法華証明抄

12月度座談会拝読御書 法華証明抄

 拝読御文 すでに仏になるべしと見へ候へば・天魔・外道が病をつけてをどさんと心み候か、命はかぎりある事なり・すこしも・をどろく事なかれ、又鬼神めらめ此の人をなやますは剣をさかさまに・のむか又大火をいだくか、三世十方の仏の大怨敵となるか
御書全集1587ページ4行目~6行目 

信心を奮い起こし成仏の道を

本抄について

 本抄は弘安5年(1282年)2月28日、日蓮大聖人が身延で認められ、駿河国(静岡県中央部)の門下・南条時光に与えられたお手紙です。

 熱原の法難を乗り越えて、信心を強盛に貫いてきた時光は、この時、24歳でした。時光が重病であるとの報告を受けて、本抄は認められています。

 本抄は、末代悪世で法華経を持つ者は、過去に十万億の仏を供養した人であり、このことは釈尊一人の説法だけでなく、多宝如来と十方の諸仏の「証明(保証)」もあると仰せです。

 拝読御文では、時光の病気は天魔・外道が信心を脅そうと試していることによるものであると示されており、大聖人が末法の御本仏としての大確信の上から、若き門下の命を奪おうとする鬼神を呵責されています。

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すこしも・をどろく事なかれ

 南条時光の病気の理由について、日蓮大聖人は“時光がもはや成仏しそうになったので”と述べられています。

 この前段で大聖人は、大聖人の門下が信仰を理由に迫害を受け、命に及ぶ人もいることを示されています。その中にあって、時光は南条家の跡継ぎとなって信心を貫いてきており、人々から信心をやめるように諫められたり、脅されたりしても、信心を捨てる心がなかったと、称賛されています。

 そして、この時の時光の病気は、信心を捨てる心がなく成仏できる境涯に至った時光を、天魔・外道が病にさせて、信心を脅そうと試しているのだと示されています。

 天魔、外道とは、仏道修行を妨げ、災厄をもたらす悪神、悪鬼などのことです。ここで注意すべきは、成仏できる境涯に至ったことで、天魔・外道がそれを阻もうと働き掛けてきたという点です。

 大聖人は他の御抄で、「行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競い起る」(御書1087ページ)との天台大師の言葉を引用されています。この言葉は、行学の実践に励んできたゆえに信心を妨げる障魔が競い起こるとの意味です。

 信心に励んできた結果として、障魔の働きをはじめとする苦難に直面することがあります。その時、大切になるのは、信心根本に恐れることなく苦難と戦うことなのです。

 ゆえに大聖人は、命には限りがあるゆえに、少しも驚いてはならないと述べられています。想像だにしない困難にぶつかることがあっても、信心に疑いを起こすことがあってはならないのです。

 苦難に直面した時というのは、自身の信心が試されている時でもあります。そして、信心で乗り越えられない苦難はありません。

 心したいのは、そうした時こそ、信心を奮い起こして難と戦うことなのです。その実践によって、わが境涯を開いて一生成仏を果たせば、今世だけでなく未来永遠にわたる幸福境涯を築くことができます。

 妙法は、一切の苦難と戦い、乗り越えていくための本源の力です。「すこしも・をどろく事なかれ」との仰せを拝して、大聖人の妙法に対する大確信を心に刻みましょう。

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鬼神を呵責する大確信の御境涯

鬼神めらめ

 「鬼神めらめ」以降の拝読御文の仰せは、南条時光を苦しめる病魔に向かって、日蓮大聖人が厳しく叱責されている箇所です。

 この「鬼神」とは、人の生命をむしばみ奪う働きをするものの総称です。一般に鬼神とは、目に見えない超人的な威力や働きをもつもののことで、六道の一つである餓鬼道を「鬼」といい、天、竜、夜叉等の八部を「神」といいます。

 大聖人は「鬼神に二あり・一には善鬼・二には悪鬼なり、善鬼は法華経の怨を食す・悪鬼は法華経の行者を食す」(御書1246ページ)と示されています。

 仏法を護持し、国土を守るものを善鬼神といい、人の功徳、生命を奪い、病気を起こして、天変地災や思想の混乱等を起こすものを悪鬼神といいます。

 拝読御文は、鬼神が病によって時光を苦しませることは、自らを滅ぼすことになり、あらゆる仏の大怨敵となることなのだと強く戒められています。

 拝読御文の直後では、鬼神が善の働きを起こして、時光の病を治し守護する場合には、鬼神が餓鬼道の苦しみから免れられることを示されています。

 大聖人御自身、本抄執筆の前年から病と闘われていました。そして、病魔と闘う時光を励ますために、本抄を著す3日前に口述による書状を時光に送られ、さらに今度は大聖人自ら筆を執って本抄を認められたのです。

 しかも本抄には「法華経の行者 日蓮(花押)」と記されており、大聖人が末法の御本仏としての立場から、時光を苦しめる鬼神を叱咤されています。