〈信仰体験〉 全盲女性の挑戦 ドイツでのハーモニカ世界大会でベリーグッド賞 2018年9月15日

〈信仰体験〉 全盲女性の挑戦 ドイツでのハーモニカ世界大会でベリーグッド賞 2018年9月15日

やっと手にした“心の金メダル”
奈良県立美術館でクロマチックハーモニカを披露する田中さん。経験談を語りつつ、1時間のコンサートを

 【大阪府河内長野市】いつからだろう。首に掛けられた金メダルを、心から喜べず、むしろ、悔しさを感じるようになったのは――。田中玲子さん(65)=美加の台支部、婦人部員=は、視覚に障がいがある。光の明暗は感じられるが、日常はガイドヘルパーなどに支えられて生活する。健常者に負けたくない一心で、水泳、マラソンに挑み、何度も表彰台に上がってきた。だが、どんなに栄誉を手にしても、ぬぐえない思いがあった。“目さえ見えていれば……”。音楽の世界に踏み出した彼女は今、「クロマチックハーモニカ」の演奏を通し、自らの心の変化を伝えている。

目が見えていれば

 幼少の頃の様子は思い出せない。悲しいことばかりだったように思う。
 母は、田中さんが生まれて間もなく、家を離れた。田中さんは父のもとに引き取られる。そしてすぐに新しい母が来た。継母には冷たく当たられた。3歳の時、引きつけなどが原因で失明してしまう。
 実母は、菓子を両手に携え、盲学校(当時)へと会いに来てくれた。素直に喜べなかった。“もしも、両親が別れていなかったら、家庭がうまくいっていたら、私の目が不自由にならなかったかもしれない”。そう思えてならなかった。
 そんな田中さんを、いつも支えてくれたのは、兄・三隅英一さん(81)=八尾市、副圏長=だった。1962年(昭和37年)、英一さんは創価学会に入会する。願いは一つ。「妹に幸せになってほしかった」
 その後、14歳になった田中さんも兄に続く。目の障がいに苦しむことはあったが、題目を唱えては乗り越えていった。はり・きゅうの仕事に就き、やがて、スポーツで活躍していく。
 1991年(平成3年)、ジャパンパラ水泳競技大会では100メートルの自由形と背泳で、それぞれ金メダルを獲得。その後、マラソンに転向すると、96年に開催された「第2回世界盲人マラソン」では、3時間17分50秒で、第1回大会に続き、優勝を飾る。
 病で中途失明した夫・昌宏さん(58)=壮年部員=と共にスポーツを楽しみ、数々の大会で入賞した。だが、輝かしい結果を残しても、割り切れない思いが重なっていく。“目が見えていれば、もっと活躍できたはず。親が悪いんだ”

今までにない勇気

 2002年、不整脈が見つかり、スポーツを断念した。それでも、音楽に喜びを見いだしていく。
 「クロマチックハーモニカ」は、目が見えなくても、感覚で自在に演奏できた。自分にぴったりだと思った。15年からはハーモニカ教室に通い、自宅で練習に明け暮れた。
 この頃、教学部任用試験の受験を促された。今までは、“目が見えない自分には無理”だと思い、何かと理由をつけてきたが、自分の成長を祈ってくれる婦人部員の真心に触れ、受験を決めた。
 いかなる難にも屈することのなかった日蓮大聖人の御生涯。そして、創価の三代会長の正義の闘争。「改めて学び、信心をする意味を深められました」
 昨年11月、田中さんはドイツに飛んだ。「ワールド・ハーモニカ・フェスティバル2017」に挑戦する。健常者ばかりの大会。白杖を持って舞台に立つのは、今までにないほどの勇気が必要だった。“同情や好奇の目で見られるんじゃないか”。最後まで葛藤を続けた。
 それでも、心を決めた。あえて選んだ難しい曲「ツィゴイネルワイゼン」を披露した。演奏を終えた瞬間、歓声と拍手の渦に包まれた。外国語で次々に声を掛けられ、興奮した口調に、皆が受け入れてくれたことが伝わってくる。言語や文化の違いを超えて触れ合う中で、卑屈な心が解けていく。
 結果は、「ベリーグッド賞」を受賞。不思議だった。感謝があふれ、どんな金メダルを得た時よりも、心が満たされた。
 「多くの挑戦を重ねて、やっと“心の金メダル”を手にしたと感じたんです。信心の素晴らしさを伝えていくのが、私の使命になりました」

負けない人が幸福

 今月1日、田中さんは朝から演奏の準備を整えていた。かばんには予備も含め、三つのクロマチックハーモニカを入れた。
 外出する際、玄関に飾ってある額の方に顔を向ける。自分では見えないが、心に刻む生き方が記されている。池田先生の言葉だ。
 「負けない人が勝利の人 負けない人が幸福の人
 ガイドヘルパーと向かった先は、奈良県立美術館。昨年、ここで開かれるミュージアムコンサートの公募を知った。応募し選考を経て、定期的に出演するようになった。
 自宅からは片道2時間と遠いが、特別な思いがある。奈良は、亡き母が生活した場所だ。
 自身を哀れみ、親を恨んでも何も生まれなかった。不幸も、幸福も、自分の心で決まることを知った。
 父も母も、心から自分の未来を案じ、生活を応援してくれた。今、このことに感謝しながら、童謡「かあさんのうた」や、父が好きだった曲を奏でる。
 コンサートでは、率直な思いを口にした。
 「この会場に、父と母がいると思って吹きます」と――。