〈世界広布の大道 小説「新・人間革命」に学ぶ〉 第5巻 名場面編 2019年2月13日

〈世界広布の大道 小説「新・人間革命」に学ぶ〉 第5巻 名場面編 2019年2月13日

 
「勝利」の章

 今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第5巻の「名場面編」。心揺さぶる小説の名場面を紹介する。次回の「御書編」は20日付、「解説編」は27日付の予定。(「基礎資料編」は6日付に掲載)

勇気の行動が道を開く

 〈1961年10月、フランスのパリを訪れた山本伸一は、ナチス・ドイツの占領下にあったパリ解放の先陣を切った、ド・ゴール将軍の戦いを語る〉
 
 ド・ゴールは、広場に設けられた台の上に登り、マイクの前に進み出ると、空に向かって両手を大きく斜めにあげ、Vの字をつくった。
 (中略)
 彼がノートル・ダム寺院に着いた時、銃声が鳴り響いた。人びとは、慌てて、身を伏せた。さらに、何発かの銃声が起こった。だが、ド・ゴールは、何事もなかったかのように悠然としていた。
 (中略)
 彼(山本伸一=編集部注)は言葉をついだ。
 「逆境のなかで勝利の道を開くものは、指導者の強き一念だ。そして、勇気ある行動だ。それが、一つの小さな火が、燎原の火となって広がるように、人びとの心に波動し、事態を好転させていく。
 では、ド・ゴールの強き一念の源泉とは何か。それは『私自身がフランスである』との自覚です。我々の立場でいえば『私自身が創価学会である』との自覚ということになる。
 人を頼むのではなく、“自分が主体者であり、責任者だ。自分が負ければ、みんなを不幸にしてしまうのだ”という思いが人間を強くする。私たちも、どんな苦戦を強いられようが、必ず勝って、広布の凱旋門をくぐろうよ」(「開道」の章、36~38ページ)

青春の日の森ケ崎海岸

 〈バチカン市国を訪問した山本伸一は、かつて森ケ崎海岸で、キリスト教への入信を打ち明ける友と語り合ったことを思い起こす〉
 
 友人の考えを尊重したかったし、彼には、まだ、友人に確信をもって語ることのできる思想や哲学はなかった。
 「君が、そう決めたのなら、それもよいと思う。ともかく、ぼくの願いは、君が幸せになることだ。ぼくが進もうとする道とは異なると思うが、そこから君が何かをつかみ、人生の大空に飛び立ってもらいたい。ぼくも今は結核だし、生活も苦しいが、すべてを乗り越えて、社会のため、人びとのために貢献できる、堂々たる人生を開こうと思う。お互いに頑張ろう」
 (中略)
 彼は、この友人との語らいを詩にしてノートに記し、「森ケ崎海岸」という題をつけた。
  
  岸辺に友と 森ケ崎
  磯の香高く 波かえし
  十九の青春 道まよい
  哲学語り 時はすぐ
 (中略)
 伸一は、その思い出を、同行の青年たちに語っていった。
 「……もし、彼と会うことができたら、また、人生を語り合いたい。そして、仏法を教えたいと思う。布教といっても友情から始まる。相手を尊重してこそ、本当の対話ができる」
 (「歓喜」の章、143~146ページ)

自ら検事の虚偽を暴く

 〈「大阪事件」の裁判で、山本伸一は、検事たちの虚偽の発言を暴き、62年1月25日、無罪判決を勝ち取る〉
 
 主任検事は、伸一が釈放になった日のことを、次のように語ったのである。
 「その日は、朝から八千人の人が中央公会堂に集まりまして、その一部の人が、検察庁のなかに一気に入って来たんです。廊下が真っ黒になるほどでした。
 (中略)
 目の前にずらっといた一人に、山本君が『ひかえさせろ』と言うと、わずか五分ほどのうちに人が去り、構内は真っ白になってしまったんです」
 (中略)
 伸一から、主任検事への質問が行われた。
 「お話のなかで、検察庁のなかが真っ黒になるほどの人が来て、私が合図をしたら、いっせいに退散したという、なにか検察庁に対して圧力をかけたかのような発言がございました。それは検察庁のどの場所でしょうか。また、何人ぐらいの人が来ていたのでしょうか」
 主任検事は、一瞬、口ごもったが、虚勢を張って言った。
 「正確な人数まではわかりません」
 「では、私は、どこで合図をしたのでしょうか」
 「…………」
 「そのようなことは、ほかの検事の方は一度も証言されておりません。錯覚か、それとも噓か、どちらかではございませんでしょうか」
 「それは事実です」
 主任検事は、憮然としてこう答えるのが、精いっぱいであった。
 (中略)
 伸一を陥れようとしたにもかかわらず、かえって、裁判長の、検察官の取り調べに対する不信をつのらせる結果を招いたにちがいない。
 (「勝利」の章、185~187ページ)

新時代創る“国士十万”

 〈国士十万――それは、恩師・戸田城聖が青年に託した遺言であった。57年12月、男子部員は7万8千を数え、山本伸一は、10万の達成を確信する〉
 
 翌年の一月、伸一は戸田に報告した。
 「先生、今年は、男子部は部員十万人の達成ができます」
 「そうか!」
 布団の上に身を起こしていた戸田は、嬉しそうに目を細めて、言葉をついだ。
 「十万人の青年が集まれば、なんでもできるな。民衆のための、新しい時代の夜明けが来るぞ……」
 「はい。男子部が十万人を達成いたしましたら、国士十万の結集を行いますので、ぜひ、ご覧になってください」
 「うん、そうだな。そうだな……」
 戸田は、何度も頷いた。だが、彼は、男子部十万人の達成の報告を耳にすることなく、四月二日、世を去ったのである。男子部がこの目標を達成したのは、その年の九月末のことであった。
 伸一は、十万の青年の乱舞を、恩師に見てもらえぬことが、残念で仕方なかった。後継の青年が勢揃いした姿を、ひと目なりとも見てほしかった。
 この十万人の青年たちが核となって、伸一とともに学会を支え、特に、彼が会長に就任してからは、三百万世帯の達成をめざして、彼と同じ心で、怒濤の前進を開始したのだ。
 伸一は、新しき学会を、新しき時代を開きゆくその青年たちの、新しき未来への出発の舞台をつくろうと考え、青年部の幹部に、代表十万の集いを提案したのである。
 (「勝利」の章、197~198ページ)

民衆を守る正義の宣言

 〈62年1月、山本伸一は、関西女子部幹部会に出席。会場の中之島大阪市中央公会堂は、57年7月に大阪大会が行われた場所である〉
 
 あの日、伸一は、この公会堂の壇上で叫んだ。
 「……すべてのことは、御本尊様がお見通しであると、私は信ずるものであります。
 戸田先生は、『三類の強敵のなかにも僭聖増上慢が現れてきた』――このように言われておりますが、『大悪をこれば大善きたる』(御書一三○○ページ)との、日蓮大聖人様の御金言を確信し、私もさらに、強盛な信心を奮い起こし、皆様とともに、広宣流布に邁進する決心であります。
 最後は、信心しきったものが、御本尊様を受持しきったものが、また、正しい仏法が、必ず勝つという信念でやろうではありませんか!」
 (中略)
 関西女子部の幹部会に続いて、山本伸一は、男子部の幹部会に出席した。ここでは、伸一は、大阪事件の経過を述べ、彼の逮捕自体、でっち上げにもとづく、不当なものであったことを断言したあと、こう語った。
 (中略)
 「牧口先生、戸田先生の遺志を継ぐ私には、自分の命を惜しむ心などありません。だが、善良なる市民を、真面目に人びとのために尽くしている民衆を苦しめるような権力とは、生涯、断固として戦い抜く決意であります。これは、私の宣言です。
 仏法は勝負である。残酷な取り調べをした検事たちと、また、そうさせた権力と、私たちと、どちらが正しいか、永遠に見続けてまいりたいと思います」
 伸一の言葉には、烈々たる気迫が込められていた。
 (「獅子」の章、340~343ページ)

 ※『新・人間革命』の本文は、聖教ワイド文庫の最新刷に基づいています。

 【挿絵】内田健一郎