〈世界広布の大道――小説「新・人間革命」に学ぶ〉 第8巻 解説編 2019年5月29日

〈世界広布の大道――小説「新・人間革命」に学ぶ〉 第8巻 解説編 2019年5月29日

紙上講座 池田主任副会長
〈ポイント〉
①“精神の布陣”の構築
②「本門の時代」とは
③日韓友好の深き思い
ソウルの漢江に架かる橋(1990年9月、池田先生撮影)。先生は文化と教育の交流に力を注ぎ、日韓の間に友情の「宝の橋」を築いてきた

 今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第8巻の「解説編」。池田博正主任副会長の紙上講座とともに、同巻につづられた珠玉の名言を紹介する。次回は、第9巻の「基礎資料編」を6月5日付に掲載予定。(第8巻の「基礎資料編」は5月8日付、「名場面編」は15日付、「御書編」は22日付に掲載)

 会長就任3周年となる1963年(昭和38年)5月、中部第二本部、兵庫本部が新たに誕生し、学会は20本部、87総支部、463支部の陣容となります。9月には、信濃町に新たな学会本部が完成しました。
 まさに、組織の面でも、建物の面でも、学会が大きな飛躍を遂げた時です。その中で、山本伸一は、「自分が生きているうちに、世界広布の揺るぎない基盤をつくり上げておかなければ、(中略)ようやく到来した広宣流布の好機を、逸してしまうことを痛感」(41ページ)し、リーダーの胸中に学会精神をみなぎらせる“精神の布陣”の構築に心を砕きました。
 それが、「殉難をも恐れず、民衆の幸福と人類の平和に生涯を捧げた、牧口常三郎戸田城聖の精神を、いかにして永遠のものにしていくか」(10ページ)ということです。
 そのために、伸一は全国各地で、リーダーの自覚と責任感を促し、一人一人の同志に、清新な息吹を送ります。
 理事の代表との打ち合わせの折には、「戸田先生は、ご自身の、また、幹部の“自己教育”ということを、叫ばれた。これは、先生の遺言です」(31ページ)と恩師の指導を確認し、自身がその挑戦を重ねていることを語り、「私と同じ決意に立っていただきたい」(32ページ)と呼び掛けています。
 兵庫のリーダーとの懇談では、「学会の組織には、お年寄りもいれば、青年もいる。それぞれが互いの持ち味を生かしながら、団結し、調和していってこそ、学会の本当の力が出せる」(45ページ)と、団結の重要性を訴えます。
 また、奄美大島では、広宣流布を阻むのは、「環境や状況の厳しさではなく、幹部の一念に宿る『妥協』と『あきらめ』の心」(89ページ)と強調し、「幹部というのは、広宣流布の責任をもつ人の異名」(91ページ)と、リーダーの姿勢について語っています。
 さらに、広布の「宝剣」である青年の育成に、全精魂を注いでいきます。
 部員が少なく、組織の実態が極めて厳しい、と嘆く青年に対して、伸一は即座に「君が立ち上がればいいんだ!」(115ページ)と答え、「青年ならば、一人立つことだ。そこから、すべては変わっていく」(同ページ)と励まします。そして、自らの「二月闘争」の体験を通して、「君も立て! 断じて立つんだ。見ているぞ!」(116ページ)と力強く呼び掛けます。
 殉難を恐れない師の精神とは、この「一人立つ」精神にあることを、青年の心に打ち込んでいったのです。

「無疑曰信」の信心

 7月1日に開催された男子部幹部会で、伸一は、翌64年(同39年)4月の戸田先生の七回忌を期して、学会が「本門の時代」に入ることを宣言しました。
 「本門の時代」とは、第一に「理論や観念ではなく、現実に広宣流布の証を打ち立てる時代」(309ページ)であり、第二に「教育、芸術、政治、経済などの各分野に、本格的な文化の華を咲かせていく時代」(234ページ)であり、第三に「弟子の飛翔の時代」(235ページ)です。
 この「本門の時代」を勝利するために重要なことが、「何があっても御本尊を信じ抜く、『無疑曰信』の清流のごとき信心」(209ページ)であり、学会は「一点の濁りもない、清流のごとく、清らかな信心の団体であらねばならない」(280ページ)ということです。
 「清流」の章では、退転者の姿を通し、魔の本質が明らかにされています。退転者は、「学会や山本伸一を『巨悪』に仕立て上げ、自分を、その被害者、犠牲者として、『悪』と戦う『正義』を演じようとする」(284ページ)。それが、「悪鬼入其身」の姿です。
 魔の目的は、同志の絆を分断し、広布の組織を攪乱することです。退転者が流すデマに対する反応に、「その人の境涯、人格、人間観が端的に表れる」(同ページ)。ゆえに、大切なことは、魔の本質を見破ることです。
 同章には、退転者の無残な末路が描かれ、「仏意仏勅の団体である創価学会の組織を攪乱し、反旗を翻した罪はあまりにも重く、限りなく深い」(286ページ)と記されています。この厳粛な一節を心に刻みたい。
 『新・人間革命』第30巻〈上〉「大山」の章には、戸田先生の「学会は、この末法にあって、これだけ大勢の人に法を弘め、救済してきた。未来の経典には、『創価学会仏』という名が厳然と記されるのだよ」(98ページ)との言葉が紹介され、「学会は、『創価学会仏』なればこそ、永遠なる後継の流れをつくり、広宣流布の大使命を果たし続けなければならない」(100ページ)とあります。
 広宣流布とは、仏と魔との間断なき闘争です。いかなる障魔の嵐が競い起ころうとも、私たちは清流の信心を貫いていきたいと思います。

光彩放つ「虹の懸け橋」

 「本門の時代」を迎える64年、韓国では、広布の「激流」の歴史が始まりました。1月上旬から、新聞が突然、学会への批判記事を掲載するなど、厳しい試練にさらされます。
 しかし、韓国の同志は、自由に学会活動ができる時が来ることを信じて、懸命に信心に励みます。一人一人が模範の市民として、社会貢献の活動に取り組み、信頼の輪を韓国社会に広げていきました。伸一も、韓国の同志に題目を送り、日本と韓国の間に、信義と友情の「宝の橋」を架けようと、文化・教育の交流にも力を注ぎます。
 そして98年(平成10年)5月、伸一に慶熙大学から「名誉哲学博士号」が授与されます。18日には、伸一のSGI韓国仏教会本部の初訪問が実現しました。それは、韓国の友の勝利の凱歌でもありました。「激流」の章は、その場面で締めくくられています。
 新聞連載を振り返ってみると、この「激流」の章で、韓国の歴史が描かれ始めたのは、98年の「7月17日」からでした。「7・17」は、57年(昭和32年)のその日に、池田先生が“最後は信心しきったものが必ず勝つ”と師子吼し、不屈の「負けじ魂」が刻まれた「大阪大会」が開催された日です。
 翌99年(平成11年)5月、先生は九州・福岡から韓国・済州島を初めて訪問。国立済州大学から「名誉文学博士号」が授与され、同大学の趙文富総長(当時)と平和の語らいを広げました。さらに、済州の友と記念撮影会を行い、渾身の励ましを送っています。
 今月、20周年記念の学術シンポジウムが済州大学と創価大学の共催で行われました。先生が築いた日韓友好の「虹の懸け橋」は、ますます光彩を放っています。

名言集

●広布への情熱
 わが地域を変えゆかんとするなら、ただ一つ、わが心に闘魂の太陽ありや、広宣流布への情熱ありやを、問うことだ。(「布陣」の章、76ページ)
 
●激励の手を満遍なく
 会合に出席する人というのは限られている。たとえば、座談会を見ても、参加者に倍するほどのメンバーが、それぞれの組織にはいるはずである。そこに、満遍なく激励の手を差し伸べてこそ、盤石な学会がつくられ、それが拡大にもつながり、広宣流布の広がりも生まれる。(「宝剣」の章、103ページ)
 
●真の言論人
 「いまだこりず候」(御書一〇五六ページ)と、正義の言論の矢を放ち続けることである。その不屈なる魂の叫びが、人びとの心を揺り動かすのである。真の言論人とは、不屈の信念の人の異名でなければならない。(「清流」の章、204ページ)
 
●行事開催の目的
 学会が行うさまざまな行事は、一人ひとりの信心の成長を図り、広宣流布を前進させるための場である。その根本の目的が見失われ、行事を“こなす”ことのみに目を奪われてしまえば、開催の意味はないといっても過言ではない。(「清流」の章、226ページ)
 
●幸福になる権利
 すべての人が幸福になる権利をもっている。いな、最も苦しんだ人こそが最も幸せになる権利がある――それを実現してきたのが創価学会である。(「激流」の章、333ページ)

 ※『新・人間革命』の本文は、聖教ワイド文庫の最新刷に基づいています。