我身命を愛せず但だ無上道を惜しむ

我身命を愛せず但だ無上道を惜しむ
 妙法蓮華経の第十三番目の勧持品(かんじほん)の一説です。
無上道(むじょうどう)とは、お釈迦様が魂をこめられた最上の教えのことであり、それを実践していくことです。
そして、それを実践し、弘めていくためであるならば、自分の身命(しんみょう)も惜しまないということです。
たったひとつしか無い命であるから何が何でも命懸け、ということではなしに、無上道を惜しむが故に身命を惜しまないということが大切です。

 日蓮聖人は「いのちと申すものは一切の財(たから)の中に第一の財なり」(事理供養御書)「命と申すものは一身第一の珍宝(ちんぼう)なり」(可延定業鈔)と命の尊さを説かれています。
尊い命であるがゆえにつまらない事に命を捨ててしまったり、その一生を費やしてしまったりしてはいけないのです。
この勧持品には法華経を弘めるものは、様々な災難にあうことが説かれています。
日蓮聖人も法華経を弘めるため、大難四ケ度(だいなんしかど)、小難数知(しょうなんかずし)れずといわれる程法難にあわれましたが、むやみに命を捨てようとはせず、どんな災難にも耐えて、その一生を法華経弘通に捧げられました。
身命を愛さずというのは簡単に命を捨てることではなく、私利私欲にとらわれずに命の尊さを知り、その命を最大限有効に使うことです。

 f:id:sumo7:20170612100825j:plain

 < 松野殿御返事(十四誹謗抄) 第八章 在家の在り方と臨終の様相
松野殿御返事(十四誹謗抄) 第六章 雪山童子と不惜身命の求法 >

11月8
松野殿御返事(十四誹謗抄) 第七章 法師の死身弘法を説く

巻1386
  松野殿御返事(十四誹謗抄) 

06   とても此の身は徒に山野の土と成るべし・惜みても何かせん惜むとも惜みとぐべからず・人久しといえども百年
07 には過ず・其の間の事は但一睡の夢ぞかし、 受けがたき人身を得て適ま出家せる者も・仏法を学し謗法の者を責め
08 ずして徒らに遊戯雑談のみして明し暮さん者は 法師の皮を著たる畜生なり、 法師の名を借りて世を渡り身を養う
09 といへども法師となる義は一もなし・ 法師と云う名字をぬすめる盗人なり、恥づべし恐るべし、 迹門には「我身
10 命を愛せず但だ無上道を惜しむ」ととき・ 本門には「自ら身命を惜まず」ととき・涅槃経には「身は軽く法は重し
11 身を死して法を弘む」と見えたり、 本迹両門・涅槃経共に身命を捨てて法を弘むべしと見えたり、 此等の禁を背
12 く重罪は目には見えざれども積りて地獄に堕つる事・ 譬ば寒熱の姿形もなく 眼には見えざれども、 冬は寒来り
13 て草木・人畜をせめ夏は熱来りて人畜を熱悩せしむるが如くなるべし。

 どんなことをしてもこの身は空しく山野の土となってしまう。惜しんでもどうしようもない。どんなに惜しんでも惜しみ遂げることはできない。人はいくら長く生きたとしても、百年を過ぎることはない。その間のことは但だ一睡の夢である。受けがたい人身を得て、たまたま出家した者でも、仏法を学び謗法の者を責めないで、いたずらに遊び戯れて雑談のみに明かし暮す者は、法師の皮を著た畜生である。法師という名を借りて、世を渡り、身を養っていても、法師としての意義はなに一つない。法師という名字を盗んだ盗人である。恥ずべきことであり、恐るべきことである。法華経迹門の勧持品第十三に「我身命を愛せず但だ無上の道を惜しむ」と説き、本門の如来寿量品第十六には「自ら身命を惜まず」と説かれ、涅槃経には「身は軽く法は重し、身を死して法を弘むべきである」と説かれている。法華経の本迹両門も涅槃経もともに身命を捨てて法を弘むべきであると説かれている。これらの禁に背く重罪は目には見えないけれども、積もって地獄に堕ちる事は、譬えば、寒さ熱さの姿形もなく、眼には見えないけれども、冬には寒さがやってきて、草木や人畜をせめ、夏には熱さがやってきて人畜を熱さで悩ませるようなものである。

 短い一生を、仏法のために尽くすべきであると、不自惜身命の実践を強調されたこころである。とくに、現実の法師の堕落ぶりを弾呵し、法師は、自分の使命としての、不自惜身命・死身弘法につとめるべきであると、経文を引かれている。そして、この禁めに背く時には、必ず冥罰があると、自然の摂理を例として、説かれている。
法師の皮を著たる畜生なり
 受けがたき人身を得て、たまたま出家した者で、仏法を学び謗法の者を責めないで、いたずらに遊戯雑談のみに明かし暮らしているならば、その人は「法師の皮を著た畜生」であるということである。
 法師とは仏法によく通じ、真実の教法によって、教え導く僧のことである。また、行を修めて、常に法を説き、世の軌範となり、衆生を導く僧侶のことをいうのである。広く解釈すれば、現代の世間においては多くの人々を導く指導的階層も法師にあたると考えられる。
 御義口伝には「法とは諸法なり師とは諸法が直ちに師と成るなり森羅三千の諸法が直ちに師と成り弟子となるべきなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は法師の中の大法師なり」(0736―第一法師の事)とある。
 一念三千の生命観から見るとき、いっさいのものは、妙法の当体であり、妙法の働きであるから、法師である。まして、大御本尊を護持し、広宣流布の仏意を実践していく者は、社会の真の指導者であり、法師といえるのである。
 しかし、外見は仏法を行ずる法師の姿をしていても折伏教化を忘れ、遊戯雑談に日を送るようなら、中身は畜生同然であると仰せである。末法には、このような法師が充満しているのである。
 大聖人は「末世には狗犬の僧尼は恒沙の如しと仏は説かせ給いて候なり、文の意は末世の僧・比丘尼は名聞名利に著し上には袈裟衣を著たれば形は僧・比丘尼に似たれども内心には邪見の剣を提げて」(1381-08)と本抄の初めに指導されている。
 また、現代の指導者についても「法師の皮を著たる畜生」に相当する者が多いように思われる。
我身命を惜まず
 法華経勧持品第十三に次のように説かれている。
 「濁劫悪世の中には、多く諸の恐怖有らん。悪鬼其の身に入りて、我を罵詈毀辱せん。我等仏を敬信して当に忍辱の鎧を著るべし。是の経を説からんが為の故に、此の諸の難事を忍ばん。我身命を愛せず、但無上道を惜しむ」と。当時の大聖人一門はこの経文を、実感として受けとられたに違いない。
 本抄を著された建治2年(1276)といえば、滝泉寺の院主代行智が、日興上人門下に迫害を加え、日秀、日弁、日禅が追放にあったときである。行智は、日秀、日弁、日禅、頼円に向かって、法華経の信仰を止めて、念仏を称えるべきであると、迫ってきたのである。行智は生道心の不徳の僧であるにもかかわらず、北条一門の庶流で、幕府を背景に滝泉寺の院主代になった者である。
 滝泉寺の一帯は、北条家の所領であった。そのため下方政所が領地を統括していた。そこで行智は、代官をも味方に引き入れたわけである。
 こうした背景のもとに、行智は、日秀等の主だった四人に、再改宗を迫り、もしできなければ、寺家を追放すると、圧力をかけたわけである。
 四人のうち、三河房頼円は、信心弱くして、謝る証文を書き、寺内安堵を願った。頼円は、日頃、大聖人がいわれている教訓を、いざという時にいかしきれなかったわけである。だが少輔房日禅は、退転することなく、このような仏法末熟の悪者と交渉するのは無用であると、早速に坊舎を開け渡して河合へ引き揚げた。日秀と日弁は、前師から譲られた坊でいるのであるから、院主代とは関係がないと、いって坊に止まったのである。
 日蓮大聖人は、仏の言葉を借りて「我身命を愛せず但無上道を惜しむ」と述べている。この経文の鏡には、実際に命がけで仏道修行して、無常道を守りぬく至信の活動が映し出されている。日興上人を中心とする弟子方は、さまざまな弾圧にあいながら、大聖人の御金言を命がけで実行したのである。このことは、未来永劫に残る信心の鏡なのである。
自ら身命を惜まず
 法華経如来寿量品第十六に「一心に仏を見たてまつらんと欲して、自ら身命を惜しまず」とある。日寛上人は依義判文抄に「寿量品に云く『一心に仏を見んと欲して自ら身命を惜しまず、時に我及び衆僧倶に霊鷲山に出ず』云云、此の文に三大秘法分明なり、所謂初めの二句は本門の題目なり…初めの二句の中に一心欲見仏とは即ち是れ信心なり、不惜身命とは即ち是れ唱題修行なり此に自行化他有り倶に是れ唱題なり」と述べられている。すなわち、この文は、三大秘法の依文であり、同時に大聖人の仏法を実践する根幹は、実に一心欲見仏・不自惜身命の信心唱題にあることを示すものである。
本迹両門・涅槃経共に身命を捨てて法を弘むべしと見えたり
 この御文の本迹両門・涅槃経共に身命を捨てて法を弘むべきであるという御文は、法華経勧持品第十三の「我身命を愛せず、但だ無上道を惜しむ」、法華経如来寿量品第十六の「一心に仏を見たてまつらんと浴して、自ら身命を惜しまず」涅槃経の「身は軽く法は重し身を死して法を弘む」とあることをさしている。日興上人は遺誡置文の中で「未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致す可き事」(1618-06)と仰せになっている。とくに、末法における法華経の弘通には、大難が伴うことは必定であり、身命を惜しまぬ覚悟がなくては、信心を全うすることができないのである。これらの経文は、大聖人にとっては、御身の上のことであり、現実のものであったことを深く感じなければならない。