〈小説「新・人間革命」完結 記念特集〉㊦ 方面長・婦人部長の声(2面から続く) 2018年9月13日

〈小説「新・人間革命」完結 記念特集〉㊦ 方面長・婦人部長の声(2面から続く) 2018年9月13日

 
花々の中に“勝利のVサイン”が浮かぶ。『新・人間革命』執筆の総仕上げをした長野研修道場で池田先生がカメラに収めた(8月)
中部・松波利子/新たな堅塁の歴史を築く

 「どうか、皆さんは『まことの時』に、敢然と立ち上がり、私とともに、学会とともに戦い、広宣流布の勇者として、自身の誉れの歴史を築いていってください」
 (第14巻「烈風」の章)

 1969年(昭和44年)12月、中部を訪問した山本伸一が、三重・松阪会館で「開目抄」の御文を通して指導した一節です。
 当時、中部には「言論問題」の嵐が吹き荒れていました。
 このとき、最もつらく、悔しい思いをした中部の母たちは、今こそ“まことの時”と決め、池田先生と共に、学会と共に、懸命に戦いました。
 先生は、76年(同51年)1月16日、名古屋市南区の婦人部総会に出席。特に理不尽な弾圧に耐え抜いてきた母たちに、「一番尊くて、一番偉いのは、庶民のお母さんです!」と励ましてくださったのです。
 婦人部の先輩から、当時の様子を幾度となく伺い、庶民の母に脈打つ不屈の魂を命に刻んできました。
 障魔の烈風から同志を守り抜いてくださった先生。その大闘争を命懸けで書きつづってくださった先生への尽きせぬ感謝を胸に、後継の青年部を育成し、堅塁・中部の新たな勝利の歴史を築いていきます。

北陸・本郷弘/「誓願」受け継ぐ闘将と

 「広宣流布の大誓願に生きる時に、歓喜あふれる地涌の菩薩の大生命がみなぎる。何ものをも恐れず、いかなる困難も乗り越えていける、無限の勇気と智慧と力が脈動します。大誓願に生きることが、最も人生を輝かせていける道なんです」(第28巻「大道」の章)

 「この歌が聞きたかったんだよ」――1984年(昭和59年)8月、10回目の北陸指導となる北陸平和文化祭で5万人が北陸の歌「ああ誓願の歌」を大合唱。池田先生は、誓いの歌声を響かせた出演者を「二百点満点の文化祭だった」とたたえてくださいました。
 先生が北陸の歌を作られたのは78年(同53年)8月。今年で40年を迎えました。
 当時、学生部員だった私は、何としても同志を励ましたいとの先生の真心に胸を熱くしました。
 北陸は旧習が根強い土地柄です。その中で、北陸の同志は懸命に妙法の旗を掲げ、地域に蘇生と幸福のドラマを幾重にも広げてきました。
 先生は小説に「北陸は、“広布の誓願”に生き抜かれた戸田先生の、ご生誕の地です。どうか、恩師の、その精神を受け継ぐ闘将の皆さんであってください」とつづられました。闘将の誓願の志を果たし、師恩に報いてまいります。

東北・盛島明彦/不撓不屈のみちのく魂 

 「私は、東北の皆さんを尊敬しております。それは、どんな困難にも負けない粘り強さ、不屈の“負けじ魂”があるからです。皆さんには、大難、大苦に、打ちひしがれることなく、広宣流布のために、敢然と立ち上がる真性の強さがある。(中略)私は、かつて広宣流布の総仕上げを東北の皆さんに託しました。いよいよ“負けじ魂”を燃やし、総仕上げの旗頭として、威風堂々と立ち上がってください。時は“今”です」
 (第25巻「福光」の章)

 東日本大震災から半年となる2011年(平成23年)9月。小説『新・人間革命』「福光」の章の連載が開始されました。当時、不撓不屈の「みちのく魂」で厳しい現実に立ち向かっている東北同志に、先生は最大の励ましを送ってくださいました。
 東北に寄せる師匠の深い真心を胸に、広布の尊き使命を託された私たち東北健児は、師恩にお応えする戦いをしなければならない。この一節は、その時が“今”であるとの指針であると拝します。
 本年の掉尾を飾る全国男子部幹部会が、12月に東北の地で行われます。
 私たちは、その後に行われる中継行事を「東北家族・青葉の誓い総会」として盛大に開催します。青年を先頭に、圧倒的な弘教拡大で荘厳します。

中国・篠原康司/開拓の伝統胸に模範の拡大

 「彼は、広布の新しき飛翔のために、中国地方を極めて重要視していた。
 中国は、西日本の大動脈である。中国が大前進を開始すれば、関西にも、四国にも、そして、九州にも、その波動は伝わっていく。まさに、中国こそ、西日本の前進の要であると、伸一は考えていた」
 (第11巻「躍進」の章)

 池田先生は、1956年(昭和31年)10月8日に岡山県に中国広布の第一歩をしるされ、翌9日、下関から「山口開拓指導」を開始されました。先生は「人と会う」ことに徹し、一人一人の悩みに耳を傾け、御書を拝しながら励ましを送られました。10倍の拡大で、中国の礎を築いてくださいました。今の私たちがあるのは先生のおかげであると、感謝は尽きません。
 本年は方面歌「地涌の讃歌」誕生40周年です。創価の師弟の絆を断ち切ろうとする悪侶らが蠢動する中、中国はこの歌と共に反転攻勢ののろしを上げました。全国模範の拡大で師弟の正義を証明してきました。
 中国の友は、10月の中国総会に向け、大前進を開始しました。5県の団結固く、総会を、人材育成と対話拡大で大勝利し、世界広布新時代の新たな歴史を切り開きます。

四国・中川京子/志国に脈打つ熱き求道心

 「今、この時に、求道の炎を燃やし、波浪を越えて、横浜の地までやって来た四国の同志の果敢な行動は、広宣流布の歴史に燦然と輝き、永遠に語り継がれるにちがいない。大事なことは、学会が苦境に立った時に、いかに行動し、新しい突破口を開くかだ」
 (第30巻〈上〉「雌伏」の章)

 1980年(昭和55年)、悪侶らが学会攻撃に狂奔する中、四国の同志は「さんふらわあ7」号で3度、神奈川文化会館にいる師のもとへ。
 私も5月、白蓮グループの一員として参加。力強いピアノの音色、同志を包み込むように励ましてくださる池田先生の慈愛の声、王者のごとき悠然たる姿は忘れられません。
 これまで四国婦人部は、1・14「部の日」を中心に、後継の友に求道の歴史を語り継いできました。
 私たちの師匠は永遠に池田先生――それが“志国”の心です。その心を継ぐ青年たちと共に地域に友情を大きく広げる「SOKA YOUTH VOICE」を今秋、四国全土で開催します。
 師への尽きせぬ感謝を胸に、“正義の四国”から、今再び熱き求道の心で、共戦の大航海を開始します。

九州・平井秀昭/燃え立つ「先駆」の志 

 「最も苦しんだ同志のところへ駆けつけよう! 一人ひとりと固い握手を交わす思いで、全精魂を込めて、生命の底から励まそう!」(第30巻〈下〉「勝ち鬨」の章)

 1981年(昭和56年)12月、九州で刻まれた反転攻勢の歴史を、本年1月9日付で、大分指導から書き起こしていただきました。その後、小説の舞台は、長編詩「青年よ 21世紀の広布の山を登れ」の発表へ。
 誉れの歴史をつづっていただいた九州の同志は“今こそ師と共に”との一念を燃え上がらせ、弘教拡大へ驀進を開始しました。
 九州長就任の会合の際、先生から「あの大分空港に降り立った時と同じように、火の国・九州の愛弟子たちと、壮大なる栄光のドラマをと心に期しています」との万感こもるメッセージが。先生のお心を、わが心とし、同志のもとへ飛び込んできました。
 同志の皆さまと出会うたび、九州の津々浦々に刻まれた、79回におよぶ先生の足跡と共戦の絆を痛感します。私自身が命懸けで師を求め、師に直結し、師を語り抜いていく――この実践によってのみ、大九州の新時代が開かれると確信します。
 「永遠に先駆の大九州たれ」との指針を胸に、きょうも同志のもとへ駆け付けます。

沖縄・照屋清子/世界初の広布の地帯を

 「“私がいる限り、この沖縄を平和の楽土にしてみせる”との強い決意で信心に励み、社会の建設に立ち上がっていくならば、必ずや、沖縄を変えていくことができます。
 依正は不二です。自分自身の生命の変革から、すべては変わっていくんです」
 (第13巻「楽土」の章)

 “戦争の地を平和の楽土に”“一番苦しんだ人こそ一番幸せに”――池田先生は、これまで17度、沖縄を訪問され、私たちの深い使命を教えてくださいました。
 その師に応えようと、足が鉄板のようになるまで広布に歩いた草創の先輩の闘争によって、“東洋のハワイ”と輝く沖縄は築かれたのです。
 沖縄の歴史に学びながら、私自身も“まずは自分が立ち上がろう”と、行動し続けてきました。これまで、子どもの非行や病気、自身の乳がん等、宿命の嵐に幾度となく襲われました。
 しかし、希望をともし続けてくれた池田先生と同志のおかげで、全て乗り越えることができました。
 この大恩には、沖縄広布に尽くすことでお応えしようと固く決意しています。
 師に誓った“世界で最初の広宣流布の地帯”建設へ、沖縄の創価家族の皆さまと共に、「人間革命」の大潮流を起こしてまいります。