辦殿尼御前御書

SEIKYO online (聖教新聞社):御書の解説

〈6月度 男子部「御書活動者会」研さんのために〉 辦殿尼御前御書 2017年5月27日

不退の信心を貫け! 
魔を寄せ付けない満々たる生命力を
雄大な北アルプスをかなたに望む。青年期の鍛錬が“不動の信心”の骨格に(長野県・白馬村)=長野支局・森田昭治通信員 

 6月度の男子部「御書活動者会(御書活)」では、「辦殿尼御前御書」を研さん。不退の信心を貫くための要件を学ぶ。

御文

 第六天の魔王・十軍のいくさを・をこして・法華経の行者と生死海の海中にして同居穢土を・とられじ・うばはんと・あらそう、日蓮其の身にあひあたりて大兵を・をこして二十余年なり、日蓮一度もしりぞく心なし(御書1224ページ)

通解

 第六天の魔王は、十種の魔の軍勢を用いて戦を起こし、法華経の行者を相手に、生死の苦しみの海の中で、凡夫と聖者が共に住んでいるこの娑婆世界を「取られまい」「奪おう」と争っている。日蓮は、その第六天の魔王と戦う身に当たって、大きな戦を起こして、二十数年になる。その間、日蓮は一度も退く心はない。

背景と大意

 本抄は、日蓮大聖人が佐渡流罪中の文永10年(1273年)9月、一谷で認められ、弟子の辦殿(日昭)と、辦殿と関わりがある尼御前に与えられたお手紙である。
 大聖人は、建長5年(1253年)の立宗から「二十余年」、「法華経の行者」として、現実の娑婆世界を舞台に、「第六天の魔王」と熾烈な闘争を繰り広げてきたことを述べ、「日蓮一度もしりぞく心なし」と断言されている。
 そして、大聖人の佐渡流罪の際、多くの門下が迫害を受けて退転する中、勇敢に信心を貫き通した尼御前の不退転の信心を、「いままで・しりぞかせ給わぬ事申すばかりなし」(御書1224ページ)と称賛されている。

解説

 第六天の魔王とは、人々の成仏を妨げる魔の働きの根源であり、その正体は、仏性を信じ切ることのできない根本的な生命の迷い――すなわち、「元品の無明」である。
 仏法では、現実社会は第六天の魔王が支配する国土で、人々は「生老病死の苦しみ」を繰り返し続けると説かれている。抜け出すことのできない苦悩に翻弄される現実世界を、大聖人は「生死海」という大海に例えられている
 ゆえに、「法華経の行者」が現実社会を仏国土に変えようと立ち上がると、第六天の魔王は、それを阻止すべく、魔軍を率いて襲い掛かってくる。十界の衆生が住む「同居穢土」(現実世界)を「とられじ・うばはん」と争う「仏と魔」の戦い。それは、私たちの心の中でも、瞬間瞬間に激しく繰り広げられている。
 第六天の魔王が率いる「十軍」とは何か。
 それは、生命に巣くう10の煩悩を、次々と襲い掛かる軍勢に例えたものである。具体的には、①欲②憂愁(憂い、悲しみ)③飢渇(飢え、渇き)④渇愛(五欲への愛着)⑤睡眠⑥怖畏(恐れ、臆病)⑦疑悔(疑いや後悔)⑧瞋恚(怒り)⑨利養虚称(財をむさぼり、評判・名誉を求める)⑩自高蔑人(他人を見下す)のこと。ゆえに、「十軍」との戦いとは、「己心の魔」との闘争に他ならない。
 では、どうすれば魔の軍勢に勝てるのか。
 その第1は、たゆみなき唱題の実践である。御聖訓に「元品の無明を対治する利剣は信の一字なり」(同751ページ)とある。「以信代慧」、すなわち妙法への強固な「信」が、偉大な智慧を生み、魔軍を打ち破る剣となる。
 魔を破る第2の要件は「信念を貫き、戦い続けること」だ。大聖人は、第六天の魔王という根源的な魔性に立ち向かっていく断固たる挑戦を「大兵を・をこして二十余年」と仰せになった。
 大聖人は、幾多の大難にあっても、一歩も引かずに正義を叫び続けられた。この「戦い続ける魂」こそ、魔に打ち勝つ要諦である。
 池田先生は語っている。
 「成仏の道を歩もうとする心を破壊すること、これが魔の狙いです。ゆえに、最後まで信心を貫き、前進する心を固く持ち続ける人には、決して魔がつけいる隙がない。魔を寄せ付けない『強き心』を鍛え上げることこそが、真実の信心です
 私たち男子部は、いかなる悩みや試練に直面しても、強く祈り、勇んで学会活動に奔走していきたい。
 政治、経済、教育、文化――私たちの社会自体も、その底流に流れる人間の生命の魔性を打破しなければ、真の平和も、全ての人々の幸福も確立することはできない。社会の精神土壌を根底から変革し、民衆が喜び栄える仏国土を築くことが、広宣流布である。
 ゆえに、きょうも、人間の中へ! 不退の信心を貫き、地域・社会を繁栄と安穏へ導く「勇気の対話」を広げていきたい。