〈ライフいま 不況の波を越えて 2019年11月21日ウオッチ――人生100年時代の幸福論〉 “就職氷河期”世代の

〈ライフいま 不況の波を越えて 2019年11月21日ウオッチ――人生100年時代の幸福論〉 “就職氷河期”世代の

苦闘の数だけ強くなれる。経験が輝く
「負けるわけにはいかないと、彼らが勇気をくれました」。加藤さん(左から2人目)が、固い絆で結ばれた男子部の後輩たちと(長野・松本市内で)

 あらゆる世代が「人生100年時代」を幸せに生きるための知恵を探る「ライフウオッチ」。今回は、30代で職場の経営危機と倒産に直面し、2度の転職を重ねた、長野・松本市に暮らす“就職氷河期”世代の友を取材した。(記事=木﨑哲郎)

 コンビニで買った夜食を手に、倒れ込むように帰宅した深夜。悔し涙があふれる。
 “なんで、またこんな目に?”
 2013年春、当時34歳だった加藤雅也さんは、数年前から働く会社の経営難に直面し、人生2度目の転職を考えていた。
 時を同じくして、本紙で小説『新・人間革命』第26巻「奮迅」の章の連載がスタート。そこには、主人公・山本伸一が、信越の男子部員を励ますシーンがあった。
 「諸君の人生は長い。決して焦ってはならない。焦って、地道な努力を怠れば、必ず、どこかで行き詰まってしまう。人生の勝負は、五年や十年で決まるものではありません。一生で判断すべきです」
 社会人となり約10年。加藤さんは、“ともかく負けまい”と自分に言い聞かせた。「小説を読んで、人生は“長いスパン(時間の幅)”で見なくちゃいけない。まだまだ、これからなんだと、勇気をもらいました」

働けど報われない 

 加藤さんが大学を出た2001年は、求人倍率1・09%という就職氷河期。京都出身でもあり、当初は関西の企業への就職を望んでいた。だが不況により募集人員は限られ、いくつもの会社にエントリー用紙を郵送したが、ほとんど返事がない。
 「何かしらの職に」と、卒業前の秋に滑り込むように内定を得たのが、加藤さんの通う大学があった長野・松本市の電機メーカー。「賃金が低く、将来が不安でした。30代になっても、ほとんど貯金がありませんでした」
 2008年にリーマン・ショックが起こると、翌年、会社が経営難に陥る。加藤さんは、再建のために不眠不休で奔走した。心身が悲鳴を上げるまで働いたが、会社はもたなかった。
 悪化する景気動向下での転職活動は困難を極めた。転職エージェントからのメールも、ピタリと途切れた。企業に連絡しても、「求人はしていません」と相手にされない。
 ようやく採用が決まった精密機器メーカーも、すでに経営に陰りがあった。1年足らずで希望退職の募集が始まり、後に整理解雇が行われた。社員は3分の1に減り、加藤さんは、またもや会社再建の業務を担うことに。
 やがて一時帰休制度で週休4日となり、賞与が消え、収入は大幅にダウン。転職エージェントからは、「とにかく嵐が過ぎ去るのを待ちましょう」と。結局、この二つ目の会社も、わずか3年で退職することになる。
 働けど働けど、報われない。一体、自分の将来はどうなるのか。結婚はおろか、翌月の生活すら思い描けない。「奮迅」の章が連載されたのは、まさに苦悩の渦中だった。

“決勝点”を見つめ 

 小説『新・人間革命』起稿の地・長野では、長年、「創価信濃大学校」の名で、各部で同小説の学習運動を進めている。当時、男子部の圏書記長だった加藤さんも、再度の転職に挑みながら、メンバーと共に研さんを深めていた。
 後輩の一人に、中学を卒業後、仕事に就けず、ふさぎ込みがちな男子部員がいた。加藤さんが「実は今、僕もね」と近況を語ると、少しずつ心を開いてくれた。「働きたいけど、一歩が踏み出せないんです……」
 やがて加藤さんは、「一緒に頑張ってみよう」と後輩を車に乗せ、共に就労支援所へ通うように。彼が、あれこれと希望する職種を教えてくれるようになった時、ふと「苦労は宝」だと思った。「仕事の悩みが、彼との絆を強めてくれた。ありがたいな、と」
 その後、後輩は人生初の定職を得る。人のことなのに、涙が出るほどうれしかった。
 またこの頃、加藤さんのことを、よく気に掛けてくれる壮年部の先輩がいた。水産関係の自営業を営むその人は、さまざまな仕事の苦労を話してくれた。取引先から突然、契約の打ち切りを伝えられたが、何度も誠実に交渉する中で、新たな活路が開けたこともあったという。
 常々、先輩は言った。「仕事の悩みが、自分を強くしてくれる。苦労が大きい分、大きく道を開いていけるのが、この信仰だよ」
 加藤さんは、「自分も、仕事での挑戦を“土台”にして、強くなりたい」と思えた。
 日々、学会の先輩や後輩と関わり、触発を受ける中で、加藤さんは、今まで以上の覚悟で転職活動に臨むことができた。
 そして、「奮迅」の章の連載が終了した2013年7月、現在の勤務先である商社から内定を得る。「貴重な経験をお持ちですね」と、2度の会社の経営難、再建への職務経歴が買われての新出発となった。
 2年前には、縁あって結婚。家族を支えるためにスキルアップをと、昨年は宅地建物取引士などの国家資格を取得し、英語の勉強にも力を注ぎ始めている。
 学会では今秋、男子部から壮年部に進出した。「41歳。いよいよ、これからです」
 ◇ 
 加藤さんが赤い線を引き、何度も読み返してきた「奮迅」の章――。信越男子部への激励の場面で、山本伸一は、「さあ、出発しよう! 悪戦苦闘をつき抜けて! 決められた決勝点は取り消すことができないのだ」(富田砕花訳)との、アメリカの詩人ホイットマンの詩を引用。続けて、こう訴える。
 「悪戦苦闘は、われらにとって、避けがたき宿命的なものです。しかし、決められた決勝点、すなわち、われらの目的である広宣流布、また、一生成仏、人間完成、福運に満ちた勝利の実証を示すという、人生の決勝点は取り消すことはできない」
 そして同章には、こうも記されている。「悪戦を経た数だけが、自身の経験の輝きとなる。苦闘の数だけが力の蓄積となる」と。
 ならば、わが人生の“決勝点”に到達する直道は、苦難のど真ん中を進むことであろう。加藤さんは決意する。「何があっても、試練に挑み立っていける自分。目標に向かって努力できる自分。そこを目指したい。悪戦を経て、多くのメンバーに励ましを送れるようになることが、人生の財産だと思っています」
 100年時代を生きる自身の“決勝点”へ――加藤さんの目は、「今」の先にある「未来」を見据えている。