〈信仰体験 ブラボーわが人生〉第54回 茨城に舞え 金の風 2018年12月1日

〈信仰体験 ブラボーわが人生〉第54回 茨城に舞え 金の風 2018年12月1日

「耐え抜くことが私の使命だかんな」

 【茨城県つくば市】ご近所さんとの付き合いを大切にしてきた。畑で野菜ができれば持って行き、少し前なら、山に入ってごみ拾いもした。「おかげさまで丈夫な93歳になっちゃったよお」。篠内つまさん(93)=大勝支部、婦人部副本部長。今でこそ、みんなから優しい言葉をたくさん掛けてもらえる。でも以前は、ちょっと大変だったようですね、つまさん。

 そうなの。近所に信心した人がいてよ、集落を回るんだ。広布草創の頃だからよ、みんなが避けてたんだいな。来るのが分かるのね。げただもん。カラコンカラコンと音するんだよ。うちにも朝に晩に来るからよ、雨戸閉めちゃってな。いじわるだったから。
 生活厳しかったのな。ボロのうちでよ、ハエがぶんぶんいたからな。小学生の娘が具合悪くてな。蚊帳の中でずーっと寝てんだよな。原因が分からねえ。どんどんひどくなったの。医者から「大事に送ってやるしかない」って言われたんだよね。つらかったよなあ。
 昭和35年(1960年)の5月だよ。またカラコンと音がすんだ。顔が見えるぐらいに雨戸開けてよ、「うちは信心しないから」って音立てて閉めたな。そしたら蚊帳の中から娘がよ、「母ちゃん、信心して本当に治るんなら、治してくろよ」。泣かれたのが、入会のきっかけだいな。
 信心の確信はすぐだよ。娘が大っきいカバンを提げてよ、小学校さ行けるようになったんだからよ。その喜びは言い表せないよ。抱き締めたいぐらい。
 それからだよな。誰もうちの前の道路さ通んない。祭りの時はよ、みこしをぶつけられんだから。どすん、どすん。うちが揺れてよ。あと回覧板も回ってこないでしょ。小学校の保護者会でも、誰もそばさ寄らないの。
 でも題目だけは、あげさせてもらったんだよなあ。信心浅かったけど、必ず良くなる、と思った。
 信心してちょうど1年だな。畑仕事から帰って、ご飯の支度してる時だ。みんなのうちに有線放送があってよ、スピーカーから娘の声がしたんだよ。
 学校で詩を書いたんだな。それが表彰されてよ。有線放送で詩を朗読したの。柱のスピーカーの前で正座してよお。信心のおかげなんだな。この放送を、集落のみんなが聞いてるわけだから。人生で一番うれしかった瞬間だよね。
  
 孤独がなくなったわけじゃないよ。中学校の草刈りがあったの。みんな、まとまって行くでしょ。私には何の知らせも無かったからな。学校からの連絡で知ったんだ。汗かいて走ったよ。みんな白けた空気でよお。隅っこの方でな、独りぼっちで草むしったものな。
 腹にあったのは熱原の三烈士のことなんだ。三烈士を処刑した平左衛門尉がよ、14年後に滅亡したんだよな。よし、オレも14年後には必ず解決できるな、と思ったもの。
 毎日折伏だよな。自転車こいでよ。もちろん雨戸閉められてよ、塩もまかれたよ。落ち込む暇なかったな。先輩が「頑張ろう、頑張ろう」って、引っ張ってくれたから。きょうだい9人全員、折伏したよ。御本尊様が見ててくれれば、それでいいからな。
 昭和43年だよな。池田先生が水戸でよ、みんなと写真を撮ってくれたんだ。いやいや、もうほんとに……どんなにいじめられてもよ、涙なんか出ないんだ。けどよ、池田先生の姿を見ただけでよ、涙が止まんねえの。ほんと不思議だよね。負けねえって誓ったもの。
 読み書きが得意じゃなかったのね。学校もろくに行けなかったからよ。御書に仮名を振ってもらってよ、何回も読んだよ。無我夢中だったね。
 「此の経を持たん人は難に値うべしと心得て持つなり」(御書1136ページ)。信心した時に教わった御文なんだな。ああそうだったんだと思ってよお。
 とにかく御本尊様と池田先生しかなかったな。ある日、信心の話を持ってきてくれた人が亡くなったの。集落の人は葬式に来ないと思ってたよ。ところがよお、「われわれも出席させてください」って向こうから来たんだよ。驚いたよね。信心してちょうど14年だったから。題目はすごいね。
  
 支部婦人部長になった時だから昭和53年だよな。村八分より悔しかったかんね。あれだけ尽くしたのによ、坊主の態度が全然違うんだから。
 正座させられてよ、「ああ言ったっぺ、こう言ったっぺ」って責められてよ。それこそ、言ってもないことだもん。膝の拳が震えたかんな。
 その年に、池田先生が茨城県の歌「凱歌の人生」を贈ってくれたんだ。「君よ辛くも いつの日か/広宣流布の 金の風」。先生は、何もかにも分かってくださってんだよね。今に見ろ、今に見ろ、今に見ろ、と思ったよな。ひどい仕打ちされても全然へっちゃら。先生を思うと、じーんと来るんだよね。
 「受くるは・やすく持つはかたし・さる間・成仏は持つにあり」(同1136ページ)。信心する上で一番大事なことだいな。ほんとに歯を食いしばったもんな。信心を裏切ったら、見る影もないよな。
  
 茨城のみんながよ、金の風を吹かせたんだな。みんな負けなかったよ。おかげさまで、近所の人が親切にしてくれる。至れり尽くせりだからな、「今日の聖教新聞みたか?」と教えないでいられないんだよ。「池田先生がこう言ってるよ」。信心してきて良かったよな。
 4世代で暮らしてる。中学生と小学生のひ孫がいるよ。2人並んで経本見ながら勤行してる姿見るとよ、頑張ってきてほんと良かった。耐え抜くことが、私の使命だかんな。
 この子らに題目を送ってんの。幸せになるように? それもあるよ。この子らもいつか、信心を試されるんだ。その時の貯金になればと思ってよ、題目あげてんの。

後記

 かつてのつらい話を明るく話してくれた。その表情の豊かさは、辛抱の幅を想像させる。「つらかったけどよ、信心しちゃったものはしょうがない」。優しい話し言葉の奥に、強さを感じた。
 茨城県歌を歌ってくださった。途中で歌詞を詰まらせた。涙をぐっと、こらえていた。池田先生を思い浮かべると、素直な心でいられるのだろう。
 そういえば、茨城県ということで水戸黄門の話になった。番組の終盤でようやく、格さんが懐から印籠を取り出す、あれ。「この紋所が目に入らぬかあ」。おなじみのセリフで、悪代官がさらりと降参してしまう。
 もしも、つまさんがご老公だったら、きっと格さんは印籠を出さないだろう。風雪で磨いた輝きがある。「ええい控え、控えおろう。この笑顔が目に入らぬかあ」(天)