〈世界広布の大道――小説「新・人間革命」に学ぶ〉 第7巻 御書編 2019年4月17日

〈世界広布の大道――小説「新・人間革命」に学ぶ〉 第7巻 御書編 2019年4月17日

 

 今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第7巻の「御書編」。小説で引用された御書、コラム「ここにフォーカス」と併せて、識者の「私の読後感」を紹介する。次回の「解説編」は24日付の予定。(「基礎資料編」は2日付、「名場面編」は10日付に掲載)

民衆に根差した文化運動

【御文】
 迦葉尊者にあらずとも・まいをも・まいぬべし、舎利弗にあらねども・立ってをどりぬべし、上行菩薩の大地よりいで給いしには・をどりてこそいで給いしか(御書1300ページ、大悪大善御書)

【通解】
 迦葉尊者でなくても、舞でも舞うべきところである。舎利弗でなくても、立って踊るべきところである。上行菩薩が大地から涌出された時には、踊りながら出られたではないか。

●小説の場面から
 
 〈1962年(昭和37年)秋、文化創造の旗手・芸術部が誕生。音楽祭や文化祭が開催されたことから、広宣流布と文化運動の関係が論じられていく〉
 これは、釈尊の高弟である迦葉尊者、知性の代表ともいうべき舎利弗が、法華経という成仏得道の大法を得た時、その大歓喜に、舞い、踊ったことについて述べられたものである。さらに、法華経の会座で、滅後末法の弘通を託すために、釈尊が大地の底から無数の地涌の菩薩を呼び出した時にも、その上首たる上行菩薩は、大歓喜に踊りながら出現したといわれている。大宇宙の深奥の真理を知り、その大法を弘め、一切衆生の幸福を打ち立てようとする大歓喜は、おのずから舞となり、踊りとなったといえよう。この生命の発露のなかに芸術の開花がある。(中略)
 伸一は、広宣流布は、民衆の大地に根差した文化運動であるととらえていた。
 彼は、ある時、青年たちに“広宣流布とは、いかなる状態をいうのか”と問われて、「文化という面から象徴的にいえば、たとえば日本の庶民のおばあちゃんが、井戸端会議をしながら、ベートーベンの音楽を語り、バッハを論ずる姿といえるかもしれない」と答えたことがある。
 民衆に親しまれ、愛されてこそ、文化・芸術も意味をもつといえる。
 (「文化の華」の章、42~43ページ)

人間の尊厳を守る戦い

【御文】
 今の世間を見るに人をよくなすものはかたうどよりも強敵が人をば・よくなしけるなり(御書917ページ、種種御振舞御書)

【通解】
 今の世間を見ると、人を成長させるものは、味方の人よりもかえって強い敵である。

●小説の場面から
 
 〈1963年(昭和38年)3月3日夜、伸一は“権力の魔性”について思索し、かつて「大阪事件」の渦中、戸田城聖が語った言葉を思い返す〉
 「社会の不幸に目をつぶり、宗教の世界に閉じこもり、安穏として、ただ題目を唱えているだけだとしたら、大聖人の立正安国の御精神に反する。この世の悲惨をなくし、不幸をなくし、人権を、人間の尊厳を守り、平和な社会を築いていくなかにこそ仏法の実践がある。
 それを断行するならば、当然、難が競い起こる。しかし、そんなことを恐れていたのでは、仏法者の本当の使命を果たすことはできない。それに、われわれが宿業を転換し、一生成仏していくためには、法難にあい、障魔と戦って勝つしかないのだ。(中略)
 広宣流布を破壊しようとする大悪人と、また、魔性の権力と戦い、勝てば、成仏することができる。ゆえに大聖人は、方人、つまり味方よりも、強敵が人をよくすると言われているのだ。大難の時に、勇気を奮い起こして戦えば、人は強くなる。師子になる!(中略)
 学会が難を受けた時に、自分には、直接、関係ないといって黙って見ているのか、自分も難の渦中に躍り出て、勇んで戦っていくのかが、永遠不滅なる生命の勝利、すなわち、一生成仏ができるかどうかの境目といえる」(「操舵」の章、362~365ページ) 

ここにフォーカス/「地球民族主義」の時代

 『新・人間革命』第7巻「操舵」の章に、山本伸一が「地球民族主義の大理念をもって世界を結び、恒久平和を実現しなければならない時が来た」と深く自覚する場面が描かれています。
 「地球民族主義」とは、戸田先生が提唱した理念で、政治・経済体制などの違いを超えて、“同じ地球に住む同胞”との精神的基盤に立つことです。
 「キューバ危機」が起こるなど、当時は東西両陣営の対立が激化しており、イデオロギーや民族を超えて、人間の心と心を結ぶことは、困難を極めました。しかし、その「人類史的実験」ともいえる課題に、学会は伸一を中心として果敢に挑んできました。
 戸田先生が「地球民族主義」を提唱した当時、世間の反応は“現実離れ”“夢物語”という冷ややかなものでした。その後、冷戦は終結。今、新たな形の分断と対立が続く世界にあって、戸田先生の炯眼を、共生と協調の時代を築く理念として、各界の識者が注目しています。
 「地球民族主義」の精神が、世界を照らし始める時代を迎えました。その扉を開いたのは、恩師の思想を宣揚し続けてきた池田先生です。
 師が開いた時代の流れを、さらに広げていく――それは、私たち弟子の使命と責任です。

私の読後感 識者が語る/中国文化大学元学長 林彩梅氏

●「立徳」「立功」「立言」の指導者

 『新・人間革命』第7巻に、台北松山空港での、山本伸一と台湾SGIのメンバーとの出会いが記されています。当時、台湾は戒厳令下で、言論や集会が著しく制限されていました。
 伸一は「本当の勝負は、三十年、四十年先です。最後は必ず勝ちます」「冬は必ず春となります」と語ります。その励ましを抱き締め、メンバーは社会に貢献してきました。
 台湾SGIは、台湾行政院の内政部から「社会優良団体賞」を19回、教育部(日本の文部科学省に当たる)から「社会教育功労団体賞」を8回受賞しています。一人一人が「良き市民」として行動し、数多くの善の価値を創造しています。
 池田先生の哲学は、青年に対して、倫理的・道徳的に大きな啓発をもたらすものです。その哲学を実践し、社会へと広げる台湾SGIは、「教育的価値」を有しています。
 また、多角的な文化運動を展開しています。東京富士美術館所蔵の「日本名画文物展」や「西洋名画展」が台湾で開催されたこともあります。台湾SGIは、「文化的価値」にもあふれています。
 1999年、台湾で大地震が発生しました。この時、台湾SGIの青年たちは、救援活動に奔走しました。彼らの姿そのものが、池田先生の哲学の偉大さを証明していると感じます。
 25年前の11月、中国文化大学の張鏡湖理事長と共に、池田先生とお会いしました。この会見でテーマの一つとなったのが、「王道」と「覇道」です。
 人類は、軍事力などの外的な力で他を支配する「覇道」ではなく、内発的な精神の力によって共生の社会を築く「王道」を進まねばなりません。その根本こそが、一人一人の「人間革命」――これが、池田先生の信念でありましょう。
 中国の古典『春秋左氏伝』には、時が経過しても、決して朽ちないものがあると書かれています。①徳を立て、世の人々の手本となる「立徳」②功を立て、世の人々に恩恵を残す「立功」③言を立て、よき教えを残す「立言」です。
 私は中国文化大学で、「池田大作研究センター」の所長を務めましたが、池田先生の思想と行動を知るほど、先生は世界平和と人類の幸福のために貢献する「立徳」「立功」「立言」の指導者であると実感します。その偉大さは、まさに永遠の輝きを放っているのです。

 りん・さいばい 台湾生まれ。台湾有数の総合大学である中国文化大学で、学長を務めた。2003年、同大学に設立された「池田大作研究センター」の初代所長に就任。池田思想研究に力を注ぐ。

 ※『新・人間革命』の本文は、聖教ワイド文庫の最新刷に基づいています。