〈随筆 「人間革命」光あれ 池田大作〉 福光勝利の春 2019年3月11日

〈随筆 「人間革命」光あれ 池田大作〉 福光勝利の春 2019年3月11日

君も不屈なり 貴女も偉大なり
負けじ魂で! 永遠の人材城を共に
東北の「心の財」の輝きを 世界が讃嘆
左手の壮麗な白い建物が民音文化センター。音楽で心を結び、励ましを送り続けて(池田先生撮影。5日、東京・信濃町で)

 今も深く温かく、心に響く恩師の声がある。
 「昭和三十一年」(一九五六年)の四月、宮城訪問の折、東北放送のラジオ・インタビューに応じられたのである。
 「特に仙台の方々に望むというようなことはございますか?」とのアナウンサーの問いかけに、戸田先生は即答された。
 「一日も早く幸福になれ!と。これが私の主張です」
 ただただ幸せになってほしい。一人でも多く幸せにしてほしい――。こよなく愛されていた東北の友への真情であった。
 東北に続いて訪れた関西でも、雨の大阪球場で先生は師子吼なされた。
 ――正しい信心に立つならば、皆、必ず幸福になる。民衆救済に立つ者こそ日蓮大聖人の弟子である。立正安国のため、社会のため、民衆のため、大確信に立って行動していただきたい、と。
 六十三星霜を経た本年「平成三十一年」の春を、福光勝利の創価桜で飾りゆこうと、全宝友が勇気凜々と前進している。
 恩師は、いかばかり讃えてくださるだろうか。

生き抜いた8年

 八年前(二〇一一年)のあの三月十一日。
 思いもかけぬ巨大地震と大津波。続いて起こった原発事故――。「東日本大震災」は、まさに未曽有の大苦難であった。
 あれから、どれほど言語に絶する艱難と不安の風雪を堪え忍ばねばならなかったことか。
 皆で新たな出会いと絆を広げ、支え支えられて、互いの思いを重ねつつ寄り添ってこられた。苦悩に打ちひしがれた友のため、我が身を顧みず、億劫の辛労を尽くしてくださったのだ。
 まさしく仏であり、菩薩の振る舞いである。
 福島県富岡町にある双葉会館では、今年の正月、震災後初となる新年勤行会が行われた。
 県内外から百十一人の友が集った。大震災の年の新年勤行会の写真も、館内に飾られていた。
 「負けない日々」を生き抜いた同志は、この日再びカメラに納まった。苦楽を分かち合った福光の賢者たちの笑顔――。広布の宝城に、新たな黄金の一頁が刻まれた。
 あの地でも、この地でも、「地涌の正義の旗頭」の皆様は、ここが使命の大舞台なりと、自他共の幸福へ奮闘されている。
 人間とは、なんと優しく、明るく、負けない強さを持てるものか。
 君も不屈なり。貴女も偉大なり。世界よ、この「人間の英雄」を見よ! 民衆の「歓喜の凱歌」を聴け!と、私は叫びたい。

異体同心の支え

 東日本大震災以降も、深刻な自然災害が続いている。昨年も、広島、岡山、愛媛など西日本各地を蹂躙した「七月豪雨」があり、九月に起こった「北海道胆振東部地震」も激甚であった。
 打ち続く自然災害に対して、どう応戦するか。その辛苦の歩みの中で、私たちの社会は「レジリエンス」(困難を乗り越える力)をいかに強めるかという課題に、真摯に向き合い始めている。
 なればこそ、「立正安国論」で「汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を禱らん者か」(御書三一ページ)と仰せの如く、民衆の幸福と平和を根本とする生き方が輝き光っていくはずだ。
 そして、我ら創価家族には、「難を乗り越える信心」がある。崩れざる「心の財」がある。そして久遠からの「異体同心」の友がいる。
 長年、双葉会館の近くで活動してきた“多宝の父母”は、震災後、隣接の栃木県へ避難した。
 最初の座談会で、地区の友は東北の歌「青葉の誓い」を歌って、大歓迎してくれた。夫妻は友の心遣いに感極まり、声にならなかった。
 しかし、翌月の座談会では、夫婦して誇り高く、声の限りに歌った。その姿に、今度は栃木の友が胸打たれ、涙で一緒に歌えなくなったという。
 夫妻は今、富岡町に戻り、「元気に暮らすことが栃木の皆さんへの恩返し」と活躍されている。
 御聖訓に、「夫れ木をうえ候には大風吹き候へどもつよ(強)きすけ(扶)をか(介)ひぬれば・たうれず」(同一四六八ページ)と仰せ通りの人間共和のネットワークである。
 この絆は、生死を超えて永遠である。
 若くして父を亡くした南条時光への励ましには、「いよいよ強盛なるべし、さるほどならば聖霊・仏になり給うべし、成り給うならば来りてまほ(守)り給うべし」(同一五一二ページ)とある。
 大難に怯まぬ強盛な信心を貫けば、亡き家族・眷属も成仏し、我らを守る。共に「常楽我浄」の旅を続けていけるのだ。

音楽は蘇生の力

 大震災後、音楽隊の「『希望の絆』コンサート」からは、幾重にも感動が紡ぎ出されてきた。
 人をつなぎ、心を鼓舞する歌の力、音楽の力は何と大きいことか。それは「生きる歓び」と「魂の蘇生」「勇気の共鳴」をもたらしてくれる。
 民音民主音楽協会)では、世界的な音楽家やラジオ局、また地元の方々のご協力をいただき、岩手、宮城、福島の小・中学校などで「東北希望コンサート」を重ねてきた。二〇一二年の五月に陸前高田市の中学校で第一回を行い、昨年十二月の気仙沼市の中学校で七十五回を数える。
 歌や楽曲の響きと共に広がる、子どもたちの明るい笑顔こそ、何よりの復興の希望の光だ。
 この五日の朝、総本部の周辺を車で回った折、白亜の“音楽の宮殿”民音文化センターが目に飛び込んできた。昨秋、創立五十五周年を迎えた民音の海外交流は百十カ国・地域に広がり、国内での鑑賞者は一億二千万人に迫ると伺っている。
 支えてくださっている全ての方々に感謝を込めシャッターを切った。

青葉城と岡城と

 恩師が仙台の青葉城址に立ち、「学会は、人材をもって城となす」との永遠の指針を示されたのは、六十五年前(一九五四年)の春四月だった。
 詩人・土井晩翠が、この青葉城や福島・会津の鶴ケ城に着想を得て作詞したといわれる「荒城の月」の一節には、「昔の光 いまいずこ」とある。
 森羅万象は、変化、変化の連続である。
 戸田先生は青葉城を訪れたその日、仙台支部の総会で、妙法こそ生命の一切をよりよく変化させゆく根源の力であると明快に教えてくださった。
 人生も社会も、どんなことがあろうと、全てを善の方向、幸福の方向、勝利の方向へと変化させていけるのが、「人間革命」即「立正安国」の我らの祈りなのである。
 思えば、「荒城の月」の作曲者・滝廉太郎ゆかりの大分・竹田の岡城も難攻不落で知られた。
 その本丸跡で、九州の友と「荒城の月」を大合唱したことはあまりに懐かしい(一九八一年)。それは私が長編詩「青年よ 二十一世紀の広布の山を登れ」を発表した二日後、熊本へ向かう途次のことであった。
 歴史上、岡城の堅固さは「一人萬卒を制するといひしはかゝる所の事ならん」と称えられた。
 広布の勇者が「一人立つ」ならば、千人、万人にも匹敵する百戦不撓の「平和の城」となる。
 「熊本地震」(二〇一六年)では、熊本・阿蘇両地方と大分は、激しい揺れに襲われた。試練に挑み、「負けんばい!」と険難の坂を越えゆく師子のスクラムは誇り高い。
 ともあれ、城は「民衆を守る」ものだ。それは民衆が安心して暮らせる拠点であり、地域社会であろう。まさに「立正安国」とは、崩れざる民衆城を築く戦いだ。わが地域の繁栄を願って仏縁を広げる一人ひとりの誠実な行動が、この城を盤石に固めているのである。

「八」は開く義

 法華経に、八歳の竜女の「即身成仏」が説かれている。女子部や未来部のような乙女が、尊い人間勝利の道を開いたのだ。
 「御義口伝」には、「八とは色心を妙法と開くなり」(御書七四五ページ)と仰せである。「八」には、わが生命に具わる仏界を「開く」意義が込められている。
 大震災より八年。我らは今、人間復興の新生の道を開き、大きく境涯を開く「勝利の春」を迎えていると確信したい。
 かの竜女は「我が成仏を観よ」と宣言し、疑う人びとの前で即身成仏の実証を現した。その勝利の姿に、皆が「心大歓喜」したと示されている。
 いかなる宿命にも「負げでたまっか!」と、いよいよ学会精神を燃え上がらせる、東北の宝友たちそのものではないか。
 勇気ある信心で、全てを変毒為薬しゆく「世界の東北」の見事なる実証と「心の財」の輝きに、全世界の同志が「大歓喜」しているのだ。
     ◇
 昨年三月十一日、壮大に地球を結んで開催された、世界青年部総会から一年――。今、広布後継の「3・16」の誓いのままに、東北青年部をはじめ、「従藍而青」の若人が澎湃と躍り出ている。
 君たち青年こそが、「大悪を(起)これば大善きたる」「大正法必ずひろまるべし」(同一三〇〇ページ)との御金言を証明しゆく地涌の本命なのだ。
 「信ずる後継よ 不二の生命よ」――私と共に、永遠なる創価の城を築きゆこうではないか!
 (随時、掲載いたします)

 岡城への評言は古河古松軒著「西遊雑記」(『日本庶民生活史料集成』第2巻所収)三一書房