平和の文化講演会 米エマソン協会元会長 ワイダー博士の講演(要旨) 2018年7月5日

平和の文化講演会 米エマソン協会元会長 ワイダー博士の講演(要旨) 2018年7月5日

一人一人の人生の物語を聞く実践が暴力や憎しみを乗り越える力に
 

 アメリカ・エマソン協会の元会長でコルゲート大学教授のサーラ・ワイダー博士が登壇した「平和の文化講演会」(6月27日、東京・信濃町創価世界女性会館)。テーマは「ひとりの人生の物語を大切に」。要旨を紹介する。
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 「人間とは何か」を表現するとしたら、人間とは物語をつくり、物語を伝える生き物である、といえるでしょう。
 私たちは、それぞれが紡ぎ出す物語そのものなのです。私たちは、それぞれの物語を宝のように大切にする存在でありたい。
 ドストエフスキーの小説『カラマーゾフの兄弟』の中で、登場人物の一人が言います。「人類を全体として愛すれば愛するほど、個々の人間を、つまり独立した人格としての個々別々の人間を愛することが少なくなる」(小沼文彦訳『ドストエフスキー全集第10巻』筑摩書房)と――。
 池田先生は、このような抽象的な愛に警鐘を鳴らされています。個々の物語を大切にするとは、“一人一人”の人生の物語を大切にすることであり、“抽象的な人類全体”という意味ではありません
 では、どうすればこうした愛情や慈悲を育めるのでしょうか。私は、雑音に惑わされず、人の話に「耳を傾けること」「記憶にとどめること」を強調したいと思います。
 私の物語をお話しします。1904年に祖父、その4年後に祖母が長男を連れてアメリカに渡り、家族も続きました。しかし、祖母の度重なる呼び掛けにもかかわらず、曽祖母はアメリカに来ませんでした。理由は分かりません。
 私の父は過去のある時代について、子どもたちにあまり語りませんでした。
 実は、つい最近、知ったのですが、私と同じ「サーラ」という名を持つ曽祖母は、44年にナチス・ドイツアウシュビッツ強制収容所に連れていかれ、殺されていたのです。
 当時、曽祖母は80代でした。強制収容所で亡くなった人々に思いをはせます。45年8月に、原爆で亡くなられた方々を思い起こします。暴力のない平和な世界で、孫たちが栄えることを見守りながら、80代まで生き永らえることができた人は、どれくらいいたでしょうか。
 曽祖母の人生について、私はほとんど知りません。時代と言語、大陸に隔てられた曽祖母と私の“共通点”は「名前」だけですが、この女性がどんな人で、どんな人生を送ったかを考えずにはいられません。当時の社会にまん延する大きな憎しみの力は、曽祖母の命を“価値のないもの以下”とみなしたのです。社会の眼からは、存在することさえ許されなかったのです。
 しかし、私は生きて今、ここにいます。曽祖母の娘の一人である私の祖母が、育った所と大きく違い、歓迎もされなかったかもしれない場所に家庭を築いてくれたから、今の私があります。祖国に残った曽祖母、祖国を離れた祖母の“負けない強さ”に思いをはせます。彼女たちの物語を大切にする唯一の方法は、過去、現在、未来を生きる人たちの尊厳のために戦うことなのだと思います。
 どの社会にも、特定の集団を優位と考える類似した傾向があります。“暴力に基づく文化”の本質的な要素です。その暴力を取り除くには、皆が共に、それぞれの人生の体験に思いをはせていく以外ありません。
 ここでいう「共に」とは、差異を分断の根拠とせず、無数の差異に光を当てていくことを意味します。
 暴力や憎しみの中であっても、物語は存在します。日常にある喜びや笑い声の物語です。人間の精神、心は、いかなる否定の力よりも強いのです。決して破壊されることはありません。物語を滅ぼすことはできないのです。
 私は、物語を大切にするサークルを作りたい。それぞれが持つ人生の体験を語り、大事にし、万人に深く根差している誠実さを実践していきたいのです。
 本年の1・26「SGIの日」記念提言で池田先生が示された通り、私たちは常に「不軽菩薩」(法華経に説かれる、全ての人に仏性があるとして人々を礼拝し続けた菩薩)の心を持ち、“人の善良さは見えなくなることはあっても、消えることはない”ことを思い起こさねばなりません
 私たちは皆が物語の語り手であり、聞き手です。それぞれの物語を宝のごとく大切にしていくためには、私たち一人一人の存在が不可欠です。私たち皆が必要なのです。忍耐強く、思いやり深く対話することが必要なのです。物語を大切にすることは私たちの人生の使命であり、私たちが日々の職場や活動で、またいかなる世代においてもなさねばならぬ努力です。なぜならそれは、生命ある全てのものが共有している心だからです。