〈世界広布の大道――小説「新・人間革命」に学ぶ〉 第9巻 御書編 2019年6月19日

〈世界広布の大道――小説「新・人間革命」に学ぶ〉 第9巻 御書編 2019年6月19日

 

 今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第9巻の「御書編」。小説で引用された御書、コラム「ここにフォーカス」と併せて、識者の「私の読後感」を紹介する。次回の「解説編」は25日(火)付の予定。(「基礎資料編」は5日付、「名場面編」は11日付に掲載)

仕事は“人間修行の場”

【御文】
 御みやづかいを法華経とをぼしめせ
 (御書1295ページ、檀越某御返事)

【通解】
 宮仕えを法華経の修行と思いなさい。

●小説の場面から

 伝統的に、勤勉や努力は日本人の美徳とされてきたが、戦後は、そうした意識は、次第に薄れていった時期でもある。
 特に、人びとが、「資本家」と「労働者」といった対立意識を強くもつようになるにつれて、労働者の勤労意欲も、低下しがちであった。
 そのなかで、学会員は、仕事は、単に賃金を得るためだけでなく、自分を磨き高める、“人間修行の場”であるという、仕事観、労働観を培っていった。
 それは、日蓮大聖人の「御みやづかいを法華経とをぼしめせ」との御指南に基づく生き方であった。宮仕え、すなわち、自分の仕事を、法華経の修行であると思いなさいというのである。
 また、学会員として、職場で、なくてはならない人になり、信頼を勝ち得ていくために、「信心は一人前、仕事は三人前」というのが、第二代会長・戸田城聖の指導であった。
 日蓮仏法は、自他ともの幸福の実現をめざす教えであり、学会は、社会の繁栄と個人の幸福の一致を目的としてきた。
 創価の同志は、その実現のために、自分の仕事を通して、社会に貢献しよう、人格を磨こう、職場の勝利者になろうと、自ら、懸命に働いた。
 仏法者としての誇りと信念と哲学が、勤労の原動力となっていたのである。
 (「衆望」の章、333~334ページ)

一人立つ創価の師子王に

【御文】
 悪王の正法を破るに邪法の僧等が方人をなして智者を失はん時は師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし(御書957ページ、佐渡御書

【通解】
 悪王が正法を破ろうとする際、邪法の僧等が悪王に味方し、智者を滅ぼそうとする時、師子王のような心を持つ者は必ず仏になることができる。

●小説の場面から

 〈1964年(昭和39年)、高等部が結成され、66年(同41年)は、「高等部の年」と定められた。この年の1月、山本伸一は自らの発案で、学会の後継者である高等部の代表に、全精魂を注いで御書講義を開始した〉
 「学会憎しの一点で、政治権力も、宗教も合同して、攻撃の牙をむいてくるにちがいない。しかし、たとえ、一人になっても、“師子王”のごとき心をもって、広布の使命を果たしていくのが本当の弟子です。
 戸田先生も、師の牧口先生亡きあと、ただ一人、広宣流布に立たれた。それが創価の精神であり、学会っ子の生き方です。
 その精神を失えば“烏合の衆”となってしまう。
 真実の団結というのは、臆病な人間のもたれ合いではない。一人立つ師子と師子との共戦です」
 彼(山本伸一=編集部注)の講義には、側近の最高幹部に指導するかのような、厳しい響きがあった。(中略)
 「また、絶対に、“師子身中の虫”になってはならないし、諸君のなかから、“師子身中の虫”をわかしてもならない。(中略)
 どうか、諸君は、創価学会の精神は、広宣流布に通ずる、清らかな精神であることを、生涯、忘れないでいただきたい。また、それを後輩に教えていっていただきたい。
 ともあれ、広宣流布は、諸君に委ねます」
 (「鳳雛」の章、177~178ページ)

ここにフォーカス/真剣勝負の戦い

 「鳳雛」の章に、山本伸一が首都圏の高等部員会で、韓国の柳寛順について語る場面が描かれています。柳寛順は、日本の過酷な支配に対して、「独立万歳」を叫んで抗議し、「三・一独立運動」をリードした10代の女性です。
 梨花学堂(梨花女子大学の前身)の学生だった彼女は、100年前の1919年、独立運動が起こり、学校が休校になったため、故郷に戻ります。そして、独立運動の重要性を訴えて、村を回ります。村民は決起し、集会・デモが行われますが、鎮圧されてしまいます。
 柳寛順は逮捕され、獄中で命を落とすのです。しかし、信念に殉じた生き方は、“韓国のジャンヌ・ダルク”とたたえられています。
 伸一は部員会で、参加者に、柳寛順のような苦しい思いは、「絶対にさせません」と述べ、広布の途上における一切の労苦は、伸一自らが引き受けるという覚悟を披歴。広布の活動とは「権力の魔性との厳しき戦いであり、人生をかけた、断じて負けられぬ、真剣勝負の戦いである」と訴えます。
 では、いかにして、「真剣勝負の戦い」に臨むのか。それは、柳寛順が対話をもって、村民の心を目覚めさせていったように、「声の力」です。勇気の対話から、歓喜の万歳が轟く、人間勝利の新時代が開かれていくのです。

私の読後感 識者が語る/セトゥ・クマナン氏 インド・創価池田女子大学議長

●「池田先生の世界」学ぶテキスト

 小説『新・人間革命』には、世界中の若者たちを啓発する力が凝結していると思います。
 第24巻の「母の詩」の章では、池田先生がつづられた「母」の詩にまつわるエピソードが描かれています。
 この詩は、私にとって特別なものです。なぜなら、「母」の詩との出あいによって、池田先生という偉大な師匠に巡り合うことができたからです。さらに、女性をたたえ励まされる先生のお心に感動し、私はインドの地に、先生の名を冠した女子教育の学舎(創価池田女子大学)を設立しました。
 私は、セトゥ・バスカラ学園で理事長を務めています。そこには約2000人の生徒がおりますが、思春期を迎える12歳ごろに、この詩を学べるようにしています。多感な子どもたちが先生の思想に触れることで、両親や家族を大切にし、その幸福を思いやれる立派な大人に成長してほしいと願っています。
 小説では、夫を亡くされたインドの女性に対して、「母は太陽です。太陽は輝いてこそ太陽です」「夫人とご一家の勝利が、ご主人の勝利となるでしょう」と励まされ、「母」と「人間革命の歌」の曲が入ったオルゴールを贈られるシーンがあります。
 池田先生は、どんな立場の人であれ、苦悩の暗闇の中にある人に寄り添い、力強く立ち上がれるよう、激励の手を差し伸べられます。この小説を読むことで、まるですぐそばに先生がいらっしゃるような気持ちになります。
 仕事などで、海外の国々に行くことがあります。先日、フィリピンを訪れた際、SGIの建物を見掛け、思わず立ち寄ってしまいました。突然の訪問にもかかわらず、居合わせたメンバーは初めて会う私を大歓迎してくださいました。
 皆さん、私と同じように、池田先生を師と仰ぎ、心から敬愛されており、瞬時に心を通わせることができました。こうした、家族や親戚のような温かな“創価のつながり”を、どこの地域に行っても感じます。
 小説『新・人間革命』は、人間主義の心にあふれた“池田先生の世界”を学ぶ「テキスト」でもあります。
 まだまだ先生から学ぶことがたくさんあります。これからも師匠を求めて、“先生にどうお応えできるか”を真剣に模索し、実践していきたいと決意しています。

 Sethu Kumanan 1961年、インドのタミル・ナードゥ州生まれ。詩人。セトゥ・バスカラ学園の理事長。チェンナイに立つ創価池田女子大学の設立に尽力。同大学の議長。

 ※『新・人間革命』の本文は、聖教ワイド文庫の最新刷に基づいています。