永遠の5指針

永遠の5指針

何にも崩れぬ幸福境涯を築こう!

学会の「永遠の5指針」
(1)一家和楽の信心
(2)幸福をつかむ信心
(3)難を乗り越える信心
(4)健康長寿の信心
(5)絶対勝利の信心

イメージ 永遠の5指針のイラスト
 
新会員:

創価学会には、信心の目標として「永遠の5指針」があると聞きました。
この指針の淵源を教えてください。

 
先輩:

もともとは、第2代会長戸田城聖先生が1957年(昭和32年)12月、学会の「永遠の3指針」を発表されました。「一家和楽の信心」「各人が幸福をつかむ信心」「難を乗り越える信心」です。

その後、2003年(平成15年)12月、池田先生が新たに2項目を加えられました。それが「健康長寿の信心」「絶対勝利の信心」です。この「5指針」は、師弟の“合作”ともいえます。

 
新会員:

1つ1つについて、詳しく教えて下さい。

 
先輩:

「一家和楽の信心」とは、この仏法が、自分一人だけでなく、一家、一族の繁栄を実現するものである、ということです。「和楽」とは、仲が良く、楽しいことです。
各人が「幸福をつかむ信心」とは、現実社会において、幸福を自らつかみとっていく、との意味があります。幸福とは、人から、また外から与えられるものでは決してありません。
仏法では、すべての人に内在する、最高に輝く仏の生命を自身の祈りと行動で開いていくのです。

 
新会員:

“神頼み”や“他力本願”とは、根本的に異なるのですね。

 
先輩:

そして、「幸福をつかむ」ためには、難を避けて通ることはできません。
この難を乗り越えてこそ、絶対に崩れない幸福を勝ち取ることができるのです。
また、信心をすれば、私たちが幸福になることを妨げようとさまざまな障魔が競い起こってきます。
私たちは、この難と戦うなかで、信心を深めることができます。

 
新会員:

「健康長寿の信心」「絶対勝利の信心」についても教えてください。

 
先輩:

どこまでも健康で、一日一日を充実させながら、しかも一日でも長く生きて無量無辺の価値を創造してほしい、との願いが「健康長寿の信心」との指針に込められています。
最後に、「絶対勝利の信心」ですが、私たちは、不幸、臆病、苦難や宿命に勝利し、幸福を阻もうとする一切の魔性に勝利していかなければなりません。
また、勝利を目指して、常に成長しゆく信心の実践のなかで、自己を錬磨することができます。
この「永遠の5指針」を胸に、世界の同志とともどもに“幸福の直道”を歩んでいきましょう。

 

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信心即生活

今いる場所が仏道修行の舞台

日蓮大聖人
一切は現証には如かず
現実生活において勝利するための信仰

イメージ 信心即生活のイラスト
 
新会員:

仕事や育児・家事など多忙な日々の中で、この信心を“両立”させるための秘訣を教えて下さい。

 
先輩:

今、“両立”という言葉が出ましたが、私たちの仏法において「信心」と「生活」は決して別々のものではありません。まして相反するものでもありません。
学会指導では、「信心即生活」と説きます。

 
新会員:

“信心と生活が一体である”と言われても、すぐにはピンときませんが。

 
先輩:

日々の生活は、私たちの生命活動そのものにほかなりません。
そして、この仏法は、自身の生命を変革し、日常の生活を充実させていくためのものです。
現実において、さまざまな課題にぶつかることがあると思います。
しかし、御本尊への唱題を根本に、自身に内在する仏界の生命を涌現させる。
豊かな境涯を土台として勇んで挑戦していけば、必ず乗り越えられる。
私たちの信心は、現実生活において勝利するための教えなのです。

 
新会員:

宗教というと“現実と遊離したもの”と捉えられがちですが、日蓮仏法は、全く異なるのですね。

 
先輩:

日蓮大聖人は「一切は現証には如かず」(御書1279ページ)と仰せです。
仏法では、「現証」を何よりも重んじます。
「現証」とは、“信仰を実践した結果が、現実のうえで具体的にどう現れたか”ということです。
私たちの人生は、ある意味、さまざまな課題や困難への挑戦の連続です。
それらに勝利するために、真剣に祈って境涯を高める。
勇気と智慧をわきたたせて、自身の努力を最大に開花させていく。
信心の眼から見れば、現実世界での挑戦そのものが、自身の生命を変革させ、なにものにも崩れぬ絶対的幸福境涯を築くための最高の舞台なのです。

 
新会員:

「信心根本」の意味がようやくわかりました。

 
先輩:

池田先生は、次のように教えてくださっています。
「自身の人生、現実の生活と社会を離れて仏法はありえない。
言い方をかえれば、社会における行動や生活実践のなかにのみ、仏法を証明していくことができるのである。
これが大聖人の教えであり、学会の伝統精神でもある」
強盛な祈りを根本に仏界を涌現させ、実社会で勝利していきましょう。

 

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信仰の目的

自身の境涯を広げ友のために尽くす

日蓮大聖人
「一切衆生・南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり」生きていること自体が幸福に

イメージ 信仰の目的のイラスト
 
新会員:

私たち創価学会の“信仰の目的”について、あらためて確認したいと思うのですが。

 
先輩:

自らの手で自身の幸福をつかみ取る——ここに私たちの信仰の醍醐味があります。
日蓮大聖人の仏法では、一人一人のなかに「偉大な仏の生命」があると説きます。
その生命を自分の祈りと行動で、現実に現していけるのです。

 
新会員:

「偉大な仏の生命」といわれても、ピンときませんが……。

 
先輩:

あらゆる人のなかに、もともと「素晴らしい生命」「無限の可能性」があります。
仏教では、これを仏性(=仏の性分)と説きます。
日蓮大聖人は、末法の一切衆生を救うために、あらゆる迫害にも屈しませんでした。
慈悲の行動を貫き、人間としての勝利者の姿を示されたのです。
この大聖人と同じ仏の生命は、私たちのなかにもあります。
この仏の生命を自分のなかから引き出していくことで、何ものにも左右されない境涯を確立する。
それが、日蓮大聖人の仏法が目指している「一生成仏」です。

 
新会員:

「仏に成る」といっても、“金ピカの仏様に成る”わけではないのですね。

 
先輩:

そうです。大聖人は、成仏の「成」について、「成は開く義なり」(御書753ページ)と教えてくださっています。自分のなかにある仏の生命を“開く”のです。
この仏の境涯は、現代的な表現をすれば、“何ものにも侵されることのない絶対的な幸福境涯”といえるでしょう。
第2代会長戸田先生は、仏の境涯について「生きていること自体が幸福であるという境涯」とも述べています。

 
新会員:

私たちが日々、御本尊に向かって題目を唱えるのも、自分のなかの「仏の境涯」を引き出すためなのですね。

 
先輩:

唱題によって、自身のなかから力強い「生命力」を引き出していくことができれば、それまで苦しいと感じていた困難や課題も乗り越えることができます。 
法華経を信ずる心強きを名づけて仏界と為す」(日寛上人)という言葉があります。
どこまでも強盛な信心を根本に御本尊に祈っていけば、自分自身が変わります。
それだけでなく、境涯が大きく広がることで、悩める友人のために尽くしていけるようになる。
自らの祈りと行動で“自他ともの幸福を実現していく”ところに、私たちの信仰の目的があるのです。

 

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仏法対話

万人の仏の生命を信ずる最も尊い実践

仏法対話とは
(1)相手の幸福を願っての尊い行動
(2)自他共の生命を躍動させる実践
(3)自身の信心の確信を深める挑戦

イメージ 仏法対話のイラスト
 
新会員:

先日、「対話に挑戦しましょう!」と激励されました。
今回は対話の意義について教えてください。

 
先輩:

大事な質問ですね。そもそも日蓮大聖人の仏法は“対話の宗教”です。
また、対話を重視する宗教は、「開かれた宗教」の証しでもあると思います。

 
新会員:

仏法対話は、仏教の実践のうえで、どういう位置づけになるのですか。

 
先輩:

日蓮大聖人の仏法では、仏道修行の基本として「信」「行」「学」を説きます。
「行」には、「自行」と「化他」の二つがあります。
「自行」とは、自分が法の功徳を受けるための修行です。
具体的には日々の勤行・唱題の実践です。
「化他」とは、他の人の幸せを願ってこの仏法を語っていくことです。

 
新会員:

なるほど。仏法を語っていくことは仏道修行の根幹になるのですね。
しかし、自分には何も語れませんが……。

 
先輩:

難しく考える必要はありません。
“この信仰に巡りあえて、本当によかった”という、自身の感動をそのまま語ればいいのです。
対話は、相手に具わる仏の生命を信じて行う尊い実践です。
何よりも大切なのは、「相手に幸せになってほしい」という一念です。

 
新会員:

相手がすぐに理解してくれるとは思えません。
第一、自分も、最初はよく分かりませんでした(笑い)。

 
先輩:

御書に「随力弘通」(御書1618ページ)という言葉がありますが、どこまでも今の自身の“力に随って”対話していけばいいのです。
“背伸び”をする必要はありません。
対話に励むことは、自身の智慧を磨き、信心の確信を深めることにもなるのです。
すぐに共感を得られなかったとしても、相手の生命には間違いなく幸福になる種が植えられます。
必ず変化が起こります。
“対話をする”こと自体が、このうえなく尊い実践です。
仏法の偉大さ、素晴らしさを自分らしく語り、平和と人道の連帯を広げていきましょう。

 

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難を乗り越える信心

苦難に挑むなかで仏の境涯を築こう!

自身の生命を変革する仏道修行
元品の無明を克服し元品の法性を顕していく
   ∥           ∥
根本の迷い      根本の悟り

イメージ 難を乗り越える信心のイラスト
 
新会員:

学会の「永遠の5指針」の中の、「難を乗り越える信心」とはどういう意味でしょうか。

 
先輩:

信心の目的は、私たち自身がこの一生のうちに何があっても崩れない仏の境涯を得ることです。
そして、自他ともの幸福の人生を築いていくことです。
しかし、一方で、私たちの人生や信仰には、必ず苦難や試練が伴います。
そうした苦難を仏法では「難」といいます。

 
新会員:

“信心をすれば、すべての困難が消えてなくなる”のでしょうか。

 
先輩:

仏法は道理です。“信心している人には難が起きない”というのであれば、自然の道理から外れてしまいます。むしろ、難を乗り越えていく強い生命力や勇気、智慧の開発を教えているのが仏法です。
また、難は、人生に勝利するために必要不可欠な要素であるとも言えます。

 
新会員:

そう言われても、すぐにはピンときませんが……。

 
先輩:

仏道修行」という言葉の通り、信心は、自分が成長するためのものです。
船が前進すれば、必ず波の抵抗を受けるように、この信仰に励んで自身を錬磨しようとすれば、それを妨げようとする難が必ず起こります。難と戦い、乗り越えてこそ、真の成長があります。

 
新会員:

以前、“一人一人の生命に仏の性分、すなわち仏性が具わる”と教わりましたが、今回の話とどのように関連するのでしょうか。

 
先輩:

だれもが自身の生命に「根本的な悟り(元品の法性)」と「根本的な迷い(元品の無明)」の双方を具えています。「迷いの生命」が、成仏を妨げようとして具体的に現れたものが難なのです。
日蓮大聖人の仏法は、最も奥深いところから生命を変革できる教えです。
私たちが唱題し、仏道修行に励んでいけば、自身の「迷いの生命」を封じ込めることができます。
そして、仏と同じ生命を顕していくことができるのです。
信心を根本に難に立ち向かい、乗り越えていくことは、自身の生命を変革する修行そのものです。
さまざまな苦難を乗り越えて仏法を実践していくなかに、成仏があります。
信心ゆえの苦難に出遭ったとしても、決して避けることなく、“必ず信心で乗り越えられる”と確信して、一段と信仰の実践に励んでいく。
この繰り返しのなかでこそ、自身の仏界の働きが力強くなり、仏の境涯がますます開かれていくのです。
いかなる難をも、前進の力に変えて、自他ともの幸福を確立していきましょう。

 

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広布の組織

“自他ともの幸福”目指す実践のため

学会の組織は
(1)「同志」とともに切磋琢磨
(2)自分の個性・特徴が開花
(3)広宣流布を具体的に推進

イメージ 広布の組織のイラスト
 
新会員:

皆さんとともに励む広布の活動は、本当に楽しいですね。
今回は、学会の組織の意義について教えて下さい。

 
先輩:

仏法では、仏道修行に励んでいる人々の集まりのことを「和合僧」と言います。
この「僧」とは、「集団」「集会」「会議」などの意味をもちます。
釈尊は、さまざまな階層の人たちとともに修行に励みました。
また、“善き友をもつこと、善き仲間がいることは、仏道修行のすべてである”と述べています。

 
新会員:

日蓮大聖人も、同じでしょうか。

 
先輩:

大聖人は、「仏性(=仏になる性分、可能性)が、あるといっても、善知識という縁に出会わなければ、その仏性を悟ることも、知ることも、顕すこともできない」(御書574ページ、趣意)と仰せです。
「善知識という縁」とは、私たちにとっては、広宣流布の指導者のもとで、互いに励まし合いながら前進している創価学会以外にありません。

 
新会員:

友人のなかには、“組織”と聞くと、なんとなく“拘束される”といったイメージを抱く人もいますが……。

 
先輩:

世間一般の組織で、個々人を、人格をもたない“歯車”として“拘束”してしまうのは、手段と目的を顛倒させているゆえに起こる弊害です。
人間は、人間関係の中でこそ磨かれます。
ゆえに、人間同士が切磋琢磨する組織が重要なのです。
学会の組織は、どこまでも一人一人の“自他ともの幸福”を実現するために存在します。
すなわち、この仏法によって全人類を幸福にし、世界平和を築くという崇高な目的に向かって進んでいます。
この大目標は、さまざまな役割を担う多くの人々からなる“組織”なしにはなしえません。

 
新会員:

学会に巡りあえた喜びをあらためてかみしめることができました。

 
先輩:

かつて第2代会長戸田城聖先生は、学会の組織について「戸田の命よりも大切な広宣流布の組織」と述べました。
これからもこの“広布の組織”とともに成長し、前進できる喜びを胸に、頑張りましょう。

 

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価値創造の日々を

常に「いよいよ」「さあ、これから」の心で

日蓮大聖人
「極楽百年の修行は穢土の一日の功徳に及ばず」十年分、百年分に匹敵する一日一日を生き抜こう!

イメージ 価値創造の日々をのイラスト
 
新会員:

創価学会の「創価」とは、どういう意味なのでしょうか。

 
先輩:

創価」という言葉は、「価値創造」という意味です。この言葉は、初代会長牧口常三郎先生と第2代会長戸田城聖先生の師弟の語らいのなかで生まれました。牧口先生は、「最高の価値を創造して最大の幸福を獲得する、それが人生の目的である」と述べています。

自らの意志と努力で価値を生み出した分だけ、人生を彩る喜びや楽しみが増えます。
いわば、人生は、“どれだけの価値を生み出せるのか”という挑戦の連続であるといえるでしょう。

 
新会員:

そうはいっても、「順風満帆な日」ばかりではありませんが……。

 
先輩:

もちろん、人生には苦難や試練が伴います。
しかし、決して「苦労しないことが幸福」なのではありません。
空を自由に飛ぶ飛行機も、翼に「向かい風」を受けることで揚力を得ています。
私たちの人生も同様です。さまざまなカベや困難に立ち向かい、乗り越えることで、自らの生命を錬磨し、何ものにも崩れぬ真の幸福を築くことができるのです。

 
新会員:

たしかに、私の周囲を見回してみても、数多くの学会員が「価値創造の日々」を重ねていくことで確固とした幸福境涯を開いています。

 
先輩:

“価値を生み出す挑戦”に、年齢や環境は関係ありません。
池田先生とも対談した、世界的歴史学者・トインビー博士は、80代になっても、毎朝6時45分に起床。
「ラボレムス(さあ、仕事を続けよう!)」という自らの「座右の銘」のままに働き続けました。
日蓮大聖人の仏法は、「本因妙の仏法」です。
ゆえに、その実践にあっても、過去の結果にとらわれたり、現状に安住したりするのではなく、“今の一念と行動によって未来を主体的に変えていく”という「本因妙の精神」が何よりも大切です。

 
新会員:

問われているのは、今この一瞬一瞬の私たち自身の一念なのですね。

 
先輩:

日蓮大聖人は、門下に対して何度も「いよいよ」と呼びかけられています。
「いよいよ強盛の信力をいたし給へ」(御書1143ページ)
「いよいよ信心をいたさせ給へ」(同1505ページ)
常に「いよいよ」「さあ、これから」と求道心を燃やし、広布の活動に、また、仕事をはじめとする現実の課題に全力で取り組み、一日一日をかけがえのない“価値創造の日々”にしていきましょう!

 

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御書根本

連戦連勝の原動力がここに

「『戦いのなかで学ぶ』というのが、私の日課であった」
「日々、一行でもよい、一節でもよい、御書を拝し、日蓮大聖人の烈々たる大精神に触れることが、青春の勝利への活力となったのである」
「随筆 新・人間革命」から

イメージ 御書根本のイラスト
 
新会員:

会合でよく御書を研鑽しますが、御書について詳しく教えて下さい。

 
先輩:

「御書」とは、日蓮大聖人が執筆された著作のことです。
仏法の法門について述べられた論文、門下への励ましのお手紙(=御消息文)などがあります。
日興上人は、大聖人の著作をすべて「御書と号して」(御書1604ページ)大切にし、各地に散らばっていた御書の収集を図られました。
創価学会による「日蓮大聖人御書全集」の発刊は、昭和27年(1952年)4月28日です。
第二代会長戸田先生が出版願主となり、堀日亨上人に編纂を依頼しました。

 
新会員:

「“勝利の要諦”はすべて御書に収まっている」と教わりましたが、どういう事でしょうか。

 
先輩:

池田先生の指揮で連戦連勝を重ねてきた学会の歴史を振り返れば、明白です。
昭和31年の歴史的な“大阪の戦い“。
勝利の原動力は、若き日の池田先生による御書講義でした。
入会して日の浅い友が、御書の一節一節を心肝に染めて勇躍前進しました。
このことで、“不可能を可能にした”戦いが現実のものとなったのです。
さらに池田先生が、第3代会長に就任した昭和35年5月3日。
この時、「詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん」(同232ページ)の御文を深く拝しました。
その御聖訓のままに不惜身命の闘争を重ねてきたゆえに、今日の世界広布の時代の到来があります。

 
新会員:

私たちは、どのような心構えで御書を研鑚すればいいでしょうか。

 
先輩:

池田先生は、「随筆 新・人間革命」のなかで、自らの青年時代を振り返りながら次のように述べています。
「『戦いのなかで学ぶ』というのが、私の日課であった」「日々、一行でもよい、一節でもよい、御書を拝し、日蓮大聖人の烈々たる大精神に触れることが、青春の勝利への活力となったのである」
“一切の勝利の源泉がここにある”との深い確信と求道の心をもって、戦いのなかで拝していくことこそ、何よりも大切です。

 
新会員:

御書の一節一節を“自分自身に頂いた”という思いで拝し、カベを打ち破る挑戦をしていきます。

 

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追善回向

自ら広布に励むことで故人に功徳が

追善回向(ついぜんえこう)とは
自分が実践した善行(仏道修行)の功徳を先祖や故人に回し向ける
日蓮大聖人
「南無妙法蓮華経と唱え奉る時・題目の光無間に至りて即身成仏せしむ」

イメージ 追善回向のイラスト
 
新会員:

「お彼岸」に墓参りをしたり、先祖供養する習慣があります。
「彼岸」について教えて下さい。

 
先輩:

そもそも「彼岸」とは“向こう側の岸”の意味で、“こちら側の岸”を意味する「此岸」との対比で用いられます。
「此岸」は、煩悩の迷いの世界を、そして「彼岸」は、成仏の悟りの境涯を譬えたものです。
また、「彼岸」は、成仏の境涯とともに、「到彼岸」、すなわち、そこに到る「修行」「実践」の意義も含んでいます。

 
新会員:

「追善回向」という言葉もよく耳にしますが、どういう意味なのでしょうか。

 
先輩:

私たちは、勤行の祈念のなかで「先祖代々ならびに会員・友人の諸精霊追善供養のために」と、先祖をはじめ、自分にかかわった故人に対して追善回向を行っています。
「追善回向」とは、“自分が実践した善行(仏道修行)の功徳を、先祖や故人に回し向ける”ことです。
御書には、「南無妙法蓮華経と唱え奉る時・題目の光無間に至りて即身成仏せしむ」(御書712ページ)とあります。
仏道修行のなかで重ねる真剣な唱題の光が、故人をも包み込んでいくのです。
その意味で、朝晩の勤行における追善の祈りは、「常彼岸」の実践といえるでしょう。

 
新会員:

それは素晴らしいですね。私たちが唱えている題目には、ものすごい力があるんですね。

 
先輩:

そのうえで、学会では、「随方毘尼」の法理(仏法の本義に違わないかぎり、各地域や時代の風習に従うべきであるとする考え方)の上から、春秋の彼岸を一つの機会として、故人への真心からの追善を行っています。
異体同心の友が、会館等に集って、広布の途上で亡くなった同志や、先祖、故人となった友人・知人の幸福を祈念する彼岸勤行法要は、大聖人の御心に適ったものです。

 
新会員:

何よりも大切なのは、“自身の信心”なのですね。

 
先輩:

追善回向の根本は、自分自身が御本尊を信じ、広布に励むことにあります。
故人に追善するとともに、“亡くなった方の分まで、自他ともの幸福を築いていこう”という、一段と強盛な信心に励む決意を固めていきましょう。

 

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行学の二道

大聖人の御心を心肝に染めよう!

【研鑚の意義】
戸田先生
剣豪の修行を思わせるが如きその厳格なる鍛錬は、学会の伝統・名誉ある特徴となっている
池田先生
教学の深化は、信心をさらに深め、自分自身の使命の自覚を促し、広宣流布に生き抜く闘魂を燃え上がらせてくれる

イメージ 行学の二道のイラスト
 
新会員:

教学研鑽の意義について教えて下さい。

 
先輩:

日蓮大聖人は、門下に対して「行学の二道をはげみ候べし」(御書1361ページ)と述べられています。
「行学の二道」の「行」とは、信心の実践です。
「学」とは、日蓮大聖人が著された御書や、日蓮仏法の法理を学んでいくことです。
「学」のない「行」は、明かりも地図も持たずに暗闇のなかを突き進むようなものです。
また、「行」なき「学」では、現実と遊離した観念に終わってしまいます。
「行」と「学」は、いわば車の両輪、鳥の両翼であり、この二つがそろって、信心の正しい実践となります。

 
新会員:

“御書は古文で書かれているので難しい”というイメージがありますが。

 
先輩:

教学の目的は、御本仏である日蓮大聖人の御心を心肝に染めることにあります。
求道心を持って取り組む姿勢が何よりも大切です。
学会の歴史を振り返ってみても、教学を学ぶ意味がよく分かります。
戦時中、軍部政府の弾圧により、初代会長牧口常三郎先生、第2代会長戸田先生は逮捕、投獄されました。

牧口先生は獄中で逝去。
この弾圧の時、学会の多くの幹部も逮捕されましたが、ことごとく信心を捨ててしまいました。
出獄後、壊滅状態だった創価学会の再建に着手した戸田先生は、「教学」を活動の柱に掲げました。
広宣流布を進めるには、一人一人が、御書を心肝に染め、揺るがぬ信心を築く以外にない”という結論に至ったからです。

 
新会員:

“いざ”という時に、信念を貫けるかどうか。私たちにとって大きな教訓になる話ですね。

 
先輩:

大聖人が「行学は信心よりをこるべく候」(御書1361ページ)と仰せのように、「行学の二道の実践」といっても、その根本はどこまでいっても信心です。
池田先生は「教学の深化は、信心をさらに深め、自分自身の使命の自覚を促し、広宣流布に生き抜く闘魂を燃え上がらせてくれるものだ」と綴っています。
自身の人生の勝利のため、また、正しい哲学を持った力あるリーダーへと成長するために、行学の二道に励んでいきましょう。

 

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座談会

仏法の旭日は「座談の語らい」から昇った!!

日蓮大聖人
「この手紙を志のある人々は寄り合って読み、よく理解して心を慰めなさい」

イメージ 座談会のイラスト
 
新会員:

先日の座談会は大変に楽しい語らいでした!釈尊の時代にも「座談会」はあったのでしょうか。

 
先輩:

はい。釈尊は悟りを開いた後、5人の旧友といわば“ひざ詰め”で対話しました。やがて、5人は次々と釈尊に帰依します。こうして、“人類を照らす精神革命の旭日”は「座談会」から昇ったのです!

 
新会員:

なるほど。仏法の広宣流布は座談会からスタートしたということですね。

 
先輩:

その通りです。もちろん、大勢の弟子たちを前に説法したこともありますが、一対一の対話、語らいの場を中心にした、といっていいでしょうね。 
入滅する直前、釈尊は外道の行者・スバッダを帰依させました。
その最後の語らいも、弟子の阿難等を交えた少人数だったと推測されています。

 
新会員:

日蓮大聖人の場合はどうでしたか。

 
先輩:

佐渡流罪という大難の最中に、大聖人は認められています。
「この手紙を志のある人々は寄り合って読み、よく理解して心を慰めなさい」(御書961ページ、通解)同じ佐渡からの御手紙にも、「富木、四条金吾、河野辺……と、おのおの互いに読み、聞かせてさしあげなさい。このような濁世には互いに常に話し合って、ひまなく後世を願うようにしなさい」(同965ページ、趣意)と。
悪世末法だからこそ、悪縁に紛動されないよう、門下が互いに語り合い、励まし合って仏道に精進するよう教えられています。

 
新会員:

今で言えば「座談会」を勧められている、といっても過言ではありませんね。
創価学会でも草創期から、座談会が開かれてきましたね。

 
先輩:

初代会長牧口先生は、ご高齢の身で、友を激励するため、九州の八女に赴かれました。
第2代会長戸田先生も、戦後の学会再建期に座談会を重視され、先生の出席する座談会が広布の本陣でした。
池田先生も「2月闘争」、“まさかが実現”した「大阪の戦い」の時など、座談会を軸に徹底した家庭訪問を行いました。三代会長を先頭に、ひざ詰めの納得の語らいが、広布の原動力でした。
そして今や、「ザダンカイ」は世界の共通語となっています。

 
新会員:

隣の友を交えて「友情の輪」が広がる「座談会」は、地域に開かれた“生命のオアシス”ですね。

 
先輩:

顔が皆違うように、悩みや課題は人それぞれ異なります。
その一人と真正面から向き合い、語り合って、幸せへと転換していく場が座談会です。
これからも楽しく、面白く、にぎやかに開催していきましょう。