〈世界広布の大道――小説「新・人間革命」に学ぶ〉 番外編 第6巻~第10巻㊦ 2019年8月28日

〈世界広布の大道――小説「新・人間革命」に学ぶ〉 番外編 第6巻~第10巻㊦ 2019年8月28日

 
第6巻「遠路」の章

 今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第6巻から第10巻の「番外編㊦」。山本伸一の指導、海外に広がる『新・人間革命』の研さん運動を紹介する。次回は、第11巻の「基礎資料編」を9月4日付に掲載予定。

個人指導こそ最重要の活動  

 〈1962年(昭和37年)2月、山本伸一は、ギリシャアテネを訪問。古代のアゴラ(市民が集まる広場)を視察し、学会の座談会について語り合う〉
 ――学会を批判する評論家やマスコミは多いのに、“人間錬磨の広場”ともいえる、学会の座談会に注目する人は、ほとんどいません。
 
 「なんでもないように思えることが、実は一番すばらしい、偉大なことである場合が多いものだよ。
 人間は立派な家には目を向けるが、土台を見ようとはしない。しかし、家を支えているのは土台だ。学会の大運動も、この座談会が土台だ。
 そして、さらにいえば、大切なのは個人指導だよ。座談会に来た人を最大限に励ますのは当然だが、私は、むしろ、来られなかった人のことを考えてしまう。だから私は、よく、そうしたメンバーを励ましに行った。これが幹部の活動の基本だよ。
 人体は一つ一つの細胞から成り立っている。その細胞が生き生きとしていてこそ、人体の健康が維持される。同じように、学会を支えているのは、一人ひとりの会員であり、その会員が歓喜し、はつらつとしていてこそ、社会を蘇らせるダイナミックな運動を展開していくことができる。
 したがって、一人ひとりに光を当てる個人指導が、最も重要な活動になる。
 ソクラテスも対話の名人だった。彼の哲学は、人びととの対話のなかで、輝きを放っていった。
 私たちも最高の生命哲学をもっているのだから、人びとの心の深海を照らすような、幸福への深い対話、激励をしていかなければならないね」(第6巻「遠路」の章、98~99ページ)

“一人立つ精神”が壁を破る!   

 〈1963年(昭和38年)7月、伊豆の天城で水滸会の研修会が開かれ、山本伸一を囲んで指導会がもたれた〉
 ――私が担当している組織は、部員が少なく、極めて厳しい実態です。どうすればこうした事態を変えていくことができるでしょうか?
 
 「君が立ち上がればいいんだ!」
 (中略)
 「青年ならば、一人立つことだ。そこから、すべては変わっていく。
 私もそうしてきた。戸田先生が亡くなったあと、学会は空中分解すると、世間は噂していた。古い幹部のなかには、先生が亡くなったのをいいことに、わがままになり、身勝手に振る舞う者もいた。学会を食い物にしようと企む者もいた。このままでは本当に空中分解してしまうと、私は思った。だから立ち上がった。そして、総務として、陰の力となって、学会のいっさいの責任を担った。当時、私は三十歳だった。
 事態が厳しければ、自分が一人立つ――常に、私はその精神でやってきた。
 蒲田支部支部幹事として、折伏の指揮をとった時もそうだ。当時は、大支部といっても、折伏は百世帯そこそこだった。“これでは、戸田先生が掲げた七十五万世帯という大願を果たすことはできない”と、私は思った。
 では、誰がやるのか。弟子がやるしかない。ゆえに私は戦いを起こした。そして、一支部で二百一世帯という、当時としては未曾有の布教を成し遂げた。これは私が、二十四歳の時だ。支部には、もちろん壮年も、婦人もいた。ほとんどの幹部は、私よりも年上だ。しかし、最後は皆、私と心を合わせて動いてくれた。
 なぜか。私は真剣であったからだ。誰よりも、必死であったからだ。“自分たちには、あれほどの活動はできない。この人の言う通りにやれば、必ず壁を破ることもできるだろう”と、みんなが思ったからだ。そして、私は結果を出した。
 私の行くところは、事態、状況は、いつも最悪だった。そのなかで、勝って、戸田先生にお応えしてきた。それが弟子の道だ。(中略)
 君も立て! 断じて立つんだ。見ているぞ!」(第8巻「宝剣」の章、115~116ページ)

悩みに負けないのがリーダー  

 〈1964年(昭和39年)10月、山本伸一は東南アジア、中東、ヨーロッパを歴訪。各地で、経済問題や、健康の問題などに悩む友を励まし、その国のリーダーに任命していく〉
 ――皆、いろいろな悩みを抱え、克服できずにいます。そういう人たちが、一国の学会のリーダーとなって、指揮を執っていけるのでしょうか?
 「それでは君は、地位もお金もあり、なんの悩みもない人を探して、リーダーにするつもりなのか」
 (中略)
 「そんな人は、まずいないよ。皆、なんらかの課題や悩みを抱えている。そもそも、人間が避けることのできない悩みが、生老病死ではないか。それに、苦悩のない人からは、偉大な人間性の輝きは生まれない。
 悩みを抱えているということ自体は、恥でもなんでもない。今の学会の首脳幹部も、悩みをバネにしながら、学会活動に挑戦してきたではないか。
 言い換えれば、悩みがあるからこそ、真剣に、広布の活動に励めたといえる。学会のリーダーとして、最も重要なことは、悩みに負けないということだ。これが一番の条件だ」(第9巻「光彩」の章、250~251ページ)

挑戦し続けることが自信に  

 〈1965年(昭和40年)10月、ヨーロッパ本部が2分割され、ドイツ方面は第二本部となる。山本伸一は、その本部長に、ドイツ広布に励んできた佐田幸一郎を任命する〉
 ――私には、なんの力もありません。そんな大任を全うできる自信がないんです。
 
 「やる前から、自信のある人なんていやしないよ。もし、そういう人がいるなら、甘く考えているか、慢心といえるだろう。
 日本では、野球といえばジャイアンツの長嶋といわれているが、今では、野球の天才と讃えられている彼だって、最初は自信などなかったはずだ。どうすればもっと打てるようになるのか、何が問題なのかを考え、徹底して練習し、工夫を重ねていったにちがいない。
 そのなかで、“こうすれば打てる!”“こうすれば勝てる!”という感触をつかみ、挑戦してみる。しかし、なかなか思った通りにはいかない。そこでまた、研究・工夫し、練習する。その繰り返しのなかで、“打てた!”“勝てた!”という体験が生まれ、やがて、それが確かな自信につながっていく――。
 自信なんて、一朝一夕につくものではない。最初はなくていいんだ。
 大切なのは、挑戦していく心だ。挑戦し続ける勇気だ。何があっても、くじけず、あきらめず、投げ出さずに進んでいこうとする持続の力だ。
 佐田君は、この人事を、自分の使命であると決めて、まず一年間、走り抜いてみることだよ」(第10巻「新航路」の章、257~258ページ)

●海外に広がる研さん運動〈インド〉

 「I am that one disciple(私がその一人の弟子だ)!」
 インド創価学会(BSG)の会合では今、この言葉をよく耳にする。これは、昨年9月8日に完結した小説『新・人間革命』の最終回で、山本伸一が「一人の本物の弟子がいれば、広宣流布は断じてできる」との戸田先生の言葉を紹介し、青年部に後継を託す場面を受けたもの。インドのメンバーは、小説を“自分自身に宛てられたメッセージ”と捉えている。
 BSGでは、小説の研さん運動が活発だ。各人の読了の推進はもちろん、座談会とは別に各地区で「『新・人間革命』の研さん会」を毎月開催。また、訪問・激励では必ず、リーダーが小説を持参し、訪問先のメンバーと学び合っている。

 ※『新・人間革命』の本文は、聖教ワイド文庫の最新刷に基づいています。
【挿絵】内田健一郎 【題字のイラスト】間瀬健治