〈世界広布の大道――小説「新・人間革命」に学ぶ〉 第4巻 基礎資料編 2019年1月9日

〈世界広布の大道――小説「新・人間革命」に学ぶ〉 第4巻 基礎資料編 2019年1月9日

物語の時期 1961年2月14日~10月8日
「凱旋」の章
   

 今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第4巻の「基礎資料編」。各章のあらすじ等を紹介する。次回の「名場面編」は16日付、「御書編」は23日付、「解説編」は30日付の予定。

「春嵐」の章

 1961年2月14日にアジア訪問から帰国した山本伸一は、16日に愛知の豊橋市で開催された豊城支部の結成大会を皮切りに、各地の会合に出席していく。3月7日には、関西男女青年部のそれぞれの幹部会へ。さらに翌8日には、関西の3総支部の合同幹部会に臨み、力強く学会歌の指揮を執る。この時、伸一は、権力の魔性との激しい攻防戦のさなかにあった。57年の参議院議員大阪地方区の補欠選挙で、選挙違反を指示したとの事実無根の容疑が掛けられた「大阪事件」の裁判が、大きな山場に差し掛かっていたのである。
 16日、青年部の第1回音楽祭であいさつに立った伸一は、「我々は、戦おうじゃないか!」との恩師・戸田城聖の言葉を通して指導。この頃、各地で、神社・仏閣への寄付や行事への参加を拒んだ学会員に対する、村八分などの不当な仕打ちが深刻化していた。伸一は、広布伸展に合わせて嵐が吹き始めたことを思い、全同志を、いかなる大難にも屈せぬ、強き信仰の人に育て上げなくてはならないと決意する。
 4月2日、彼は、春嵐の中で行われた戸田の四回忌法要に臨む。

「凱旋」の章

 戸田の四回忌法要の翌4月3日から、伸一は群馬、新潟、東京、愛知、埼玉、島根、広島での支部結成大会などに相次いで出席。会合の前後には、時間を割いてメンバーの激励に徹した。
 群馬の高崎では、前年に自作の詩(別掲)を贈って励ました青年たちと再会し、その成長を喜ぶ。さらに、戸田が戦後初の地方指導で訪れた桐生も訪問。ここでは、学会と別の組織をつくり、活動を進めようとしたメンバーが行き詰まり、深い反省の末に学会に入会するエピソードが紹介されている。
 中部では、岐阜へも足を運び、支部長や居合わせた同志と懇談。島根の松江では、口べたなことに不安を抱えていた支部長へ「声仏事」と認めて贈った。広島の福山では会場に入れなかった友を気遣い、会合終了後に場外に出て、一人一人を励ます。
 会長就任から1周年。激闘の365日を走り抜いた伸一は、139支部、総世帯数191万余りという、大飛躍の結果をもって、5月3日の本部総会に凱旋を果たす。

「青葉」の章

 本部総会を終えた伸一は、青年部幹部との懇談の席上、この年を「青年の年」にしたいと提案する。彼は、青年部を中心に、新しい広布の流れをつくることを、会長就任2年目のテーマとしていた。
 九州をはじめ、各地の青年部の方面総会に出席。行く先々で青年たちとの出会いをつくった。京都の舞鶴では、仕事と学会活動の両立に悩む男子部員に対し、「いかなる状態にあっても、必ず、すべてをやりきると決め、一歩も退かない決意をもつことです」と語り、その苦労が全て生涯の財産になることを訴える。
 伸一は、神戸、兵庫の2支部合同の結成大会で、学会の広布の歩みを収めた記録映画の製作を発表する。彼は、青年部の室長時代から、学会の主要行事(「3・16」の式典など)を、映画フィルムに収めるように推進してきた。伸一は、その製作の責任者に、青年部のリーダーを抜てき。また、第4回学生部総会では、“世界を友情で結びゆけ”と期待を寄せた。
 6月度の本部幹部会では、この年の目標に掲げていた200万世帯の達成が発表される。

「立正安国」の章

 伸一は7月4日、戸田の墓前で深い祈りを捧げる。前日の3日は、16年前に恩師が生きて獄門を出た日である。それはまた、4年前に自身が不当逮捕された日でもあった。彼の胸には「権力の魔性と戦え! 民衆を守れ!」との師の言葉がこだまし、「大阪事件」の裁判で、断じて、無罪を勝ち取る決意を固める。
 9日、方面別の青年部総会の掉尾を飾る東北の総会へ。午後に行われた男子部の総会で、「広宣流布の総仕上げは、東北健児の手で」と訴える。29日、長野県の霧ケ峰高原での「水滸会」の野外研修では、人類の平和と幸福のために、世界の檜舞台に雄飛をと語った。翌日の「華陽会」の野外研修では、バレーボールのパスを通して、心一つに団結する意義を強調する。7月、女子部は部員20万を、男子部は30万を突破する。
 8月の恒例の夏季講習会で、伸一は「立正安国論」を講義する。
 秋のヨーロッパ訪問を前に、人間と人間を結ぶヒューマニズムの哲学を広め、世界の立正安国の道を開くことを誓う。

「大光」の章

 10月5日、伸一はデンマークコペンハーゲンに欧州訪問の第一歩をしるす。移動の車中、同国復興の父グルントヴィと後継者コルが、広く民衆に高等教育の機会を開いたことを思い、先師・牧口、恩師・戸田の遺志を受け継ぎ、創価教育を実現する学校を設立しなければと、誓いを新たにする。ホテルでは、同国に出張中の男子部のメンバーを激励する。
 7日、西ドイツ(当時)のデュッセルドルフに入った訪問団一行は、ライン川の岸辺で、ナチスによるユダヤ人迫害を巡って語り合う。
 翌日、一行は西ベルリン(当時)に赴き、東西ベルリンの境界線付近を視察。自由を奪い、同胞や家族を引き裂く壁を前に、伸一の脳裏には、“人間の生命に潜む魔性の爪をもぎ取れ”との精神が込められた、戸田の「原水爆禁止宣言」が蘇る。
 美しい夕焼け空の下、分断の象徴であるブランデンブルク門を仰ぎながら伸一は、「三十年後には、きっと、このベルリンの壁は取り払われているだろう……」と、同行の友に言う。それは、世界の平和の実現に、生涯を捧げ、殉じようとする、彼の決意の表明にほかならなかった。

「師弟の誓願」実現へ 1961年6月――200万世帯突破

 〈恩師・戸田城聖から託された300万世帯達成へ、広布の指揮を執る山本伸一。会長就任1年余りの61年6月、学会は200万世帯を突破する〉
 二百万世帯の達成は、この年の一年間の目標であった。それをわずか半年で達成してしまったのだ。ここにまた一つ、広宣流布の未曾有の金字塔が打ち立てられたのである。
 地位や財力、権力を使っての勧誘ではない。無名の民衆が、人びとの幸福と平和を願い、誠実と情熱をもって、それぞれの立場で仏法を語り説くという、地道な活動の積み重ねによって成就されたものである。それは、伸一と心を同じくした、同志の発心がもたらした壮挙であった。(「青葉」の章、228ページ)

詩「希望に燃えて」

 希望に燃えて 怒濤に向い
 たとい貧しき 身なりとも
 人が笑おが あざけよが
 じっとこらえて 今に見ろ
  
 まずは働け 若さの限り
 なかには 侮る者もあろ
 されどニッコリ 心は燃えて
 強く正しく わが途進め
  
 苦難の道を 悠々と
 明るく微笑み 大空仰ぎゃ
 見ゆる未来の 希望峰
 ぼくは進むぞ また今日も

 これは、19歳の池田先生が戸田先生と出会った直後に詠んだもの。「凱旋」の章では、山本伸一が60年3月に群馬の高崎を訪れた折、青年たちにこの詩を贈って激励する場面が描かれている。

 ※『新・人間革命』の本文は、聖教ワイド文庫の最新刷に基づいています。

 【挿絵】内田健一郎 【題字のイラスト】間瀬健治