今月から2回にわたり、「報恩抄」を学びます。
池田先生は、つづっています。
「報恩は誓願を生みます。報恩は行動を生みます。報恩は勇気を生みます。報恩は勝利を生みます。報恩に徹する人は、自身の生命を最高に磨き、境涯を最大に勝ち光らせることができるのです」
仏法における真の「報恩」について学び、いよいよ迎える広宣流布大誓堂完成5周年へ、勝利の誓いも新たに前進していきましょう。(拝読範囲は、御書293ページ冒頭~310ページ2行目「云云」です)
今月から2回にわたり、「報恩抄」を学びます。
池田先生は、つづっています。
「報恩は誓願を生みます。報恩は行動を生みます。報恩は勇気を生みます。報恩は勝利を生みます。報恩に徹する人は、自身の生命を最高に磨き、境涯を最大に勝ち光らせることができるのです」
仏法における真の「報恩」について学び、いよいよ迎える広宣流布大誓堂完成5周年へ、勝利の誓いも新たに前進していきましょう。(拝読範囲は、御書293ページ冒頭~310ページ2行目「云云」です)
本抄について
本抄について
本抄は、旧師・道善房の逝去の報を聞かれた日蓮大聖人が、建治2年(1276年)7月、身延で認められた御書です。修学時代の兄弟子であった、浄顕房と義浄房に送られました。
道善房は、大聖人が安房国(千葉県南部)清澄寺で仏教を学んだ若き日、師匠となった人物です。大聖人は、その恩に報いるため、浄顕房と義浄房に、本抄を道善房の墓前で読むよう伝言を添え、託されました。
本抄で大聖人は、師恩に報いるために、御自身の求道と弘教の御生涯を示されます。そして、「三大秘法の南無妙法蓮華経」の無量の功徳を明かされ、人類の未来を救う道を開いたことを宣言されます。
本抄は、旧師・道善房の逝去の報を聞かれた日蓮大聖人が、建治2年(1276年)7月、身延で認められた御書です。修学時代の兄弟子であった、浄顕房と義浄房に送られました。
道善房は、大聖人が安房国(千葉県南部)清澄寺で仏教を学んだ若き日、師匠となった人物です。大聖人は、その恩に報いるため、浄顕房と義浄房に、本抄を道善房の墓前で読むよう伝言を添え、託されました。
本抄で大聖人は、師恩に報いるために、御自身の求道と弘教の御生涯を示されます。そして、「三大秘法の南無妙法蓮華経」の無量の功徳を明かされ、人類の未来を救う道を開いたことを宣言されます。
御文
御文
夫れ老狐は塚をあとにせず白亀は毛宝が恩をほうず畜生すらかくのごとしいわうや人倫をや、されば古への賢者予譲といゐし者は剣をのみて智伯が恩にあてこう演と申せし臣下は腹をさひて衛の懿公が肝を入れたり、いかにいわうや仏教をならはん者父母・師匠・国恩をわするべしや、此の大恩をほうぜんには必ず仏法をならひきはめ智者とならで叶うべきか(御書293ページ1行目~4行目)
夫れ老狐は塚をあとにせず白亀は毛宝が恩をほうず畜生すらかくのごとしいわうや人倫をや、されば古への賢者予譲といゐし者は剣をのみて智伯が恩にあてこう演と申せし臣下は腹をさひて衛の懿公が肝を入れたり、いかにいわうや仏教をならはん者父母・師匠・国恩をわするべしや、此の大恩をほうぜんには必ず仏法をならひきはめ智者とならで叶うべきか(御書293ページ1行目~4行目)
通解
通解
そもそも、狐は決して生まれた古塚を忘れず、また白亀は毛宝の恩に報いたという。畜生ですらこのように恩を知っている。まして人間においてはなおさらである。
ゆえに昔、予譲という賢人は、智伯の恩に報いようとして剣に伏して死んだという。また衛の弘演という臣下は、自分の腹を割き、懿公の肝を入れたという。ましてや、仏法を学ぼうとするものが、どうして父母の恩、師匠の恩、国土や社会の恩を忘れてよいだろうか。
この大恩に報いるには、仏法を学び究めて、智慧のある人となってはじめて可能となるのではないか。
そもそも、狐は決して生まれた古塚を忘れず、また白亀は毛宝の恩に報いたという。畜生ですらこのように恩を知っている。まして人間においてはなおさらである。
ゆえに昔、予譲という賢人は、智伯の恩に報いようとして剣に伏して死んだという。また衛の弘演という臣下は、自分の腹を割き、懿公の肝を入れたという。ましてや、仏法を学ぼうとするものが、どうして父母の恩、師匠の恩、国土や社会の恩を忘れてよいだろうか。
この大恩に報いるには、仏法を学び究めて、智慧のある人となってはじめて可能となるのではないか。
解説
解説
掲げた御文の冒頭で日蓮大聖人は、恩を知り、恩に報いた動物の説話と、命懸けで主君の恩に報いた中国古代の賢人の故事を引き、最高の人間の道を実践する仏法者であればなおさら、父母や師匠、国土・社会の恩に報いるべきであると仰せです。
「報恩」といっても、特別なことではありません。
すなわち、今の自分があるのは、誰のおかげなのか。その恩を知り、感謝の心を持って、今度は自分が人に尽くすことで返していく――。これが、仏法における知恩・報恩の生き方です。
本抄で大聖人は、特に「師匠の恩」を重視されています。
大聖人の修学時代の師・道善房は、最後まで念仏への執着が捨てられず、大聖人が迫害にあった時も守ることができなかった人物でした。
それでも大聖人は、若き日、最初に仏法を教えてくれた恩ある師匠として大切にされ、逝去の報を聞かれるや、追善と報恩のために、本抄を書き留められました。
本抄の結論部分では、大聖人の妙法流布の功徳はすべて、師である道善房に集まるとまで仰せです。どこまでも「師恩」に報いる生き方を、自らのお姿で示してくださったのです。報恩の振る舞いにこそ、仏法の真髄があると拝することができます。
私たちにとって、師恩に報いる実践とは、何でしょうか。
60年前、戸田先生の逝去の翌日に、池田先生は「報恩抄」の一節を拝し、語りました。
「戸田先生の師恩に報いる道は、ただ一つ、先生が命を賭けてこられた広宣流布に邁進し、『先生、このように広布を進めました』と報告できる見事な闘争を展開する以外には、断じてありません」
師の心をわが心として、目の前の友の幸福を祈り、仏法を語り広げる日々の中に、最高の報恩の道があります。
小説『新・人間革命』が完結を迎えた今、私たち一人一人が「11・18」を目指し、報恩の誓いに燃え、人間革命のスクラムを広げていきましょう。
掲げた御文の冒頭で日蓮大聖人は、恩を知り、恩に報いた動物の説話と、命懸けで主君の恩に報いた中国古代の賢人の故事を引き、最高の人間の道を実践する仏法者であればなおさら、父母や師匠、国土・社会の恩に報いるべきであると仰せです。
「報恩」といっても、特別なことではありません。
すなわち、今の自分があるのは、誰のおかげなのか。その恩を知り、感謝の心を持って、今度は自分が人に尽くすことで返していく――。これが、仏法における知恩・報恩の生き方です。
本抄で大聖人は、特に「師匠の恩」を重視されています。
大聖人の修学時代の師・道善房は、最後まで念仏への執着が捨てられず、大聖人が迫害にあった時も守ることができなかった人物でした。
それでも大聖人は、若き日、最初に仏法を教えてくれた恩ある師匠として大切にされ、逝去の報を聞かれるや、追善と報恩のために、本抄を書き留められました。
本抄の結論部分では、大聖人の妙法流布の功徳はすべて、師である道善房に集まるとまで仰せです。どこまでも「師恩」に報いる生き方を、自らのお姿で示してくださったのです。報恩の振る舞いにこそ、仏法の真髄があると拝することができます。
私たちにとって、師恩に報いる実践とは、何でしょうか。
60年前、戸田先生の逝去の翌日に、池田先生は「報恩抄」の一節を拝し、語りました。
「戸田先生の師恩に報いる道は、ただ一つ、先生が命を賭けてこられた広宣流布に邁進し、『先生、このように広布を進めました』と報告できる見事な闘争を展開する以外には、断じてありません」
師の心をわが心として、目の前の友の幸福を祈り、仏法を語り広げる日々の中に、最高の報恩の道があります。
小説『新・人間革命』が完結を迎えた今、私たち一人一人が「11・18」を目指し、報恩の誓いに燃え、人間革命のスクラムを広げていきましょう。
池田先生の講義から
池田先生の講義から
私たちが今、こうして幸福な人生を歩めるのも妙法のおかげです。また仏法を教えてくれた創価学会のおかげで、人間革命と宿命転換の最極の生き方を貫くことができます。
そして、この報恩の一念と実践があれば、功徳も福徳も莫大に、いや増していくのです。(『わが愛する青年に贈る』)
◇ ◆ ◇
広宣流布の正しき師匠とめぐりあい、人間革命と宿命転換のドラマを幾重にも織り成していく人生が、いかに気高く、またいかに尊いか。私たちは無上の人生劇を築いているのです。
師匠はどこまでも弟子の成長を願う。
弟子はどこまでも師匠への報恩を誓う。
師弟は人間の魂の交響の極致です。
大聖人は、この師弟の大道を教えられました。(中略)
師弟に徹するなかで、人間のための宗教である仏法は、不滅の輝きを放っていきます。最高の人の振る舞いである師弟の生き方が、青年を照らし、人類の境涯を高め導いていくのです。(2016年12月号「大白蓮華」掲載の「世界を照らす太陽の仏法」)
私たちが今、こうして幸福な人生を歩めるのも妙法のおかげです。また仏法を教えてくれた創価学会のおかげで、人間革命と宿命転換の最極の生き方を貫くことができます。
そして、この報恩の一念と実践があれば、功徳も福徳も莫大に、いや増していくのです。(『わが愛する青年に贈る』)
◇ ◆ ◇
広宣流布の正しき師匠とめぐりあい、人間革命と宿命転換のドラマを幾重にも織り成していく人生が、いかに気高く、またいかに尊いか。私たちは無上の人生劇を築いているのです。
師匠はどこまでも弟子の成長を願う。
弟子はどこまでも師匠への報恩を誓う。
師弟は人間の魂の交響の極致です。
大聖人は、この師弟の大道を教えられました。(中略)
師弟に徹するなかで、人間のための宗教である仏法は、不滅の輝きを放っていきます。最高の人の振る舞いである師弟の生き方が、青年を照らし、人類の境涯を高め導いていくのです。(2016年12月号「大白蓮華」掲載の「世界を照らす太陽の仏法」)
研さんのために
研さんのために
○…『わが愛する青年に贈る』(聖教新聞社)
○…2016年12月号「大白蓮華」掲載の「世界を照らす太陽の仏法」(同)
○…『希望の経典「御書」に学ぶ』第3巻(同)