〈小説「新・人間革命」完結 記念特集〉㊦ 方面長・婦人部長の声 2018年9月13日

〈小説「新・人間革命」完結 記念特集〉㊦ 方面長・婦人部長の声 2018年9月13日

 

 小説『新・人間革命』執筆の眼目について、池田先生は「精神の継承にこそある」と述べた。この小説に、栄光凱歌の人生を進む勝利の方程式が記されている。『新・人間革命』完結特集㊦では、「誉れの舞台と我らの使命」と題して、『新・人間革命』の一節とともに、方面長・婦人部長の決意を紹介する。

総東京・萩本直樹/本陣から勝利の光を

 「首都・東京は、学会本部を擁する本陣である。広宣流布の決定打を放つのも、学会の未来を決するのも東京である。東京が強くなった分だけ創価学会は堅固になり、東京が前進した分だけ広宣流布は進むといっても過言ではない。(中略)感激――それは、人と人との触れ合いのなかにある。勇んで行動するなかに生まれる。そして、感激こそが、前進の活力となる」(第28巻「大道」の章)

 1978年(昭和53年)8月、東京の歌「ああ感激の同志あり」発表の様子が描かれた場面です。
 池田先生は「感激」の二文字を通して、教えてくださいました。偉大な使命をもって、広布の本陣に生まれあわせたこと。久遠の誓いのままに、新たな歴史の幕を開く戦いに連なっていること。これらは感激以外の何ものでもない、と。
 この先生の指針を胸に、現実の課題に悪戦苦闘しながら、勇んで人の輪に飛び込み、自他共の幸福を勝ち開いている「感激の同志」と日々、お会いしています。師匠に勝利の結果でお応えしたい――この誓いが前進の原動力であることを、私自身が学ぶ日々です。
 創立90周年へ、世界が仰ぎ見る栄光の大広布城を築き、本陣の地から、勝利の光を放ちます。

第2総東京・橋口美雪/師弟の道を一筋に

 「先師・牧口常三郎と、恩師・戸田城聖の構想を実現し、人類の恒久平和の道を開くために、何から手を打つべきかを考え、学校の創立へ、第一歩を踏み出したのである」
 (第12巻「栄光」の章)

 池田先生は第3代会長就任の直前の1960年(昭和35年)4月、創価学園の建設用地の視察で、東京・小平市を奥さまと共に訪問。その7年後に学園は創立されました。
 学園や創価大学がある「創価教育原点の地」、先生手作りの人材の天地――これが第2総東京の誇りです。
 第1次宗門事件の渦中には、立川文化会館を“正義の砦”として、反転攻勢の指揮を執り、一人一人と師弟の絆を強く結んでくださいました。
 会長辞任直後の本部総会(79年〈同54年〉5月3日、創価大学)の時、「先生!」と何度も叫んだ婦人の姿の中に、“何があっても師弟の道を一筋に進む”との、私たちが刻むべき魂があります。
 「第二東京は広宣流布の新舞台だ。ここも未来が楽しみだ。皆で力を合わせて、新しい歴史を創ってほしいね」――この先生の期待を胸に、婦人部・女子部の「コスモス平和大学校」などで小説『新・人間革命』を学びながら、先生の真実を語り広げていきます。

東海道・畑佳伸/“正義の旗”を高く掲げて

 「いよいよ本当の勝負だ! いかなる立場になろうが、私は断じて戦う。たった一人になっても。師弟不二の心で断固として勝利してみせる。正義とは、どこまでも広宣流布の大道を進み抜くことだ!」
 (第30巻〈上〉「大山」の章)

 時は、激動の1979年(昭和54年)。
 池田先生は第3代会長を辞任後、東海道の地で、ただ一人、“正義の旗”を掲げ、反転攻勢の指揮を厳然と執られました。
 「正義」「共戦」と揮毫された神奈川文化会館。後継への万感の期待をピアノ演奏に託された静岡研修道場。「大山」の章には、その模様が描かれています。
 同年5月5日、私は「正義」の書を拝見しました。“どのような立場になられても、私の師匠は池田先生だ!”と奮い立ちました。
 最も困難な時に、目の前の一人に勇気の火をともし、渾身の励ましを送ってくださった先生。一人立つ「正義」の心で、真実の同志である「共戦」の友の連帯を広げていく――それが、われら東海道誓願です。
 小説が完結した9月8日は、戸田先生が「原水爆禁止宣言」を師子吼された日。“創価平和運動”の源流・東海道が、新たな連続勝利の歴史と師弟の大叙事詩をつづります。

関東・大高陽子/「敢闘精神」で勝ち進む

 「どうか皆さんもまた、『あそこまで皆のために真心を尽くすのか!』『あれほど情熱をもって行動し抜くのか!』『あの人から、本当の信心を学んだ!』と、後々までも語り継がれる、見事な自身の歴史を築いていただきたい。ひとたび戦いを起こすならば、大情熱を燃やし、敢闘しようではありませんか!」
 (第29巻「力走」の章)

 この一節は、山本伸一が1978年(昭和53年)11月の第1回「関東支部長会」の席上、支部長・婦人部長の人生の勝利を祈りながら語ったスピーチの内容です。
 「真心を尽くす」「情熱をもって行動し抜く」「信心の触発を」――私自身、この指針を生命に刻み、挑戦しています。
 同年、先生は埼玉、千葉、茨城、群馬、栃木の関東5県全てに県歌を贈られました。支部長会に先立ち、各県の同志が県歌を歌い、先生と共に出発したことが関東の誇りです。
 それから40周年の本年。関東総会を大勝利で終えた直後の6・6「関東婦人部の日」に、先生・奥さまが千葉の浦安平和会館を訪問。関東広布に、さらなる師弟共戦の歴史を刻んでくださいました。
 報恩感謝の心で、大関東の魂である「敢闘精神」を燃やし、勝ち進んでいきます。

関西・山内洋一/永遠に「常勝の都であれ」

 「愛する、愛する関西の同志よ! 未来永劫に関西は、正義の旗が高らかに翻る常勝の都であれ! 民衆を守り抜く人間讃歌の都であれ! 関西がある限り、学会は盤石だ!」
 (第28巻「広宣譜」の章)

 社会人1年目だった1978年(昭和53年)7月17日、「常勝の空」が発表された幹部会に参加。「君と我とは 久遠より」との師匠の魂こもる歌詞に、感動が全身を貫きました。
 翌79年(同54年)の会長辞任の折、「われらの師匠は、永遠に池田先生である」と拳を突き上げた関西の同志。「関西がある限り、学会は盤石だ!」――「常勝の空」に込められた、この先生の深き思いに応え、勇み前進していきました。
 迎えた反転攻勢の時代。第1回関西青年平和文化祭が行われた82年(同57年)には、全国をリードする折伏を推進。翌年以降も立正安国の連続闘争を勝ち越えていったのです。
 本年、関西は先駆の弘教拡大で、「常勝の空」40周年を荘厳。今再び、「拡大から、さらなる連続勝利へ」という“常勝の方程式”を満天下に示そうと、誓願の炎を燃やしています。一人一人への励ましに徹し、関西魂みなぎる“戦う陣列”を倍増させ、広布史に輝く新たな金字塔を打ち立てる決意です。

北海道・日下巌/三代城に輝く希望の指標

 「牧口先生、戸田先生が青春時代を過ごされ、飛翔の舞台となったのが北海道だ。ここには、両先生の魂が刻まれている。そして、私も青春の全精魂を傾け、北海道広布の開拓の鍬を振るってきた。北海道は、この北斗七星のように、広宣流布の永遠なる希望の指標であらねばならぬ」(第13巻「北斗」の章)

 1968年(昭和43年)9月14日、池田先生が日本最北の都市・稚内を初訪問されてから、本年で50周年。これは山本伸一稚内市で満天の星を見上げ、述懐した一節です。
 「広宣流布の永遠なる希望の指標」――ここに、北海道広布の使命が凝縮されています。
 苦労なくして広宣流布はできません。できない理由を数えるよりも、“どうしたらできるか”と必死に祈り、行動し、道を開いていく。これが、北海天地に刻まれた三代会長の精神です。
 目指すは、何があろうと師匠を求め、「師弟共戦」に徹し抜く北海道。師匠の誓願に合一して、いかなる悪条件でも「幸福の陣列の拡大」に突き進む北海道。麗しき団結と励まし合いの「創価家族」の模範・北海道です。
 師と共に築き上げてきた「三代城」を、さらに盤石ならしめるため、率先して限界突破の戦いに挑戦します。

信越・五十嵐真理子/起稿の天地に誇りあり

 「長野研修道場がオープンしたのは、一年前の一九七八年(昭和五十三年)八月である。山本伸一にとっては今回が初訪問となる。彼は、戸田が最後の夏に滞在した地を、世界広宣流布への新たな幕を開く最初の夏に訪れたのである。この宿縁の地から、家庭訪問、個人指導の流れを起こし、新しい創価学会の建設に着手しようと心に決めていたのだ。
 世界広布といっても、一人への励ましから、身近な一歩から始まるからだ」
 (第30巻〈上〉「雌伏」の章)

 1979年(昭和54年)8月、長野研修道場を初訪問されて以来、毎年のように信越を訪れ、世界広布の指揮を執ってくださる池田先生。長野研修道場を「新しき前進と創造の電源の地」と位置付け、伝統の夏季研修会から、躍進と勝利の歴史を築いてくださいました。この地で語ってくださった、珠玉のご指導の一つ一つが私たちの永遠の指針です。
 報恩の志に燃え、本年5月の信越総会をブロック1以上の弘教拡大で勝ち飾り、今夏も聖教新聞の購読推進の大拡大で、信越の地に師匠をお迎えすることができました。
 信越には、小説『新・人間革命』起稿の天地という誇りと原点があります。どこまでも師の心を求め抜き、不二の弟子の陣列を拡大していきます。