〈世界広布の大道――小説「新・人間革命」に学ぶ〉 第10巻 御書編 2019年7月24日

〈世界広布の大道――小説「新・人間革命」に学ぶ〉 第10巻 御書編 2019年7月24日

 

 今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第10巻の「御書編」。小説で引用された御書、コラム「ここにフォーカス」と併せて、識者の声を紹介する。次回の「解説編」は31日付の予定。(「基礎資料編」は10日付、「名場面編」は17日付に掲載)

広布こそ最高最極の人間道

【御文】
 人も又是くの如し世間の浅き事には身命を失へども大事の仏法なんどには捨る事難し故に仏になる人もなかるべし(御書956ページ、佐渡御書

【通解】
 人もまた同じようなものである。世間の浅い事には、命を失うことはあっても、大事な仏法のために命を捨てることは難しい。それ故に仏になる人もいないのである。

●小説の場面から

 〈1965年(昭和40年)夏、世界広布の使命に燃える10人の男子部員が、日本から西ドイツ(当時)へ、自ら志願して雄飛した〉
 西ドイツに渡ることになったメンバーは、皆、ただ一途に、広宣流布のために生き抜こうと、決意を固めていた
 家も、財産も、社会的な地位や名誉も、眼中になかった。楽をしようとか、他人よりいい思いをしたいなどといった考えも、微塵もなかった
 仏法の厳然たる法理に照らして、人間としていかに生きるべきかという思索のうえから、人類の幸福と平和を実現する広宣流布こそ、最高最極の人間道であると結論し、広布に人生を捧げる決意を固めていたのである。
 それは、彼らだけでなく、多くの創価の青年たちの思いでもあった。
 自分のみの、小さな目先の幸せを追い求め、汲々としている人間には、その精神の崇高さは、決してわかるまい。(中略)
 生命は尊厳無比である。これに勝る財宝はない。そうであるからこそ、この一生をいかに生き、その尊い生命を、なんのために使うのかが、最重要のテーマとなる。
 大聖人は、仏法のため、すなわち、広宣流布のために、命を使っていきなさいと言われているのである。
 なぜならば、そこに、一生成仏という絶対的幸福境涯を確立しゆく、直道があるからである。
 (「新航路」の章、233~235ページ) 

病だから不幸なのではない

【御文】
 南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや(御書1124ページ、経王殿御返事)

【通解】
 南無妙法蓮華経は師子吼のようなものである。どのような病が、障りをなすことができようか。

●小説の場面から

 〈65年の11月、12月、全国各地を巡り同志を激励する山本伸一。奈良の友との記念撮影では、病を患う壮年部の友に真心こめて指導した〉
 「南無妙法蓮華経は師子吼です。その声を聞けば、どんなに獰猛な動物も逃げ出すように、いかなる病も、幸福への、また、広宣流布への障害にはなりません。
 現代人は、みんな“半健康”であるといわれるぐらい、なんらかの病気をかかえているし、年齢とともに、体も弱っていきます。
 では、病気だから不幸なのか。決して、そうではない。病に負けて、希望を失ってしまうから不幸なんです。広布の使命を忘れてしまうから不幸なんです。(中略)
 生命の根源においては、健康と病気は、本来、一体であり、“健病不二”なんです。ある時は、健康な状態として現れることもあれば、ある時は病気の状態となって現れることもある。
 この両者は、互いに関連し合っているがゆえに、信心に励み、病気と闘うことによって、心身ともに、真実の健康を確立していくことができるんです」(中略)
 「病気をかかえていても、『あそこまで、元気に生きられるんだ』『あれほど、長生きができるんだ』『あんなに幸福になれるんだ』と、同じ病をもった方が、感嘆するような、人生を歩んでいってください。そうすれば、仏法の力の見事な証明になります」
 (「桂冠」の章、304~306ページ)

ここにフォーカス/メキシコ広布史に学ぶ

 「幸風」の章に、1965年(昭和40年)8月、山本伸一がメキシコを初訪問した場面が描かれています。
 伸一にとって、メキシコ訪問は特別な意味がありました。戸田先生が逝去の直前、「伸一、昨日は、メキシコへ行った夢を見たよ」と語っていたからです。
 伸一の訪問時、メキシコ支部は、わずか26世帯。メキシコ広布は、まさに始まったばかりの時でした。
 伸一は、3年後の68年(同43年)にメキシコ五輪が開催されることから、その時を目指して、「500人の同志が集い合う」ことを提案。それは、そのままメキシコの友の“誓い”となりました。
 同章に、こう記されています。「それぞれが自分だけになっても、この山本会長との誓いを、必ず果たそうと決意していた。皆が一人立ったのである」
 仏法対話や勤行指導のために、1000キロ以上も離れた地域へ、1週間がかりで出掛けることもありました。しかし、苦労をものともせず、友は広布拡大に駆けていきました。その結果、3年後、メキシコは700世帯へと発展。約27倍もの拡大を成し遂げ、伸一との誓いを果たしたのです。
 環境や状況がどうあれ、広布は“新たな歴史の扉を開いてみせる”と決めた一人から始まる――メキシコ広布の軌跡は、不変の方程式を教えています。

半世紀超す執筆に想う 識者が語る/サンパウロ美術館 元館長 ファビオ・マガリャンエス

●永遠に残る人類への貢献

 私は、これまで6度にわたって池田博士と出会いを結んできました。
 印象的だったのは1993年3月、私が館長を務めていたブラジルのサンパウロ美術館にご案内した時のことです。芸術への造詣の深さに驚くとともに、東京富士美術館を創立されたことに感銘を受けました。
 また、博士は偉大な写真家でもあります。博士の写真からは自然への深い愛を感じます。
 さらに、自然環境を守る活動にも尽くされてきました。その一つが、マナウス郊外にある「アマゾン創価研究所」です。博士の構想のもとに誕生した研究所はアマゾンのみならず、地球の未来を支える重要な拠点と輝いています。
 博士は小説『新・人間革命』をはじめ、対談集や、毎年、「SGIの日」に発表される平和提言など、長期にわたり、執筆活動を行ってきました。
 私が池田博士に共感を寄せる理由は、3点あります。
 第一は、いかなる人間も対話によって分かり合えるという、調和を重んじる博士の哲学自体が、平和そのものであるからです。調和は平和であり、調和を求める心が平和に直結します。
 第二は、平和に対して何をすべきかという具体的な方途が示されていることです。
 そして最後に、博士自身が平和な世界を築くために、先頭に立って行動されてきた点です。世界に警鐘を鳴らすだけでなく、自ら対話を通して、「絶望」を「希望」に変える闘争をされてきました。
 私も博士の著作から受けた感動を共有したいと思い、友人である音楽家アマラウ・ビエイラ氏に紹介しました。彼は博士との交流を通して、インスピレーションを受け、数々の新しい作品を生み出してきました。
 またブラジル文学アカデミーアタイデ元総裁や詩人のチアゴ・デ・メロ氏にも紹介しました。博士と総裁との語らいは、対談集『21世紀の人権を語る』という形で結実し、大変にうれしく思います。
 博士の平和行動は、現代だけでなく、永遠に残る人類への貢献です。なぜならば、高邁な見識は、常に未来に対して開かれているからです。池田博士ほど、偉大な人物はおりません。
 これからも執筆活動を通し、博士の調和思想や人間としての崇高な生き方を示しゆかれることを、切に願っています。

 Fábio Magalhães 1942年、ブラジル・サンパウロ生まれ。美術都市設計の専門家。サンパウロ大学で教壇に立ちながら、祖国の民主化運動に参加。軍政を批判したため、国外追放に遭う。74年に帰国。サンパウロ美術館館長、ラテン・アメリカ記念財団総裁などを歴任。

 ※『新・人間革命』の本文は、聖教ワイド文庫の最新刷に基づいています。

【挿絵】内田健一郎 【題字のイラスト】間瀬健治