〈教学〉 1月度座談会拝読御書 大悪大善御書 2019年1月5日

〈教学〉 1月度座談会拝読御書 大悪大善御書 2019年1月5日

御書全集 1300ページ1行目~3行目
編年体御書 1431ページ1行目~3行目
地涌の菩薩の底力で妙法流布を
大願に生きる人は最も尊く、最も強い
拝読御文

 大事には小瑞なし、大悪をこれば大善きたる、すでに大謗法・国にあり大正法必ずひろまるべし、各各なにをかなげかせ給うべき、迦葉尊者にあらずとも・まいをも・まいぬべし、舎利弗にあらねども・立ってをどりぬべし、上行菩薩の大地よりいで給いしには・をどりてこそいで給いしか

本抄について

 本抄は、一部分のみが伝えられているお手紙です。
 そのため、いつ、誰に与えられたものか不明です。ただ、その内容から、悪世末法の中で、苦闘している弟子を激励するために、認められたと推察されます。
 日蓮大聖人の御在世当時は、一国を挙げた大謗法によって、三災七難が相次ぎました。さらに、大聖人が「立正安国論」で示された自界叛逆難、他国侵逼難も、それぞれ二月騒動、蒙古襲来として現実のものとなるなど、社会全体が騒然としていました。
 大聖人は本抄で、大悪は大正法が広まる大善の前兆であるとの御確信を述べられ、嘆いてはならないと励まされます。
 そして、成仏の法を聞いた迦葉や舎利弗が大歓喜して舞い踊ったように、妙法流布を誓って上行菩薩が大地から躍り出たように、普賢菩薩法華経の会座に勇んではせ参じたように、苦難の中にあっても、喜々として、広布に前進していくよう教えられています。

逆境は人間革命の好機

 今、自分が立っている現状を、どう見るのか、どう捉えるのか――一念の違いで、同じ状況であっても、喜びを感じることもあれば、嘆きを感じることもあります。
 本抄で大聖人は、「大悪をこれば大善きたる、すでに大謗法・国にあり大正法必ずひろまるべし」と、大悪をも大正法が広まる前兆と捉えていく、一念の大転換を教えられています。
 大聖人は本抄で、釈尊十大弟子である迦葉と舎利弗が、歓喜した姿を挙げています。
 「頭陀(欲望を制する修行)第一」といわれた迦葉も、「智慧第一」といわれた舎利弗も、共に法華経以前の教えでは、成仏できないとされていました。
 しかし、迦葉も舎利弗も、法華経の会座で成仏の法に出あい、“未来に仏に成る”と知り、躍り上がらんばかりに歓喜しました。自身が本来、仏であることに目覚める以上の喜びはないのです。
 希望の大法である妙法を持つ私たちは、信心を貫けば、最後は必ず幸福になれるのです。これ以上の喜びはありません。
 にもかかわらず、現実を嘆き、諦めて受け入れることは、自身の可能性を否定することにつながり、不幸の因を積んでしまうことになってしまいます。
 だからこそ大聖人は、「各各なにをかなげかせ給う」と、諦めや弱気を排していくように教えられているのです。
 “必ず良くしてみせる”との、決定した信心の人は、厳しき現実や逆境を、そのまま人間革命の好機としていけるのです。

喜び戦う信心に歓喜

 本抄では、迦葉、舎利弗の例に続き、地涌の菩薩の上首(指導者)である上行菩薩歓喜の姿が取り上げられます。
 迦葉や舎利弗は、自身が仏であると知った喜びでしたが、上行菩薩は一切衆生を救済する使命を帯びて、悪世に躍り出る歓喜です。
 地涌の菩薩は、自ら願い、あえて悪世、悪国に生まれて、妙法を弘めます。
 ゆえに、地涌の菩薩にとって、現実世界が自らの使命を果たすべき絶好の舞台になるのです。そこには絶望もなければ、嘆きもありません。むしろ、困難であればあるほど、大きな使命に生きる喜びにあふれ、生命の底力を発揮していくのが、地涌の菩薩なのです。
 大聖人は別の御書で、「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか」(1360ページ)と仰せです。地涌の偉大な生命力は、広布に生きる学会員一人一人に、厳然と具わっています。
 さらに大聖人は、「願くは我が弟子等・大願ををこせ」(御書1561ページ)と、誓いの人生を門下に教えられています。それは、誓願を立てることが、大悪を大善に、悪国を大正法の広まる仏国へと変えていく、歓喜の力、根源の力を引き出すカギだからです。
 池田先生は、「『広宣流布の大願』と『仏界の生命』とは一体です。だからこそ――この誓いに生き抜く時、人は最も尊く、最も強く、最も大きくなれる」と語っています。
 どんなに状況が悪かろうが、嘆かず、怯まず、“いよいよ、これからだ!”と、喜び戦う信心に、踊躍歓喜の大生命力が沸き起こってくるのです。

生きる力を奪う謗法

 大聖人が鎌倉で弘教を開始された当時、異常気象や大地震などの天変地異が相次ぎ、大飢饉、疫病なども続発。人々は苦しみにあえいでいました。
 大聖人は民衆救済のため「立正安国論」を著し、時の実質的な最高権力者の北条時頼に提出しました。
 その中で、天変地異が続く原因は、人々が正法に背いて邪法を信じる謗法にあり、最大の元凶は念仏であると指摘。人々が正法に帰依しなければ、三災七難のうち、まだ起こっていない自界叛逆難、他国侵逼難の二つが起こるであろうと警告しました。
 ところが幕府は、大聖人の諫言を無視しただけでなく、念仏者たちと結託。大聖人を亡き者にしようと、迫害を加えていきました。
 このように、万人成仏の教えである法華経を否定し、法華経の行者を迫害する状況を、大聖人は「大謗法・国にあり」と仰せになっていると拝せます。
 念仏は、死後の救済を願う教えです。人々を現実から逃避させ、生きる力を奪います。それと対極にあるのが、生きる力を沸き立たせる大聖人の仏法です。
 池田先生は「闇が深ければ深いほど、自分自身の生命を、太陽のごとく光り輝かせ、現実の暗闇を明々と照らしていく。これが創価の人生である。仏法の人生であり、真実の人生である」と語られています。
 地域や職場にあって、自らが輝くことで、人々に希望を送る生き方こそ「真実の人生」なのです。

池田先生の指針から 「不退の人」が「勝利の人」

 私どもの創価広宣流布運動は、世界中から地涌の菩薩を呼び出し、大いなる平和と希望のうねりを広げゆく「民衆の大行進」ともいえましょう。
 「大悪をこれば大善きたる(中略)各各なにをかなげかせ給うべき」(御書1300ページ)と悠然と宣言なされた御抄には、さらに、「上行菩薩の大地よりいで給いしには・をどりてこそいで給いしか」(同ページ)と仰せです。
 地涌の菩薩のリーダーである上行菩薩は、舞を舞うが如く大地から勇んで踊り出てきたと言われています。しかも、この上行菩薩一人だけではありません。「同時に涌出せり」(法華経452ページ)です。無量無数の地涌の菩薩が一緒に躍り出たのです。
 法華経には、虚空会の一座の人々が、地涌の菩薩が無量の国土の虚空に遍満する姿を見たと説かれています。自由で、快活で、しかも整然と、そして壮大な舞台で――それは、まさに、歓喜また歓喜の波動が広げる「地涌の大行進」です。
 (2013年11月号「大白蓮華」に掲載の「勝利の経典『御書』に学ぶ」)
 ◇ ◆ ◇ 
 何があろうと、わが信仰の戦闘を続行しゆく「不退の人」こそが「勝利の人」です。
 牧口先生は叱咤なされた。
 「大聖人は『大悪をこれば大善きたる』『各各なにをかなげかせ給うべき』と仰せである。
 どんな時、どんな場合でも、それをバネとして、大きく転換していけ!」
 少しも嘆かない。前へ前へ進む信心こそ、「大悪」を打ち破り、「大善」に転じ切っていく力です。
 「進まざるは退転」である。もう一歩、あと一歩と忍耐強く攻め抜く。勝利をつかむ最後の一瞬まで前進をやめない。この心が大切なのです。この一念が勝敗を決するのです。
 (『御書と師弟』第2巻「不退転の信心」)
 ◇ ◆ ◇ 
 異体同心なればこそ、わが学会は断じて負けない。絶対に行き詰まらない。必ずや万事を成就し、皆が尽きることのない大功徳を受け切っていけるのです。
 これまでも、ありとあらゆる苦難を我らは異体同心で乗り越えてきました。これからも、全国・全世界の創価家族が地球を包みゆく異体同心の団結で、「大悪をこれば大善きたる」(御書1300ページ)の実証を勝ち示していこうではありませんか!
 (2018年7月10日付本紙、本部幹部会・九州総会へのメッセージ)

参考文献

 ○…『勝利の経典「御書」に学ぶ』第7巻「減劫御書」(聖教新聞社刊)
 ○…『御書と師弟』第3巻「動執生疑」(同)