〈世界広布の大道 小説「新・人間革命」に学ぶ〉 第6巻 名場面編 2019年3月13日

〈世界広布の大道 小説「新・人間革命」に学ぶ〉 第6巻 名場面編 2019年3月13日

 
「遠路」の章

 今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第6巻の「名場面編」。心揺さぶる小説の名場面を紹介する。次回の「御書編」は20日付、「解説編」は27日付の予定。(「基礎資料編」は6日付に掲載)

幸福のダイヤは心の中に

 〈1962年(昭和37年)2月1日、イラクの首都バグダッドの南東にあるクテシフォンの遺跡を訪れた山本伸一は、飲料水などを売り、生計を立てている若者たちを励ます〉
 
 伸一は言った。(中略)
 「世界のどの国を見ても、人生で成功を収めた人は、みんな必死になって勉強し、努力し、苦労をいとわずに働いています。
 イラクの大地には石油が眠っている。しかし、採掘しなければ使うことはできない。同じように、人間の心の中にも、幸福のダイヤモンドがある。
 そのダイヤを採掘するには、あきらめたり、落胆したりせずに、懸命に努力し続けることです。そこに、知恵がわき、工夫が生まれ、困難の壁を破る道が開かれる。
 要は、真剣な一念です。苦労した分だけ、成功という実りが約束される。だから私は、あえて皆さんに、『努力せよ、苦労せよ』と言いたいのです」(中略)
 最後に、彼は言った。
 「皆さんとお話しできてよかった。皆さんの将来には、いろいろな出来事があるかもしれない。しかし、『何があっても、希望を捨てるな、自己自身に負けるな』との言葉を贈りたい。あなたたちのことは、生涯、忘れません。今日はありがとう。お元気で」
 傍らで、伸一と若者たちとの話を聞いていた、老楽士が語りかけてきた。
 「あなたは、よい話をしてくださった。一曲、あなたのために奏でよう」
 老楽士の奏でる軽やかな調べが流れた。(「宝土」の章、70~72ページ)

民衆の大情熱が偉業の力

 〈2月7日、エジプトで、クフ王の大ピラミッドを視察した伸一は、同行の青年に、ピラミッド建設について、自らの考えを語る〉
 
 ヘロドトスの記述によって、長い間、ピラミッドは、国民を奴隷のように酷使して建設されたという見方が“常識”となっていたのである。伸一は言った。
 「なぜ、私がそのヘロドトスの記述に疑問を感じるかというと、民衆が強制的に働かされ、いやいやながらつくったものが、何千年も崩れることなく残るとは思えないからだ。(中略)クフ王の大ピラミッドが残っているということは、作業にあたった一人ひとりが、強い責任感をもって、自分の仕事を完璧に仕上げていったからだ。さらに、皆が互いに補い合おうとする、団結の心がなければ不可能といえる。その真剣さ、建設への大情熱がどこから生まれたのか。少なくとも強制労働では、そんな人間の心は育たない。私は、この建設には民衆自身の意志が、強く反映されているように思う」(中略)
 一九八三年(昭和五十八年)、フランスのエジプト学の権威であるジャン・ルクランと対談した折、伸一は、自分の考えが間違いではなかったことを確認したのである。今日の研究では、大ピラミッドは、奴隷ではなく、自由民の手によってつくられたことが明らかになっている。
 (「遠路」の章、124~127ページ)

社会建設は仏法者の使命

 〈4月15日、北海道総支部の幹部会で、伸一は、仏法者の使命について訴えた〉
 
 最後に伸一は、なぜ、学会が公明政治連盟を結成して、同志を政界に送り出すのかに言及していった。
 「私どもに対して、宗教団体であるのに、なぜ選挙の支援をするのかとの批判の声がありますので、それについて、一言しておきたいと思います。
 私たちは、仏法を奉ずる信仰者でありますが、同時に社会人であり、国民として政治に参画し、一国の行方を担う責任があります。もし、自分だけ功徳を受け、幸せになればよいと考え、政治にも無関心であるならば、それは利己主義であり、社会人としての責任を放棄した姿であります。
 現在の政治を見ると、社会的な弱者を切り捨て、民衆に本当の意味での救済の手を差し伸べようとはしていないのが現状です。そこで、私どもは、仏法の慈悲の哲理を根底に、民衆の幸福のために働く同志を支援し、政界に送ろうとしているのです。それは、決して、宗教を直接、政治に持ち込むことでもなければ、学会のための政治を行うことでもありません。
 仏法者の使命として、全民衆が幸福になる社会を建設するために、あらゆる問題に取り組んでいこうとしているのです」(中略)
 伸一は、学会に浴びせられる集中砲火のような批判を一身に受け、自らそれを論破しながら、悠々と前進していった。どうすれば会員が勇気を奮い起こせるか――その一点に彼は心を砕き、猛然と戦い続けていたのである。
 (「加速」の章、210~212ページ)

慈悲の行動が自分を強く

 〈6月、伸一は日本全国を東奔西走し、同志の激励に全力を尽くす〉
 
 昨日は名古屋にいたかと思えば、今日は大阪に姿を見せ、東京に戻ったかと思うと、北海道に飛んでいるといった伸一の素早い行動に、幹部たちは「まるで、山本先生が四人も五人もいるようだ」と、感嘆しながら語り合った。
 さらに、周囲の幹部が驚いたことは、もともと病弱で疲れやすい体質の山本会長が、激闘が続けば続くほど、元気になっていくことであった。
 ある時、同行の幹部が尋ねた。
 「先生は、こんなに動いておられるのに、どうしてお元気なのでしょうか」
 伸一は、ニッコリと微笑んだ。
 「それが学会活動の不思議さなんだよ。“私には、励まさなければならない人がたくさんいる。みんなが私を待っている”と思うと、じっとしてはいられないし、勇気が湧く。(中略)
 それは、菩薩の、また仏の、強い生命が全身にあふれてくるからだよ。だから、学会活動をすればするほど、ますます元気になる。戦うことが、私の健康法でもある。
 もちろん、人間だから疲れもする。仏法は道理だから、休養も大切だ。
 (中略)
 元気になるには、自ら勇んで活動していくことが大事だ。そして、自分の具体的な目標を決めて挑戦していくことだ。目標をもって力を尽くし、それが達成できれば喜びも大きい。
 また、学会活動のすばらしさは、同志のため、人びとのためという、慈悲の行動であることだ。それが、自分を強くしていく」(「波浪」の章、264~265ページ)

師匠は原理、弟子は応用

 〈8月31日、伸一の学生部代表への「御義口伝」講義が開始される〉
 彼は、よくメンバーにこう語った。
 「私は、戸田先生から、十年間、徹底して、広宣流布の原理を教わった。師匠は原理、弟子は応用だ。
 今度は、将来、君たちが私の成したことを土台にして、何十倍も、何百倍も展開し、広宣流布の大道を開いていってほしい。私は、そのための踏み台です。目的は、人類の幸福であり、世界の平和にある」
 伸一は、毎回、講義のたびごとに、菓子や食事を用意し、一人ひとりを温かく包み込み、励ますことを忘れなかった。時に放たれる厳しい叱責も、深い慈愛からの指導であった。会場の下足箱の前に立って、底のすり減った靴を見つけると、あとから、その持ち主に、新しい靴を買い与えることもあった。メンバーは、講義を通して、山本伸一という人間に触れていったといってよい。そして、そのなかで、仏法の法理を体現した人格の輝きを知ったのである。
 受講生にとって、伸一は生き方の手本となり、人生の師として、心のなかで次第に鮮明な像を結び始めたのである。そこには、広宣流布という最高、最大の目的に向かう師弟の、温かい交流があり、触発があった。(中略)
 伸一が多忙に多忙を極めたこの時期に、学生部への講義をいっさいの行事に最優先させてきたのは、広宣流布の壮大な未来図を実現するためには、新しい人材の育成が、最重要の課題であると考えていたからだ。
 (「若鷲」の章、366~368ページ)

 ※『新・人間革命』の本文は、聖教ワイド文庫の最新刷に基づいています。

 【挿絵】内田健一郎