〈池田先生と共に 新時代を築く〉 2019年4月2日

〈池田先生と共に 新時代を築く〉 2019年4月2日

師弟の勝利桜よ咲き誇れ
 

 わが師・戸田城聖先生の祥月命日である4月2日が桜花とともに巡り来た。
 北陸と北海道――冬の厳しい北国を故郷とする恩師は、爛漫の春を告げる桜をことのほか愛されていた。
 「大作、厳寒の冬を耐えて、また桜が咲いたな」
 師の声を胸に、折々に総本部の周辺を車で回りながら、全国各地で広布に走る宝友たちに届けと、題目を送る日々である。
 皇居のお堀端に近い国立劇場の桜も見事であった(3月27日)。
 「ここで学園生が琴を奏でてきましたね」と妻が微笑んだ。東京・創価高校と関西創価高校箏曲部が優秀校として、この20年来、毎夏のように公演を重ねているのである。
 お堀端といえば、先生の事業が最悪の苦境にあった春の日、一緒に歩いたことが蘇る。急に冷たい雨が激しく降りだしたが、傘もなく、タクシーも来ない。当時のGHQ(連合国軍総司令部)のビルが高くそびえ立っていた。
 私は先生に申し上げた。
 「必ず、将来、先生に乗っていただく車も買います。広宣流布のための立派なビルも建てます。どうか、ご安心ください」
 今、いずこにも、創価の“桜の城”が輝いている。
 恩師が霊山へ旅立たれた翌日の本部幹部会で、私は青年部代表として訴えた。
 “師恩に報いる道は、ただ一つ。師匠が命を懸けて戦われた広宣流布に邁進する以外にない”
 この報恩の道こそ、地涌の若人が無限に続く創価桜の道であり、令法久住という平和の大道なのである。
 * * * 
 災害や争いが絶えず、不幸が渦巻く濁世にあって、日蓮大聖人は、留難の新潟・佐渡で宣言なされた。
 「我日本の柱とならむ我日本の眼目とならむ我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべからず」(御書232ページ)
 この御本仏の大誓願に連なる創価の師弟は、「平和の柱」「青年の眼目」「世界市民の大船」として、いやまして民衆の幸福と安穏のために戦い勝っていくのだ。
 「人生は強気でいけ!」「追撃の手をゆるめるな!」との恩師の厳たる師子吼のままに。
 * * * 
 師に捧げた小説『人間革命』全12巻が完結した折、私は聖教新聞本社の前庭に「師弟桜」を植樹した。四半世紀を経て、仰ぎ見る大樹と育った。
 そして『新・人間革命』全30巻を完結させて迎えた最初の春。あの地でもこの地でも、わが愛弟子たちが、師弟の勝利桜を咲かせゆく晴れ姿を、恩師は笑顔で見守られているに違いない。