも包みゆく。広宣流布へと進む功徳を“回らし向ける”のが、追善の本義(学会の墓地公園・納骨堂で)

 永石 師弟の月・7月――「広宣流布大誓堂」完成5周年を目指した本年の活動における、上半期勝利の総仕上げの時です。

 伊藤 池田先生は言われています。「七月三日とは、真正の弟子が決然として、また憤然として――一人、立ち上がる『師弟の日』だ! 勇気凜々と、生まれ変わって戦いを開始する日だ! 師匠が命懸けで勝ち開いた世界に連なる日だ!」と。

 原田 この指針のままに、本年がスタートした際、各地区や各人で立てた上半期の目標の成就に向け、皆で決意を新たに進んでいきましょう。

 永石 6日からは、「励まし週間」も始まります(12日まで)。「訪問・激励」を通じ、一人でも多くの友が、広布の使命に立ち上がり、「師弟共戦の道」を歩んでいけるよう、力を尽くしてまいりたいと思います。

 原田 小説『新・人間革命』第30巻の上巻が発刊され、完結に向けて、「誓願」の章の連載も進んでいます。この大事な時に、池田先生と共に、広布の道を歩めることが、どれほど幸せなことか。一人一人が、「私は勝ちました!」「やり切りました!」と言える、充実の時を送っていきましょう。

家族葬」「直葬」も

 志賀 さて、先日の「誓願」の章にも、つづられていましたが、日蓮正宗日顕宗)の権威の鉄鎖を断ち切った学会が、「友人葬」を執り行うようになってから、四半世紀余りがたちました。

 森中 今や、「友人葬」は、日本社会で大きく定着し、各界の識者からも、学会に対し、“時代を先取りした”“日本の葬儀に革命をもたらした”などの評価が寄せられています。

 永石 葬儀などの場で、学会員が誠実に真心を込めて勤行・唱題し、故人を送る姿に、信心をしていない方々からも、「すがすがしい気持ちになりました」「感動しました」などと、共感の声を聞くことも多いですね。

 志賀 また、近年、ライフスタイルの変化の中で、葬儀の小規模化や簡素化が進み、葬儀費用の問題などからも、「家族葬」などが増え始めています。

 原田 そこで今回は、森中教学部長にも参加していただき、「友人葬」と「家族葬」について、確認していきたいと思います。

 森中 はい。そもそも、御書には、故人の成仏は、“あくまで、生前の信心による”ものであり、“僧侶が介在するなど、何らかの儀式によって決まる”ものである、とは説かれていません。
 日蓮大聖人は、「故聖霊は此の経の行者なれば即身成仏疑いなし」(御書1506ページ)と仰せられ、どこまでも、本人の信仰と実践が成仏を決める、と強調されています。

 原田 とともに、大聖人は、故人への「追善の唱題」の功力についても教えてくださっています。
 御書には「今日蓮等の類い聖霊を訪う時法華経を読誦し南無妙法蓮華経と唱え奉る時・題目の光無間に至りて即身成仏せしむ、廻向の文此れより事起るなり」(712ページ)とあります。さらに、“法華不信で、たとえ無間地獄に堕ちるとしても、孝行の子息が法華経の行者として、題目の光を送っていけば、同じ原理で故人を成仏させることができる”とも仰せです。

 森中 追善回向の本義は、送る側の妙法を実践する功徳、つまり「善」を、故人に“回らし向ける”ことです。大聖人直結の信仰を貫き、広布にまい進している学会員が、自らの題目の功力を送ることは、最高の追善回向であり、故人を成仏に至らしむることになります。

 原田 その意味で、近親者のみの「家族葬」、火葬だけの「直葬」などで、家族・親族の代表が導師を務める場合も、仏法の本義に照らせば、妙法の最高の追善回向になります。全てが「友人葬」の意義にかなった葬送儀礼です。

 森中 「友人葬」の「友人」は、仏法でいう「善知識」に当たります。導師を務め、妙法の題目を唱える家族・親族は、故人にとって最高の善知識です。したがって、儀典長を呼ばなければ、「友人葬が成立しない」ということでもありません。

 原田 学会員が参列するかどうかも、喪主の意向に沿い、丁寧な対応が必要です。家族・親族だけで葬儀を行う場合などは、故人と親しい学会員が、各人の自宅や地区などで集まった時に勤行・唱題し、故人に追善回向していけば、それも「友人葬」の趣旨にかなった葬送であるといえます。
 また、これまで何度も確認してきましたが、「友人葬」などにおいて、会員からの儀礼的な意味での香典は必要ありません。

宗教改革をさらに

 志賀 葬送儀礼の在り方は、時代や地域によって異なります。だからこそ、仏法で説かれる「随方毘尼」の原理に基づいて、考えていくことが大切ですね。

 森中 「随方」とは地域の風習に随うことであり、「毘尼」とは戒律の意味です。根本の法理にたがわない限り、各地の風俗や習慣、時代の風習を尊重し、随うべきであるとするのが、随方毘尼の智慧です。

 原田 葬儀の形式は、その社会や共同体で異なるからこそ、それぞれの地域・文化の豊かな伝統を共有することが大切です。この随方毘尼の原理に基づいて、「友人葬」を行うからこそ、妙法への仏縁が結ばれ、学会理解が大きく広がっていくのです。

 森中 私たちの「友人葬」は、日顕宗の邪義を打ち破っただけでなく、葬式仏教と化した日本の封建的な精神風土をも変革してきました。今後とも、「友人葬」を通し、常楽我浄の永遠の生命観に基づく、三世にわたる「生死の劇」を見事に荘厳しながら、創価宗教改革を大いに進めていきたいと思います。