本部幹部会で紹介された池田先生の指針 2019年9月13日

本部幹部会で紹介された池田先生の指針 2019年9月13日

広宣流布は信念の言論戦
正義を叫べ!真実を語れ! 「新聞」は民衆の勝利のために
ウエルカム(ようこそ)!――未来部の友が、65カ国・地域から集った270人のSGIメンバーを歓迎(8月31日)

 「世界広布新時代第42回本部幹部会」(8月31日、横浜市鶴見区の神奈川池田記念講堂)の席上、1993年4月の本部幹部会での池田先生のスピーチ映像が上映された。11・18の「創価学会 世界聖教会館」完成へ、勇躍前進する友への指針として掲載する。

 一、きょう4月20日は、「聖教新聞」の創刊記念日である(1951年創刊)。まず全国の、わが愛する「無冠の友」――配達員の方々、また配達協力者の方々に、心より感謝を申し上げたい。ありがとうございます!
 これからも、どうかご健康で、一日一日、無事故であっていただきたい。素晴らしい福運を積みながら、ご長寿で、素晴らしい生涯であっていただきたい。
 「聖教新聞」は、発行部数においても日本有数の新聞である。しかも、それ以上に、仏法を根底とした「人生の指針」「人間哲学」「人間讃歌」「人間の生き方」という、内容の深さにおいては“世界第一”であると確信する。

希望を万年先まで

 一、新聞こそ、言論戦の“武器”である。私の尊敬する、ブラジル文学アカデミーアタイデ総裁も、新聞を精神闘争の“武器”として戦ってこられた。
 総裁は青年時代から、新聞記者として活躍された。しかし独裁政権から、何度も弾圧される。投獄もされた。国外追放にもあった。
 けれども総裁は、絶対にペンを折らなかった。書いて書いて、書きまくった。民衆に真実を訴え抜いた。
 何があろうと“道を貫く”“退転しない”。これが人間としての「勝利者」の証しである。
 どこまでも、正義を叫び切っていく。真実を語りに語り抜いていく。ここに私たちの折伏精神もある。広宣流布は、永遠不退の闘争であり、信念の言論戦なのである。
 アタイデ総裁とは、今回のブラジル訪問の折に初めてお会いした(93年2月、リオデジャネイロ)。お顔には、長き闘争の風雪が刻まれていた。まさに“獅子の顔”であった。戦士の心は、会ったとたん、瞬時に響き合った。
 「戦いましょう」「二人で力を合わせ、人類の歴史を変えましょう」――これが、出迎えてくださった空港での総裁の言葉であった。
 一、アタイデ総裁は、新聞の使命について、こう述べられた。
 「新聞は毎日、また常に、民衆の光輝ある力のために、現在と未来の間に立って、歴史の行進を先取りする。そして世界の地平線へ、鋭きまなざしを広げていく」
 商業主義でもない。自己満足のためでもない。新聞は「民衆の勝利」のためにある。
 わが「聖教新聞」は、これからも、世界の第一級の良識と広く深く連帯しながら、さらに力強く、さわやかに、民衆の心、人類の心を動かしてまいりたい。
 一波が二波、三波、そして万波となっていくように、新世紀へ、万年の未来へ、限りない希望の生命の波を送っていく。これが「聖教新聞」の使命である。

無冠の友は「仏の使者」

 一、日蓮大聖人は、門下の大田乗明へのお手紙で、「金珠女」の説話を引いておられる。
 「昔金珠女は金銭一文を木像の薄と為し九十一劫金色の身と為りき」(御書1012ページ)――昔、金珠女は、仏の木像を飾る金箔を金銭一文で供養し、九十一劫の間、金色の身となった――。
 (昔、毘婆尸仏という仏が入滅したあと、人々は七宝の塔を供養したが、そのなかの木像の顔の金色が一カ所、欠け落ちていた。このとき、貧しい一女性が、乞食をして得た金珠〈金の宝珠〉で補修した。その功徳で九十一劫もの長い間〈一劫は一説には約1600万年との計算もある〉、金色の身と生まれて、人界・天界の喜楽を受け続けたと、「付法蔵因縁伝」〈『大正新脩大蔵経』第50巻〉に説かれている)
 「金色の身」とは、光り輝く最高の大福徳の身ということであろう。お金も「いらない」「いらない」と言っても入ってくる(爆笑)。
 それはともあれ、くめどもつきぬ福運、体からあふれ、にじみ出てくる歓喜の光。こうした「金色の身」が生々世々に続いたというのである。
 わずか「金銭一文」でも、時にかなった真心からの供養であれば、計り知れない功徳を得る。「心」の不思議な作用である。
 一、さらに大聖人は、「仏」を供養した金珠女の功徳以上に、「仏の師」である「経(法華経)」に供養する大田乗明夫妻の功徳は大きい。必ず一生のうちに成仏されますよ、と断言しておられる。
 大聖人のお言葉には、絶対に、うそはない。必ず、その通りになっていく。私は大確信をもっている。
 今、私たちは、最高の供養である「妙法流布」をなしている。「広宣流布」の聖業をなしている。その人は、「金珠女」すなわち「黄金の宝珠の女性」以上の大福徳を得る。必ず「金色の身」となる。これが、御本仏のお約束であられる。
 なかんずく配達員の方々の功徳は大きい。
 というのは、大聖人は「仏は文字に依って衆生を度し給うなり」(御書153ページ)――仏は(経文の)文字によって、人間を済度(救済)される――と仰せになっている。
 「文字」には、人を救う力がある。人を救う「文字」がある。
 経文そのものとは次元は異なるが、「聖教新聞」の根本は「文字によって人々を救う」新聞である。広宣流布をなしている唯一の新聞である。
 それを届けてくださる方々は、実は「仏の使者」であられる。一日一日が、偉大なる価値を生まないわけがない。一歩一歩が永遠の福徳を積まないはずがない。
 尊き仏使であられる配達員の皆さまが、また、ご一家が、永遠に無事故で、色あせぬ金色の幸福に包まれておられることを私は願い、祈っている。

「無限の知恵」を

 一、大航海時代、はるかな海を越えて、マカオを訪れた一人の詩人がいた。彼の名はカモンイス(1524~80年)。ポルトガル文学史上、最大の詩人とうたわれる人物である。
 詩人は語る。
 「権威や権力を利用して卑劣な中傷、根拠なき批判をする者は、絶対に勝つことはできない。それは勝利の因に欠けているからだ。真の勝利は、唯一無二にして完全なる正義をもっているかどうかで決まる」と。
 「正義」こそ力である。私たちは、大聖人の仏法という、「唯一無二にして完全なる正義」をもち、進んできた。ゆえに、一切を乗り越え、堂々と勝ってきた。いかなる中傷も、ものともせず前進してきた。そして今や、全世界にこれほどの信頼の輪を広げつつ、この上なく楽しい「世界一」の学会となった。
 一、カモンイスは、また「勝利は権力ではなく、知恵で勝ちとるものだ」と。
 仏法の精神にも通ずる、英知の言葉である。
 いわんや大聖人の仏法は、「以信代慧(信を以って慧に代う)」である。「幸福への知恵」「勝利への知恵」は、信心のなかに含まれている。
 周囲がどうか、環境がどうかではない。大切なのは、自分自身の知恵である。知恵で決まる。その知恵を開くために、自分自身が「信心」を奮い起こしていくことである。
 また、そうした強き信心の祈りは、すぐに目には見えなくとも、時とともに、必ず、「勝利のリズム」を生み出していく。「無限の知恵」が、「無限の勝利」の道を開いていく――それが信心である。
 本日は、海外20カ国の求道の同志も集っておられる。心から感謝申し上げたい。遠いところ、本当に、ご苦労さまです。
 最後に、皆さまの健闘をたたえ、また「無冠の友、万歳!」と申し上げ、本日のスピーチとしたい。
 本当にご苦労さま! ありがとう!