〈座談会 創立90周年を勝ち開く!〉34 世界の同志と共に晴れやかに迎える「5月3日」 広布誓願の民衆の大連帯 2019年4月29日

〈座談会 創立90周年を勝ち開く!〉34 世界の同志と共に晴れやかに迎える「5月3日」 広布誓願の民衆の大連帯 2019年4月29日

仏意仏勅の学会は新時代を飛翔
〈出席者〉
原田会長
長谷川理事長
永石婦人部長
竹岡青年部長
志賀男子部長
大串女子部長
師の不惜身命の大闘争によって築かれた、192カ国・地域の地涌スクラム。さあ、世界の友と一緒に、喜び勇んで広布の道を!

 原田 同志の皆さまの「信心」と「団結」によって、晴れ晴れと、また威風堂々と、5・3「創価学会の日」「創価学会母の日」を迎えることができます。皆で大奮闘をたたえ合い、あらためて大拍手を送り合いたいと思います(一同、大拍手)。

 長谷川 10連休となる、このゴールデンウイーク。賢く上手に疲れを取りながら、十分に英気を養ってまいりたい。また、友好拡大の絶好のチャンスです。

 永石 いつも支えてくださる家族を大切にしながら、日頃会えない親戚や友人・知人と友好を深めるなど、有意義な大型連休にしていきたいですね。

 長谷川 今、来日している世界のリーダーも、日本の立正安国の勝利を祈り続けてくれています。私たちも、いよいよの異体同心の団結で前進していきたい。池田先生は、「広布と人生の限りなき栄光凱歌へ、さらにさらに団結固く、勝ち進もうではないか!」と呼び掛けられています。

 志賀 思い起こすのは、12年前の4月の本部幹部会での次のスピーチです。「私は、あらゆる戦いに勝ってきた。『仏法は勝負』であるからだ」「勝てば、楽しい。痛快である。どれだけの歴史を築けるか。どれだけ、自分自身を大きくしていけるか。思い切って挑んでいくことだ」と。

 長谷川 席上、さらに、リーダーは「友の健康と無事故を勝ち取る、大きな責任がある。しっかりと祈りながら、偉大なる名指揮をお願いしたい」とも言われました。

 原田 このご指導の通り、リーダーは、自覚も新たに、連続勝利に向かって進んでいきたい。

 永石 「大白蓮華」5月号の「世界を照らす太陽の仏法」では、「5・3」を迎えるに当たり、「私たちは今一度、創価学会こそ『地涌の菩薩』の陣列であり、広宣流布誓願で結ばれた民衆の地球的大連帯であることを確認しておきたいと思います」とつづられています。

 大串 「広宣流布の時一閻浮提の一切衆生法華経の行者となるべきを涌出とは云うなり」(御書834ページ)との仰せを拝し、「不思議にも今この時、広布の大使命に燃えて世界中に同時に涌出した師弟――これが、創価学会です」とも述べられています。

 原田 「信心の利剣あればこそ、三障四魔、三類の強敵とのいかなる大闘争をも勝ち越えていける」とも教えてくださいました。世界中の友と一緒に、次の勝利の山へ、広布の大道を堂々と歩んでいきましょう。

大聖人直結の団体

 大串 明30日で、31年にわたる「平成」が幕を閉じ、5月1日から新元号「令和」がスタートします。

 原田 平成の時代は、仏意仏勅の広宣流布の団体である創価学会邪宗門と別れ、世界宗教へ大きく飛翔した時代でもありました。

 長谷川 学会は創立以来、日蓮大聖人直結の信心で、正法を弘め、万人の幸福と立正安国、世界の平和のために活動してきました。

 原田 宗門も、とりわけ池田先生の代に、学会の赤誠の外護で興隆しました。ところが宗門は権威化し、腐敗、堕落していきます。

 竹岡 学会の大発展と、偉大な平和行動を続ける池田先生に嫉妬した日顕は、学会の破壊を画策。平成2年(1990年)、前代未聞の大謀略「C作戦(創価学会分離作戦)」を実行してきたのです。

 志賀 同年12月、宗門は突然、宗規(宗門の規約)を一方的に変更し、池田先生に対し、法華講(宗門の信徒団体)総講頭の役職罷免を通告してきました。

 長谷川 学会は話し合いによる解決を求めましたが、宗門は拒否。狙いは創価の師弟の分断であり、衣の権威で学会員を隷属させることにあったのは明白でした。

 竹岡 翌年11月、全く根拠のない「解散勧告書」、さらには「破門通告書」なるものを送付してきて、一方的に、学会を破門するにいたったのです。

 原田 しかし、周知のように、日顕の謀略は大失敗に終わります。邪宗門から「魂の独立」を果たした学会は、池田先生のもと、正法正義を貫き、広宣流布にまい進。当時115カ国・地域であったSGIは、今や192カ国・地域に大発展しています。

 志賀 反対に、日顕宗の信者数は学会を破門する前のわずか2%にまで激減。その後も衰退の一途をたどっています。

 原田 この厳然たる事実は、学会が大聖人御遺命の広宣流布を実践する唯一の団体であり、学会にこそ信心の血脈が流れ通っていることを示すものです。

政治を安定させる

 竹岡 一方、政治の世界では、平成11年(1999年)に、自民党の要請で公明党が連立政権に参画。今年で20年となります。公明党は、民主党政権の3年間を除き、今日まで日本政治の一翼を担ってきました。

 志賀 この間に公明党が果たした役割は、多くの識者が評価しています。たとえば、一橋大学大学院の中北浩爾教授は、「(公明党は)政権に“おごり”が生じないよう自民党と緊張感をもって接し、憲法や外交・安全保障などで中道の方向に引っ張っている」「公明党が存在感を示すことは、日本政治を安定させる上で不可欠になっている」と述べています。

 竹岡 先日、公明党の山口代表も、そうした厳然たる実績の上から、「公明党が参加する連立政権の枠組みが最も安定的で、国民に成果をもたらしているとの自覚と誇り、責任感をもって歩んでいきたい」と語っていました。

 原田 「令和」の時代を迎えるに当たり、公明党は、なお一層、支持者と国民の期待に応える戦いをしてもらいたい。