〈随筆 「人間革命」光あれ 池田大作〉 師弟の道 生命錬磨の夏 2019年8月23日

〈随筆 「人間革命」光あれ 池田大作〉 師弟の道 生命錬磨の夏 2019年8月23日

「鉄は炎打てば剣となる」
苦闘も宝にわが使命を開きゆけ
「8・24」―原点の誓いを生涯貫く!
空と雲と森と花園と――なんと鮮やかな色彩のコントラスト。心が希望の空へ大きく飛翔していくよう(今月8日、池田先生撮影。長野研修道場で)

 師・戸田城聖先生から私は折々に「この御聖訓を心肝に染めよ」と峻厳な指導を頂いてきた。
 その御文の一つが、「法華経の行者は信心に退転無く身に詐親無く・一切法華経に其の身を任せて金言の如く修行せば、慥に後生は申すに及ばず今生も息災延命にして勝妙の大果報を得・広宣流布大願をも成就す可きなり」(御書一三五七ページ)である。
 入信より七十二星霜、戸田先生の直弟子として私は、この仰せのままに走り抜いてきた。
 不二の同志と共々に、「世界広宣流布」の大願成就へ前進してきたことは、何ものにも代え難い誇りである。
 そして尊き共戦の学会家族が「息災延命」の福徳に包まれ、一人残らず「勝妙の大果報」を勝ち得ていくことが、変わらざる祈りなのだ。

埼玉へ長野へと

 紺碧の夏空が広がった今月上旬、埼玉の研修道場へ足を運んだ。
 埼玉の天地はいずこも懐かしい。あの友この友の顔が、溢れるように浮かんでくる。
 埼玉といえば「鉄桶の団結」である。わが同志は、このモットーを掲げて半世紀、いつも一丸となって正義の大行進を続けてきた。
 この道場で、「破邪顕正」の精神の真髄を語り合ったことも蘇る。
 研修道場のある日高市は、かつて鎌倉と上州、信濃を結ぶ街道が通っていた。それは、まさに、日蓮大聖人が佐渡へ向かう際に歩かれた道であり、佐渡流罪が赦免された後、堂々と凱旋された縁の道である。
 私は歴史の街道の近傍を北上し、長野研修道場も訪問した。
 地元の同志の皆様が丹精された緑や花々で美しく輝き、「園林諸堂閣 種種宝荘厳 宝樹多花菓 衆生所遊楽」との法華経寿量品の経文さながらの宝城である。
 日本そして世界の求道のリーダーが共に学び、語り、力を蓄え、未来の栄光の因を積んできた。
 生命の錬磨は、我らの勝利の揺籃である。
 道場には、創価の三色旗が翩翻とひるがえっている。
 毎朝、掲揚してくれる青年役員は、掲げた旗に敬礼をする伝統がある。誰が見ていなくても諸天が見ている。神々しい劇を創り、師弟の勝利の旗を打ち立てるのだ、との心意気からである。
 研修道場を支えてくださる皆様と挨拶を交わし、妻と共に深い感謝の思いを伝えた。
 この道場への初訪問から四十年。青年部の時からの成長と活躍を、ずっと見守ってきた友も多い。一緒に歴史を創ってきた陰徳陽報の笑顔が本当に頼もしかった。
 大聖人は、心を鍛え、生命を鍛える大切さを、門下に教えられた。
 「きた(鍛)はぬ・かね(金)は・さかんなる火に入るればと(疾)くと(蕩)け候」「剣なんどは大火に入るれども暫くはとけず是きたへたる故なり」(同一一六九ページ)
 まさしく、宝剣のごとく心を鍛え抜いた人間ほど強いものはない。
 「鉄は炎打てば剣となる」(同九五八ページ)との御聖訓通り、強靱な生命を築くための仏道修行であり、学会活動である。

「水滸会」の薫陶

 わが学会は、先師・牧口常三郎先生以来、炎暑の夏、各人が研鑽の汗を流し、生命を鍛え、さらなる成長を期してきた。
 戸田先生のもと、研修を重ねた水滸会の定例会では、古今の名作を学び合うのが常であった。
 その教材として英国の作家デフォーの小説『ロビンソン・クルーソー』が取り上げられたことがある。船が難破して、無人島に一人漂着したロビンソンが、二十八年余にわたり懸命に生き抜いた冒険物語である。
 今年は、この本の発刊から三百周年となる。
 一日一日、生き延びるためのロビンソンの挑戦・苦闘と対照しながら、恩師が過酷な自らの獄中体験を語ってくださったことも忘れられない。
 実はデフォー自身も、人生の辛酸をなめた。
 時の政府によって獄に囚われ、当時の刑罰の一つ、「晒し台」に三日続けて立たされたという。
 ところが彼は、その大苦境をも風刺詩にして、民衆に真実を伝える好機に変えた。
 「皆に伝えるがいい、彼〔デフォー〕は大胆すぎて、/それで本当のことを言った」と訴えるこの詩は、民衆の心をつかんだ。「晒し台」では石などを投げつけられる代わりに、何と花束を捧げられたという。痛快な逆転劇である。
 戸田先生は、私たちが受持した大仏法は、いかなる宿命も転換していける人間革命の宗教なりと力説され、「青年は勇気を持て」「希望を持て」と励ましてくださった。
 今、あまりに大変な状況下にあって、自分では“もうだめだ”と思ったとしても、断じて終わりではない。苦しい経験も含め、全てに意味があるのだ。かけがえのない宝となり、使命へと変わる時が必ず来るのだ。
 苦難や葛藤があっても、絶対に屈しない負けじ魂の信心を磨き抜くのが、創価の薫陶である。
     ◇

 八月十七日、言論の戦友たる文芸部が結成五十周年の佳節を刻んだ。
 私自身、ペンを握る者として一文芸部員の自覚で戦ってきたつもりだ。
 我、生涯、誉れの文芸部員なり!
 文芸部には、この志を同じくして戦う闘士が大勢いる。九十歳を超えて、生き生きと日々の感動を綴り、社会に正義の声を放つ多宝の友もいる。
 人間の無限の可能性を、そして創価の師弟の真実を、誇り高く表現しゆく文の戦士がいる。
 病気や障がいにも負けず、その試練を人間勝利の珠玉の作品に昇華しゆく勇者もいる。
 若き日の誓いを胸に、不朽の創作をと、執念の精進と挑戦を重ねる賢者もいる――。
 生き抜く民衆のど真ん中で、胸を張って奮闘する文芸部員が、私は大好きだ。一人ひとりが新たな文芸復興の先駆者として、後継を育て、民衆凱歌の旗を掲げゆかれることを期待してやまない。

聖教の光広げて

 私の入信記念日の八月二十四日が、「聖教新聞創刊原点の日」であり、「壮年部の日」となっていることも、奇しき宿縁である。
 先日、ブラジル・アマゾンの支部長の尊い体験の報告を受けた。
 壮年部の王城会として会館厳護に当たるとともに、週刊の「ブラジル・セイキョウ」の配達にも奮闘する。入会まもない頃、奥様の“説得”で配達を担い始めた。毎週、片道三十キロの道のりを自転車で走り、熱帯地域のスコールで新聞が濡れないよう特製のビニールに包む工夫をし、一軒一軒に届けてくれているのだ。
 自転車のパンクなどにもめげず、使命の配達を貫く闘魂が、ブラジル中に拡大の波動を起こしているとの喜びの報告であった。
 聖教新聞ならびに世界の姉妹紙誌を支えてくださっている全ての宝友に感謝は尽きない。
 世界聖教会館の完成に当たり、恩師の悲願の通り、日本中、世界中に、我らの聖教の光をいやまして広げていきたいと、強盛に祈念している。

「人を敬う」実践

 地域に根差した座談会と、世界を結ぶ聖教新聞で、私たちは生命の絆を強め、荘厳にして壮大なる人間革命の絵巻を織り成していくのだ。
 御年百七歳の“広布の母”が、ある座談会に出席された様子を、感銘深くお聞きした。
 ――この人生の大先輩が語る一言一言を、参加者は皆、耳をそばだてて聴いた。話が終盤にさしかかると、青年への期待を尋ねる声が上がった。
 すると、多宝の母は、最前列に座る、ひ孫ほどの女子部の乙女を見つめながら、ゆっくり立ち上がり、長い間、お辞儀をされたのだ。一度、二度、そして三度と――。
 言葉ではない。その振る舞いで全てを語られていたのである。
 青年には無限の可能性がある。未来を担う偉大な力を持っている。その尊い生命を心から敬っていくのだ。これが仏法のまなざしであり、人材育成の根本精神であろう。
 大聖人は、「不軽菩薩の人を敬いしは・いかなる事ぞ教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」(御書一一七四ページ)と仰せである。
 創価の父母こそ、この御指南を受け継ぎ、現実の上で「人を敬う」不軽の実践者であると、私は誇り高く叫びたい。
     ◇
 今年も、創価大学で、未来部の夏季研修会が有意義に行われた。希望の未来を開く後継の友が成長し、躍動する姿ほど嬉しいものはない。
 欧州でも、アメリカでも、異体同心の創価世界市民たちが教学研修会に勇んで集われている。
 今月末から来月にかけては、学生部の教学実力試験や青年部の教学試験二級が行われる。
 さらに、雄々しき男子部の大学校生大会も、全国各地で開かれる。
 「一閻浮提第一の御本尊を信じさせ給へ」「行学の二道をはげみ候べし、行学た(絶)へなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ」(同一三六一ページ)
 戸田先生が十九歳の私に教えてくださった通り、ここに「正しい人生の道」があり、最高の「幸福勝利の道」がある。
 この「正しい人生の道」を、朗らかに歩み、一人また一人へ自信満々と伝えゆこうではないか!
   
 我 唱え
  他をも勧ん
   随喜して
  無上の思出
    青春讃歌を
    
 
 (随時、掲載いたします)

 デフォーの「晒し台讃歌」は塩谷清人著『ダニエル・デフォーの世界』(世界思想社)から。