〈教学〉5月度座談会拝読御書 種種御振舞御書 2019年5月4日

〈教学〉5月度座談会拝読御書 種種御振舞御書 2019年5月4日

御書全集 919ページ3行目~6行目
編年体御書956ページ3行目~6行目
平和と安穏の世界へ、一人立て
創価の誇りに燃え  正義の師子吼を!
 
拝読御文

 日蓮によりて日本国の有無はあるべし、譬へば宅に柱なければ・たもたず人に魂なければ死人なり、日蓮は日本の人の魂なり平左衛門既に日本の柱をたをしぬ、只今世乱れてそれともなく・ゆめの如くに妄語出来して此の御一門どしうちして後には他国よりせめらるべし、例せば立正安国論に委しきが如し

本抄について

 本抄は建治2年(1276年)、日蓮大聖人が55歳の時、身延で認められ、安房国(千葉県南部)の門下・光日尼に与えられたとされていますが、詳細は不明です。
 文永5年(1268年)から身延入山に至るまでの、大聖人御自身の大難との闘争をはじめとする振る舞いについて、つづられています。
 まず、文永5年に蒙古から国書が届き、「立正安国論」で予言した二難のうち、「他国侵逼難」(他国からの侵略)が、現実のこととなって迫ってきたことを述べられます。
 続いて大聖人は、末法折伏を行ずると必ず大難が起こることを示され、門下に、不惜身命で戦い、大聖人の後に続くよう教えられています。
 事実、文永8年(1271年)9月、平左衛門尉頼綱が率いる武装した軍勢が、大聖人を捕縛し、ひそかに竜の口で斬首しようとしました(竜の口の法難)。ところが、失敗に終わり、大聖人は佐渡流罪されます。
 大聖人は、佐渡で、御自身こそ末法の人々を救う存在であるとの大確信の書「開目抄」を著され、文永9年2月、弟子一同に送られます。また同月、北条一族の内乱である「二月騒動」が起き、「自界叛逆難」の予言が的中します。
 文永11年、大聖人は流罪から赦免され、鎌倉に戻られます。そこで、平左衛門尉を厳しく諫められ、同年5月に鎌倉を出て身延に入られました。
 最後に身延での生活と、はるばる身延まで便りを届けた門下の信心をたたえられ、本抄を結ばれています。

大聖人こそ「日本の柱」

 日蓮によって、日本国の存亡は決まる。
 日蓮は日本の人の魂である。
 ――日蓮大聖人の烈々たる御確信から発せられたお言葉です。
 本抄で大聖人は、「法華経の肝心・諸仏の眼目たる妙法蓮華経の五字・末法の始に一閻浮提にひろまらせ給うべき瑞相に日蓮さきがけしたり」(御書910ページ)と仰せです。
 大聖人、ただお一人が、末法の民衆救済のために立ち上がり、妙法流布を開始されました。
 五濁悪世の末法にあって、大聖人がいらっしゃらなければ、一切衆生の成仏の道は、閉ざされてしまうことになります。
 ゆえに、民衆を幸福に導き、国土に安穏をもたらすために、不惜身命で妙法を弘通する大聖人こそ、「日本の人の魂」「日本の柱」であることは、法華経の経文に照らして間違いありません。
 さらに、「日蓮によって、日本国の存亡は決まる」との仰せには、どこかの、だれかが、人々を救うのではなく、“私が万人成仏の道を開くのだ”との大慈悲心から発せられた、主体者として立つ覚悟を示されていると拝せます。
 それは取りも直さず、門下一人一人に“私と同じ自覚で、広宣流布に戦い、生き抜け!”との呼び掛けでもあります。
 大聖人直結で、全人類の幸福と世界の平和を願い、広宣流布を進める私たちも、自分が今いる地域や職場の幸福責任者との自覚と誇りを胸に、積極的に動き、語り、信頼の柱、希望の柱となっていくことが大切なのです。

「立正安国」の対話を

 拝読御文の後半で、「北条家御一門において同士討ちが起こり、後には他国から攻められるであろう」と、「立正安国論」で予言した、「他国侵逼難」「自界叛逆難」が現実になると述べられています。
 大聖人は、予言が的中することを、望まれていたわけでは決してありません。大聖人は、どこまでも、国土の安穏と民衆の幸福を願われていました。
 予言といっても、何かのお告げなどといった、神秘的なものでは全くありません。社会の根本原理の誤り、人々の精神の荒廃が、さまざまな現象となって表れることを知っているがゆえに、それを防ごうとされたのです。
 だからこそ、「立正安国論」を著し、内外の戦乱という災難を、事前に押しとどめるために、時の権力者を諫暁したのです。
 ところが幕府は、大聖人の諫言を用いないばかりか、大聖人を亡き者にしようと、さまざまな迫害を加えてきたのです。
 ゆえに大聖人は、竜の口の法難、佐渡流罪などの弾圧を、「日本の柱」を倒す所行であると断じられているのです。
 大聖人への迫害は、社会が依って立つべき精神の基盤を、権力者が自ら破壊してしまうことと同じです。
 事実、人々の思想が乱れ、社会が騒然とし、「立正安国論」での予言が「二月騒動」「蒙古襲来」として現実となり、大聖人の言葉が真実であることが証明されました。
 社会の安穏と言っても、その根本は、民衆一人一人の心に人間主義の哲学を打ち立てることです。
 大聖人が、生涯、「立正安国」の言論戦を貫かれたように、私たちも、民衆の幸福と世界の平和へ、勇気の師子吼を広げていきましょう。

 大聖人の御生涯の中でも、最も大きな法難に、敢然と挑まれた振る舞いが示されたのが本抄です。
 いかなる迫害の嵐をも見下ろしていく、大聖人の大境涯を象徴する本抄の一節こそ、「日蓮悦んで云く本より存知の旨なり」(御書910ページ)です。
 なぜ、大聖人は、“うれしい”とまで言い切られたのでしょう。
 それは、妙法蓮華経の五字を末法に弘める者は、必ず迫害されるとの経文を、身で読む喜びからです。
 大聖人は、なぜ自らの闘争の姿を門下に書き送られたのでしょう。
 池田先生は、つづっています。
 「『わが弟子に、何としても勝ってもらいたい!』『法華経の行者の振る舞いとは、境涯とは、いかなるものか、後世に示し残しておきたい!』――そうした大聖人の、迸るような熱き思いが、本抄には込められていると、拝されてなりません」
 大聖人はさらに、「各各思い切り給へ此の身を法華経にかうるは石に金をかへ糞に米をかうるなり」(同ページ)とも仰せです。
 広宣流布の途上に、さまざまな難が競い起こってくるのは必然です。その時に、“私と同じように強く生き抜け!”と教えられているのです。なんとありがたいことでしょうか。
 師匠は、弟子に自身の振る舞いを通して、師弟不二の成仏の道を教えられています。報恩の心で続くかどうかは、どこまでも弟子にかかっているのです。

池田先生の指針から 「私には広宣流布しかない」

 「日本の柱」とは、いかなる権力の魔性にも倒されない、万人救済の正義の信念に生きぬく覚悟と不惜の闘争があればこそ、表現できる言葉です。
 この御本仏の魂を受け継いだのが創価学会にほかなりません。いな、創価学会しかありません。
 私の脳裏には、会長就任直前の戸田先生の言葉が刻まれています。
 「私には広宣流布しかない」「私は立つぞ! 誰がなんと言おうが、恐れるものか! もう、何ものにも邪魔させるものか!」「私は、一人立つぞ!」と。
 いつの時代にあっても、いずれの国土にあっても、広宣流布は、常に「一人立つ精神」から始まります。「一人立つ」心があれば、妙法の力用は自在に発揮されます。
 私も、戸田先生の弟子として、世界広宣流布という未聞の道に「一人」立ち上がりました。
 「一人立つ精神」こそ、三世永遠に変わらぬ妙法弘通の根本原則です。
 そして、「誓願の心」こそ、法華経の行者の魂であり、大聖人の宗教の根幹です。(『池田大作全集』第34巻「開目抄講義」)
 ◇ ◆ ◇ 
 大事なのは、強盛なる信心の「一人」である。一人の「一念」であり、「心」である。
 環境がどうあれ、魂の「金の城の人」が一人いれば、「黄金の人材」さえ一人いれば、すべてを良き方向へ、幸福の方向へと開いていける。この「真剣の一人」を育て、「真剣の一人」に育ちながら、私どもは進んでいきたい。
 学会員一人一人が、真金の人と輝くならば、全人類も、「幸福」へ、「安穏」へ、「平和」へと導いていけないはずがない。事実、学会の発展と、歩調を合わせるかのように、日本と世界の歴史も、大きく転換してきた。その意味から、学会こそ、「日本の柱」「世界の光」との気概で進みたい。
 (1994年1月、「新春幹部会」でのスピーチ、『池田大作全集』第84巻所収)

参考文献

 ○…『御書と師弟』第2巻(聖教新聞社
 ○…2012年4~6月号「大白蓮華」掲載の「勝利の経典『御書』に学ぶ」(同)