〈世界広布の大道――小説「新・人間革命」に学ぶ〉 第4巻 御書編 2019年1月23日

〈世界広布の大道――小説「新・人間革命」に学ぶ〉 第4巻 御書編 2019年1月23日

 

 今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第4巻の「御書編」。小説で引用された御書、コラム「ここにフォーカス」と併せて、識者の声を紹介する。次回の「解説編」は30日付の予定。(「基礎資料編」は9日付、「名場面編」は16日付に掲載)

信心の至誠

【御文】
 福田によきたねを下させ給うか、なみだもとどまらず
 (御書1596ページ、衆生身心御書)

【通解】
 福田に、すばらしい善根の種を蒔かれたのか。厚い志に涙もとまらない。

●小説の場面から

 〈会長就任1周年を目前にしたある日、山本伸一は供養の精神について思索する〉
 広宣流布に尽くすことは、福田に善根の種を蒔くことである――それは、伸一が青春時代から、強く確信してきたことでもあった。
 彼は、戸田城聖の事業が窮地に追い込まれ、給料の遅配が続くなかで、懸命に広布の指揮を執る戸田を守り、仕えてきた日々を思い起こした。
 伸一は、広宣流布に一人立った師子を支えることは、学会を守り、広布を実現する道であると自覚していた。
 彼は、自分の生活費は極限まで切り詰め、給料は、少しでも、広布のため、学会のために使うことを信条としてきた。それは伸一の喜びであり、密かな誇りでもあった。
 そのために、オーバーのない冬を過ごしたこともあった。ようやく出た給料の一部を、戸田の広布の活動のために役立ててもらったこともあった。
 そして、その功徳と福運によって、病苦も乗り越え、今、こうして、会長として悠々と指揮を執れる境涯になれたことを、伸一は強く実感していた。
 彼は人に命じられて、そう行動してきたわけではない。それは、自らの意志によって、喜び勇んでなした行為であった。
 また、広宣流布のために生涯を捧げようと決めた伸一の、信心の至誠にほかならなかった。(「凱旋」の章、136~137ページ)

仏法者の使命

【御文】
 須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を禱らん者か
 (御書31ページ、立正安国論

【通解】
 一身の安泰を願うなら、まず世の静穏、平和を祈るべきである。

●小説の場面から

 〈1961年8月の夏季講習会で、伸一は「立正安国論」を講義する〉
 「ここには、仏法者の姿勢が明確に示されている。
 自分の安らぎのみを願って、自己の世界にこもるのではなく、人びとの苦悩を解決し、社会の繁栄と平和を築くことを祈っていってこそ、人間の道であり、真の宗教者といえます。
 社会を離れて、仏法はない。宗教が社会から遊離して、ただ来世の安穏だけを願うなら、それは、既に死せる宗教です。
 本当の意味での人間のための宗教ではありません。
 ところが、日本にあっては、それが宗教であるかのような認識がある。宗教が権力によって、骨抜きにされてきたからです」
 (中略)
 「社会の安穏を願い、周囲の人びとを思いやる心は、必然的に、社会建設への自覚を促し、行動となっていかざるを得ない。
 創価学会の目的は、この『立正安国論』に示されているように、平和な社会の実現にあります。
 この地上から、戦争を、貧困を、飢餓を、病苦を、差別を、あらゆる“悲惨”の二字を根絶していくことが、私たちの使命です。
 そこで、大事になってくるのが、そのために、現実に何をするかである。実践がなければ、すべては夢物語であり、観念です」
 (「立正安国」の章、288~289ページ)

ここにフォーカス/立正安国の精神を胸に

 小説『新・人間革命』第4巻「立正安国」の章では、山本伸一が「立正安国論」を講義する場面が描かれています。
 「立正」とは「正を立てる」、つまり正法の流布であり、生命の尊厳という哲理を、人々の胸中に確立し、社会の基本原理としていくことです。「安国」は、「国を安んずる」こと。その意味は、社会の繁栄と平和を実現することです。
 日蓮大聖人直筆の「立正安国論」には、「くに」を表現する際に、「国構え(囗)」に「民」と書く「囻」という字が多く用いられています。そこには、「安国」といっても、民衆一人一人の幸福を離れて社会の繁栄はない、という大聖人の国家観が表れています。
 「立正安国論」は、世の中の惨状を嘆く客と、主人との対話形式で執筆されています。それは、日蓮仏法が「対話の宗教」であることを示しています。
 中国・冰心文学館の王炳根前館長は、「池田会長が提唱し、自ら実践しておられる『対話の姿勢』と『対話の精神』は、さまざまな紛争を解決し、調和の世界を構築する“宝の道”でありましょう」と述べています。
 立正安国の精神を胸に、私たちが日々、繰り広げている「一対一の対話」は、地味で、目立つことのない労作業かもしれません。しかし、この「対話の道」こそ、崩れない平和を築く“宝の道”なのです。

半世紀超す執筆に思う 識者が語る/インドネシア記録博物館 創立者 ジャヤ・スプラナ氏

●「人間主義」宣揚する魂の記録

 私は、インドネシア国内のさまざまな「記録」を収集する「インドネシア記録博物館」を1990年に創立しました。
 2006年から1年半にわたって、インドネシア各地で「自然との対話――池田大作写真展」が開かれ、国内の写真展として過去最高となる、42万人の入場者を数えました。この時、わが博物館は、新記録の認定証をお贈りいたしました。
 創価学会のことは、その前から知っておりましたが、池田大作氏のことを知れば知るほど、高潔な人格と行動に尊敬の念を深めました。昨年、インドネシア創価学会の文化行事にも出席し、池田氏の平和・文化・教育における業績について、より深く理解することになりました。
 私が池田氏を心から尊敬してやまない理由として、氏が「人間主義」を宣揚し続けているということがあります。
 人間の精神性を高め、文明の発展に貢献することを価値とする考え方が「人間主義」です。これは経済や文化など、人間のあらゆる営みの源泉となるべき精神でもあります。
 池田氏は、自らの行動で生き方の範を示し、慈悲をもって他者に接し続けてきました。50年以上にわたる小説『人間革命』『新・人間革命』執筆の闘争も、「人間主義」を宣揚する、池田氏前人未到の偉業の一つだといえるでしょう。
 私も長年、執筆活動を行っており、16年からは毎日、インドネシアのオンラインの新聞に寄稿を続けています。だからこそ、池田氏の執筆記録の根底には、記録という「数字」を超越した、計り知れない「魂」があることが、よく分かります。
 インドネシア記録博物館は昨年9月、わが国の文化を世界に宣揚してきた功績をたたえ、池田氏に顕彰状を贈呈しました。
 記録博物館では通常、数字としての記録に対して顕彰を行っており、むしろ、池田氏の小説が日本の新聞小説で最長の連載となることこそ、表彰すべきなのかもしれません。しかしながら、池田氏の行動の価値は、数字としての記録を超越していると考え、顕彰させていただいた次第です。
 池田氏が世界中の共感者と心を一つに行動を続け、世界に真の平和をもたらすことを、私は願い、期待しています。
 
 Jaya Suprana 1949年、インドネシア・バリ島生まれ。インドネシア記録博物館の創立者。音楽家、作家などとしても長年、活躍してきた。

 ※『新・人間革命』の本文は、聖教ワイド文庫の最新刷に基づいています。