中国 淮陰師範学院「名誉教授」称号授与式から 池田先生の謝辞(代読) 2018年11月1日

中国 淮陰師範学院「名誉教授」称号授与式から 池田先生の謝辞(代読) 2018年11月1日

青年よ「堅忍不抜」の心で高波を越えて海原を進め
周恩来総理と池田先生が会見。この出会いから日中友好の新たな扉が開かれた(1974年12月、北京市内で)

 一、今、私の胸には、あの凜乎として、しかも深く温かな周恩来総理のお声が響いております。
 1974年12月5日の夜、北京の病院で、病をおしてお迎えくださった一期一会の語らいであります。
 総理は、「中日友好は私たちの共通の願望です。共に努力していきましょう」と語られ、「未来のために中日平和友好条約の早期締結を希望します」と、若い私に託されるがごとく言われました。
 お体を案じて、おいとましようとすると、総理は静かに首を左右に振られ、私と妻の故郷について尋ねてくださったのであります。
 「ふるさと」を話題にして、和やかに心を通わせ合う総理のご配慮を、私は感じ取りました。
 私たちは、どちらも東京の出身であり、さっぱりとしていて単純な“江戸っ子気質”なので、「二人で一人前なんです」と申し上げました。
 総理は、愉快そうに声をあげて笑われ、ご自身の留学時代を回想され、桜の思い出を語ってくださったのであります。
 周総理の生誕120周年の意義深き本年、そして、総理が願われた平和友好条約の発効40周年の秋、総理が愛してやまなかった故郷にそびえ立つ名門・淮陰師範学院より「名誉教授」の称号を賜り、これ以上の栄誉はありません。
 誠に誠に、ありがとうございます(大拍手)。

報恩の志を胸に

  一、貴学院は、かの大詩人・白楽天が「淮水東南第一の州」と詠った麗しき第一の天地から、周恩来総理の志に続く、まさに「第一」の人材群を育成してこられました。
 今日は、周総理から貴学院に流れ通う高邁な志から3点、学ばせていただきたいと思います。
 第一に、「無窮の力を解き放つ、報恩の志」であります。
 1898年3月5日、淮安に誕生された周総理は、3人の母に慈しまれ、育まれました。
 後年、総理は、若くして亡くなられた実母からは忍耐強さと思いやりを学んだ。乳母からは献身の心を学び、養母からは学習と進取の気性を学びとったと振り返られております。
 100年前の20歳になる年の元日、周青年の日記は、父母をはじめお世話になった親戚、恩師、友人への尽きせぬ感謝から書き起こされています。
 「仏は報恩こそ無上のものだという」「報恩の志を立て、ひとかどの仕事をして、かれらの心を安んじ、一生をむざむざと過ごすまい」(『周恩来「十九歳の東京日記」』矢吹晋編・鈴木博訳、小学館)と。
 報恩の志こそ、若き生命の無窮の力を開き、そして解き放つ鍵でありましょう。
 私がことのほかうれしいのは、周総理への報恩の志で創価大学にお迎えしてきた貴国からの英才の方々が、皆、立派に大成され、そして母校に恩返しをと、後に続く若き世界市民たちの道を幾重にも開いてくださっていることであります。

創造力の源泉

  一、第二に、「『何のため』を忘れぬ、向学の志」であります。
 貴学院に立つ壮麗な石碑には、周総理の雄渾の筆致で“中華の興隆のために学ぶ”と刻まれております。それは、「何のために学ぶのか?」との教師の質問に、周青年が毅然と答えた有名な言葉です。
 私が創価大学に設置した「天使と印刷工」のブロンズ像にも、同じ精神で「英知を磨くは何のため 君よ それを忘るるな」ととどめております。「何のため」を堅持する学びの日々は、常に鮮烈な創造力を湧き立たせることができます。
 本年、創立60年の佳節に発表された勇壮な新校歌には、「群科済世、十年破壁」――あらゆる学問で世を救わん、十年壁を破らん、との若き周総理の信念が歌い上げられております。
 卓越したリーダーシップで貴学院を担い立たれる焦学長は、呼びかけておられました。
 「失敗と成功には一歩の隔たりが存在するのみであり、往々にして試されるのは堅忍不抜にして自信ある自己挑戦の能力です」「澎湃たる高波を堪え忍べば、そこには碧い海と真っ青な空が広がっています」と。
 誠に素晴らしい励ましであられます。私には、周総理亡き後、朗らかな堅忍不抜の心で、いかなる高波も越え、青年たちのために洋々たる希望の航路を開いておられた「人民の母」鄧穎超先生のあの笑顔が思い起こされるのであります。

陰徳から陽報が

 一、第三に、「皆の故郷を大切に、平和を広げる世界市民の志」であります。
 「鞠躬尽瘁(身を捧げて労苦を尽くす)」の覚悟で、全ての人民のために尽くし抜かれた周総理は、12歳で旅立った後、故郷の土を踏むことはなかったと伺っております。
 しかし、「祖国を愛する人に、自らの故郷を愛さぬ人はいない」と語られた通り、周総理の心はいつも淮安とともにあったのであります。
 長年、人々を苦しめてきた淮河の水害にも周総理は心を砕き、治水事業に着手されました。その成果である蘇北灌漑総水路は、今も大事な役割を果たしております。
 実は、創価教育の父・牧口常三郎先生は、淮安市の国際友好都市となっている新潟県柏崎市の出身であります。この牧口先生は、若き日の大著『人生地理学』で、人間が併せもつべき三つの自覚として、地域に根ざした「郷民」、国家の中で社会生活を営む「国民」、そして世界との結びつきを意識して生きる「世界民(世界市民)」を挙げておりました。
 民衆一人一人の故郷を大切にしつつ、共に勝ち栄えゆく平和を創り広げていく世界市民こそ、貴学院と同じく、わが創価大学の目指す人材像であります。
 貴学院が創立された翌年の1月、周総理は、広州から空路で北京へ戻られました。淮安の上空に差し掛かると、総理を乗せた飛行機は高度を下げ、3度、旋回されたというのであります。
 常に淮安へ思いを寄せる総理は、「皆の生活が向上したら、再び戻ることにしよう」と語り残されたと、伝えられております。
 今、郷土のため、祖国のため、民衆のため、さらに世界のため、人類のために、ご自身の志を継承して貢献しゆく貴学院の発展と、淮安の繁栄を、総理は会心の笑顔で喜び、見守られているに違いありません。
 一、貴国から学び、私たちが命に刻んでいる箴言には、「陰徳あれば陽報あり」とあります。焦学長はじめ、貴・淮陰師範学院の先生方とご一緒に、私たちは、周総理のごとく、日々、全心全意で、民衆貢献、青年育成、教育交流の陰徳を積みながら、平和凱歌の無量の陽報を輝かせていきたいと決意しております。
 ご参列の皆様方のますますのご健勝と、貴学院のご隆盛、ならびに淮安市の限りない栄光をお祈り申し上げ、私の謝辞とさせていただきます。
 謝謝!(中国語で「ありがとうございました!」)(大拍手)