本部幹部会で紹介された池田先生の指針 学会は正義の中の正義の団体 2019年5月14日

本部幹部会で紹介された池田先生の指針 学会は正義の中の正義の団体 2019年5月14日

行動こそ真実の信仰の証し
2005年5月の本部幹部会でスピーチする池田先生(八王子市の東京牧口記念会館で)

 「世界広布新時代第41回本部幹部会」(3日、巣鴨の東京戸田記念講堂)の席上、2005年5月の本部幹部会での池田先生のスピーチ映像が上映された。師弟勝利の月・7月へ、いよいよの決意で前進する友への指針として掲載する。

 一、恩師・戸田先生は、常々、こうおっしゃった。
 「正義は絶対に勝たねばならない。正義が負ければ正義ではなくなる。創価学会は、正義の中の正義の団体である。ゆえに、絶対に勝たねばならない。勝ってもらいたい。永遠に勝ち抜き、勝ち誇って、一生を送ってもらいたい」
 厳しく、正しき恩師の指導であった。
 この恩師の言葉の通り、全国の同志が力を振りしぼり、何があっても我慢して、広宣流布のために戦い、勝ってくださった。忍耐と希望を持ちながら、敢然と前進してくださった。
 それゆえに、会長就任以来、この45年間を連戦連勝で進んでくることができたのである。
 一、戸田先生の希望は「青年」であった。
 「これからの日本、そして世界は、青年が嵐のごとき絶讃の応援をしていくならば、どんなことでも実現できる。否、それしかこれからの大業の実現はありえない」
 これが、先生の大確信であった。私も「青年の時代」をつくっている。世界広布という大業の実現は、青年に託すしかないからだ。日本はもとより、海外も、頼もしい青年が増えてきた。私は本当にうれしい。
 一、戸田先生は言われた。
 「生命力の弱い者は、強い者に負ける!」
 生命力を増す。それには題目をあげることだ。色心ともに健康になるのだ。
 生命力を強くする軌道が、折伏であり、広宣流布である。そのリズムに乗った人間は強い。
 広宣流布の組織から離れた人間は弱い。強いように見えても、勝手気ままに偉そうな格好をしていても、弱い。
 また、戸田先生は「新しい仕事というのは、自分たちのこれまでの枠を破るところから出発するものだ」と言われていた。
 深い意味をもった言葉である。よく思索していただきたい。偉大な仕事、価値ある仕事をすることだ。

善の連帯を拡大

 一、戸田先生は師子吼された。
 「広宣流布の大業というものは、魔との闘いである。たじろぐことは許されない。負ければ、人類は、永遠に闇に包まれてしまう」
 広宣流布は魔との闘争である。魔に打ち勝てばいいのである。そうすれば、平和と幸福の花園が広がっていく。
 魔が出現しない広宣流布の戦いなど、ありえない。大聖人は「此の世界は第六天の魔王の所領」(御書1081ページ)と、明確に仰せである。
 では、「魔を打ち破る利剣」とは何か。
 それは「題目の力」である。
 魔を打ち破って、多くの人を味方につける。これは、すごいことである。折伏である。邪義を破折して屈服させるのだ。
 魔との戦いは、幸福になるためである。仏になるためである。永遠の功徳輝く生命になるための、いちばんの力であり、近道である。
 魔と恐れなく戦え! 魔の蠢動を許すな! 絶対に妥協するな!――そう恩師は叫んだ。
 正義が負ければ、人類は闇に包まれる。地球を救うには、善の連帯を広げるしかない。
 一、さらに、小樽問答(1955年〈昭和30年〉3月)の時のことである。
 問答は学会の正義を満天下に示した、歴史的な他宗との法論であった。日蓮宗(身延派)は宗門を相手にしたいと言ってきたが、宗門が逃げ回り、代わって学会が、受けて立った。社会も大いに注目した。
 戸田先生は、私を中心とする青年部に、全権を任された。「大作、やってやろうじゃないか」「行ってくれ」と。
 〈池田先生は当時、青年部の室長として、実質的に対策の指揮をとっていた。法論では、学会側の司会を務め、痛烈な破折の第一声で、勝敗の帰趨を決した〉
 法論の勝利のために、もっとも大事な点は何だったか。
 それは、法論の中身の問題ではなかった。戸田先生はただ、「思いきり攻撃する」ことを教えられた。「攻めることが肝心なのだ」と。
 学会は永遠に、この攻撃精神で進みましょう!

幸福への王道を

 一、戸田先生は訴えた。
 「最後に勝つ、その人が本当の勝利者である」
 「戦わなければ正義は敗れる。正義であればこそ負けるわけにはいかない。断じて勝たねばならない。だから戦うのだ。師子は吠えてこそ師子である」
 たとえ正義であっても、敗れてしまえば、現実に何の波動も起こせない。
 勝ってこそ正義である。だから勝ちましょう!
 戸田先生は達観されていた。
 「野良犬が吠えるような、いかなる罵倒や非難があっても、決して動ずるな! そんな、つまらぬことに、決して紛動されるな! 
 英雄の道を歩むのだ。偉人の道を歩むのだ。私たちの信奉する大聖人の難から見れば、すべて九牛の一毛(取るに足りないこと)に過ぎないのだ」
 私たちもまた、恩師のごとく、こういう境涯で頑張ろう!
 一、インド独立の父マハトマ・ガンジーは言った。
 「信仰が、その結果として行動に移されないとしたら、いったい信仰とは、何であろう?」
 信仰は、観念論ではない。「行動」こそ、真実の信仰の証しである。
 私はかつて、世界的に有名な微生物学者であり、医学の分野で大きな業績を残されたルネ・デュボス博士とお会いしたことがある(1973年〈昭和48年〉11月)。
 デュボス博士は、こう述べている。
 「努力のない人間が堕落し、努力なくしては人は進歩することができず、そして努力なくして人が幸福になりえないことは、歴史の教えるところである」(『生命の灯』長野敬・新村朋美訳、思索社
 「努力のない人間は堕落する」――まったくその通りである。
 努力していない人が、本当に幸福になったためしはない。
 皆さんには今、さまざまな苦労があるかもしれない。
 しかし、大変ではあるけれども、そうした苦労のなかで努力しているからこそ、幸福になれる。努力と幸福は一体である。
 その確信をもって、広布のために勇んで苦労し、幸福への王道を歩み抜いてまいりたい。