〈座談会 創立90周年を勝ち開く!〉39 5月19日は創価学会常住御本尊の記念日 広宣流布は我ら久遠の大誓願 2019年5月16日

〈座談会 創立90周年を勝ち開く!〉39 5月19日は創価学会常住御本尊の記念日 広宣流布は我ら久遠の大誓願 2019年5月16日

“創造的人生”こそ“健康人生”
〈出席者〉
原田会長
長谷川理事長
永石婦人部長
志賀男子部長
大串女子部長
広宣流布大誓堂」に集い来る世界の同志。我ら「創価の師弟」こそ、御本仏直結の地涌の菩薩の大陣列

 大串 5月19日は、「創価学会常住御本尊」の記念日です。

 志賀 これは、1951年(昭和26年)5月3日、第2代会長に就任された戸田先生が、仏意仏勅の広宣流布の団体である創価学会の「金剛不壊の大車軸」として発願。同月19日に認められたことに由来します。

 永石 脇書に「大法弘通慈折広宣流布大願成就」と記された常住御本尊は、学会本部に御安置されました。そして、57年(同32年)12月には、戸田先生の生涯の願業であった75万世帯の弘教が成就されます。

 原田 その後、第3代会長に就任された池田先生は、戸田先生の不二の弟子として、本部の師弟会館で、この御本尊を厳然とお守り申し上げ、一閻浮提への「大法弘通」「慈折広宣流布」の大願成就のため、死身弘法の指揮を執ってこられたのです。

 長谷川 池田先生は、この御本尊の御前で、全同志の健康とご多幸、人間革命と一生成仏を祈り抜き、末法万年尽未来際を見つめ、後継の人材の大河を創り、令法久住への完璧なる基盤を築いてくださいました。

 永石 今や学会は世界192カ国・地域に広がり、その平和・文化・教育の運動に、各国の方々から期待と共感が寄せられています。

 志賀 世界広布新時代を迎え、常住御本尊は、東京・信濃町広宣流布大誓堂に御安置されています。大誓堂にある「広宣流布 誓願の碑」の碑文に、先生は、「広宣流布は、世界の平和と社会の繁栄を開きゆく大道なり。全人類を救わんとする、我らの久遠の大誓願なり」とつづられています。

 大串 全国、全世界の同志が大誓堂に集い行われる「広宣流布誓願勤行会」では、常住御本尊に、皆が誓願の祈りをささげ、新たな決意で出発しています。

 志賀 池田門下の私たちは、“戦いに勝ってこそ後継である”との決定した一念で勝ち進んでいきます。

宗祖違背の邪宗門

 原田 学会の大発展とともに、日蓮大聖人の仏法は世界に弘まり、全人類を照らす希望の太陽は、赫々と昇りました。一方、大聖人の正法正義に違背し、邪宗と堕したのが日顕宗(日蓮正宗)です。

 長谷川 腐敗堕落した日顕宗は、万人平等を説く仏法に背き、“僧が上、信徒が下”などと、衣の権威で学会員を隷属・支配しようとしました。さらに、広宣流布の団体である学会の破壊を企み、「C作戦」発動直後の1991年(平成3年)には、学会員への御本尊下付を停止しました。

 志賀 まさに破和合僧の大罪です。御本尊が欲しければ、宗門に従えという、卑劣極まる弾圧でした。

 原田 大聖人は万人幸福のため、「法華弘通のはたじるし」(御書1243ページ)として御本尊を御図顕されました。その御精神に真っ向から反するものです。

 長谷川 また、宗門は、“法主は御本尊と不二の尊体であるから信伏随従せよ”と前代未聞の邪義を唱えました。そんなことは、御書のどこにも書かれていません。

 志賀 今も、日顕宗の坊主や信徒は、学会員を狙って、言葉たくみに言い寄ってきます。私たちは日顕宗の邪義を打ち破り、一切の魔を断固、粉砕していきたい。

“必ず深い意味が”

 原田 さて、人生100年時代を迎え、各地を訪れる中で、「病気」という問題に直面している方と出会います。病とどう向き合い、どう乗り越えていくかは、大きな課題です。

 長谷川 私たちはまず、闘病中の方がいれば、心からの励ましを送っていきたい。そして、真剣に題目を送っていきたい。

 原田 御書に、「病によりて道心はをこり候」(1480ページ)と仰せです。信心していて病気になったということは、必ず深い意味があります。事実、私たちは、病気と闘う中で境涯を大きく開いてきた方を、たくさん見てきました。

 大串 先生ご自身も、結核を患い、「30歳まで生きられるかどうか」と医師から言われていました。
 「しかし、だからこそ病弱な人の心もわかるようになった。だからこそ、一瞬一瞬を大切に生きよう、片時もむだにせず、生あるうちになすべきことをなそう、と完全燃焼で生きてこられたのです」と振り返られています。

 永石 ある時、先生は、病に倒れて治療中のご主人がいる、婦人部の方に語られました。「断じて健康にしてみせるという強い祈りに立つことです。その一念通りに開かれていきます。それが一念三千の仏法です。病魔に紛動されてはいけない。『私たちの人生は楽しい人生だ。何があっても幸福な人生だ』と決めていくのです」と。

 長谷川 さらに、「南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや」(御書1124ページ)の御聖訓を拝し、「たとえ病気であったとしても、それが幸福への妨げにはならない。むしろ『病ある人仏になる』(同1480ページ)と捉えるのが仏法です」とも言われています。

 永石 そして、「仏法の眼から見れば、三世から見れば、全て、幸福になるための、成仏していくための姿なのだから、何も心配ありません。ご主人と一緒に、朗らかに、堂々と、勝利の人生を生ききってください」と励まされるのです。

 原田 仏法には「願兼於業」の法理が説かれています。病との闘争は、信心の力の証明にもなります。

 永石 先生は、「『病気がない』だけが『健康』なのではない。一生涯、何かに挑戦する。何かを創造する。前へ前へと自分の世界を広げていく――この“創造的人生”こそ、真の“健康人生”ではないだろうか」とも述べられています。

 長谷川 そうした深い人生観・生命観をもって生きることが、ますます大切な時代になっています。

 原田 ですから、学会と共に広布に生き、信心していることが、どれほどすごいか。共々に励まし合い、題目を唱え、使命の人生を勝ち飾っていきましょう。