元品の法性は梵天・帝釈等と顕われ元品の無明は第六天の魔王と顕われたり

 今回の「心大歓喜――紙上講義で学ぼう」には、久保中国教学部長が登場。「治病大小権実違目(治病抄)」の御文を拝し、恒久平和の実現へ、生命尊厳の哲学を社会の柱にしていく、創価の精神闘争について、つづってもらいます。
 

= 御文 =

 元品の法性は梵天・帝釈等と顕われ元品の無明第六天の魔王と顕われたり
 (治病大小権実違目、997ページ7行目~8行目)

= 通解 =

 (生命に本来具わっている)「元品の法性」は、梵天・帝釈などの諸天善神として顕れ、(本来具わっている)「元品の無明」は、第六天の魔王として顕れるのである。
 

「人間革命」の連帯広げ
生命尊厳を社会の柱に

 11月は、広島にとって、師弟の平和闘争の魂が赤々と燃える月です。
 
 あの歴史的な「原水爆禁止宣言」から2カ月後の1957年(昭和32年)11月、体調を崩された戸田先生は、命懸けで広島訪問を断行しようとされました。しかし、病状は思わしくなく、断念せざるをえませんでした。
 恩師の思いを胸に、平和への戦いを起こした池田先生は、75年(同50年)11月、広島を訪れ、原爆死没者慰霊碑に祈りをささげられました。
 
 この師弟の峻厳なる平和闘争を受け継ぎ、さらに世界へと広げるのが、広島で生まれ育った被爆2世である私自身の使命と定め、青年時代から平和運動に邁進してきました。うれしいことに中国方面には、平和の闘争を継ぐ、青年の人材山脈がそびえています。
 
 

核兵器と戦争の惨禍を伝え、平和への誓いを広げる世界遺産の「原爆ドーム」。池田先生は、1993年(平成5年)8月6日、広島に原爆が投下された「原爆の日」に、小説『新・人間革命』の執筆を開始し、冒頭で平和闘争の宣言となる一節をつづった。「平和ほど、尊きものはない。平和ほど、幸福なものはない。平和こそ、人類の進むべき、根本の第一歩であらねばならない」(写真:PIXTA)
核兵器と戦争の惨禍を伝え、平和への誓いを広げる世界遺産の「原爆ドーム」。池田先生は、1993年(平成5年)8月6日、広島に原爆が投下された「原爆の日」に、小説『新・人間革命』の執筆を開始し、冒頭で平和闘争の宣言となる一節をつづった。「平和ほど、尊きものはない。平和ほど、幸福なものはない。平和こそ、人類の進むべき、根本の第一歩であらねばならない」(写真:PIXTA)

 今回拝する「治病大小権実違目」の御文は、一人一人の生命の変革によって、災難をとどめる道理を示されている箇所です。つまり、平和は一人の「人間革命」から始まるのです。
 
 仏法では、善も悪も、一人の生命に厳然と具わっていると教えています。
 その上で、善性である「元品の法性」は諸天善神の働き、悪性である「元品の無明」は「第六天の魔王」の働きとなって顕れると仰せです。
 
 「元品の無明」とは、生命に具わる根本的無知、迷いのことですが、その根底は、生命の尊厳が信じられないということです。それは、他者だけでなく、自身の生命の軽視でもあります。
 
 この視座から見れば、「第六天の魔王」は、支配欲・権力欲・国家悪等として働き、顕れます。人類を何度も亡ぼすほどの膨大な数の核兵器を頂点とする軍事・軍需体系は、その権化です。他者の生命を奪う戦争もそうです。ゆえに、戸田先生が、核兵器をサタン(悪魔)の産物と言われたのです。
 
 核兵器は、人間が生み出したのであるならば、人々の生命を変革し、善の連帯を広げることで、核兵器廃絶も、恒久平和も現実にできるはずです。
 “核兵器なんて私には関係ない”と思う人もいるでしょう。しかし、仏法では、善悪一如と説きます。自分の中に善も悪も具わっていると洞察するならば、誰もが当事者なのです。
 
 

 大学1年の時、アジアからの留学生との交流で、「日本も加害者」と認識されていることにがくぜんとしました。被害者意識だけでは、狭小な運動になりかねないことを知ったのです。平和を前進させるには、互いを良く知り、相手の立場を尊重しながら、理解を広げていかねばなりません。
 
 また、大学2年の時、学会の反戦出版の一つとして、被爆証言集が発刊されました。そこに、母の証言が収録されました。折々に聞いていましたが、まとまった形で読んだ時、母の平和への思いが胸に迫ってきました。
 
 今も新たに、証言される方々がおられます。それは、家族も含め、偏見や差別との戦いの始まりです。その覚悟に、思いを馳せなければなりません。
 “二度とこの苦しみを、誰にも味わわせたくない”との、切なる願いが、重い心の扉を開いたのです。
 
 

学会が取り組んできた反戦出版
学会が取り組んできた反戦出版

 学会は、これまで反戦出版をはじめ、核廃絶を訴える展示や署名を行ってきました。広島では、青年部主催の「平和のための広島学講座」を30年にわたって開催してきました。私も、毎週、内外の人たちに、新聞各紙の切り抜きなどの平和情報を発信し続けています。
 
 日蓮大聖人は、「同居穢土を・とられじ・うばはんと・あらそう」(御書1224ページ)と仰せです。現実の魔性との闘争の中で、一人一人の人間の善性を呼び覚ます対話を続けていくしかないのです。
 
 池田先生は、創価学会の社会的貢献に関して、主師親の三徳になぞらえ、次のように教えてくださいました。
 「生命の尊厳を護る『主の徳』を目指すのは、平和の貢献です。青年を正しく導く『師の徳』を体現するのが、人間教育です。人類の心を耕し、結び合う『親の徳』は、文化の交流です」(『御書と師弟』第3巻)
 学会の平和運動は、憎悪や偏見などが渦巻く現代社会にあって、厳然とそびえ立つ平和と希望の柱なのです。
 
 大聖人は「心地を九識にもち修行をば六識にせよ」(御書1506ページ)と仰せです。現実社会は、利害や思惑が複雑に絡み合っています。分断の風潮が強まる中で、どこまでも「立正安国」の理念を高く掲げながら、平和を構築していきたい。恒久平和は、決して静的なものではなく、間断なき闘争に勝ち続けてこそ可能になるのです。
 

池田先生の指針から――

 核兵器を廃絶せよ! その元凶となる生命軽視の魔性の思想を打ち破れ! 恩師の遺訓のまま我らは弛まず進む。
 それは「元品の無明」を破って「元品の法性」を開き、民衆一人一人の心に平和の砦を築く地涌の挑戦である。「生命尊厳」を地球社会の柱に打ち立てゆく精神闘争だ。
 この最極の道である「立正安国」の対話に、今日も挑みゆこう!(本年9月6日付本紙、御書と歩むⅡ――池田先生が贈る指針)
 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
 きょう9月8日は、わが師・戸田城聖先生が、学会の平和運動の永遠の原点である「原水爆禁止宣言」を、青年に託された日であります。
 “核兵器を絶対に使用させてはならない”“世界の民衆の生存の権利を断じて守らなければならない”との恩師の師子吼を、私は不二の弟子の誓いとして命に刻みつけ、行動を貫いてきました。(中略)
 
 長らく不可能と言われ続けてきた核兵器禁止条約が、2年前に国連で採択されたのであります。
 私は、広島と長崎に原爆が投下されてから75年となる明2020年のうちに、何としても核兵器禁止条約の発効を実現させたいと切望しています。
 条約の発効こそが、原水爆禁止宣言で訴えられた、核兵器を容認する思想の「奥に隠されているところの爪」をもぎ取るための不可欠の基盤になると信じてやまないからです。(本年9月10日付本紙、青年不戦サミットへのメッセージ)