世界広布新時代第32回本部幹部会 北海道総会から(要旨) 活動体験 札幌牧口総県 村田宏治 総県男子部主任部長 2018年4月3日

世界広布新時代第32回本部幹部会 北海道総会から(要旨) 活動体験 札幌牧口総県 村田宏治 総県男子部主任部長 2018年4月3日

創業134年の果樹園が盛況 不屈の心で人生勝利の春を
 

 一、私は道内屈指の果物の産地・余市郡仁木町で果樹園を営んでいます。
 わが「村田果樹園」は、開拓が始まってすぐの1884年(明治17年)の創業で、私が6代目。3ヘクタールの農地では、イチゴ、サクランボ、ブドウ、リンゴ、ナシ、プルーン、ブルーベリーなど、春から秋まで、さまざまな果物が実ります。
 この果樹園を継ぐことを決めたのは、今から4年前のことでした。
 一、1996年に高校を卒業した私は、都会の暮らしに憧れ、実家を離れて専門学校に進学。卒業後は札幌市内の企業に就職し、実家に帰る気は全くありませんでした。
 今が楽しければそれでいいと、仕事が終われば友人の家にたむろし、繁華街で朝まで飲み歩く日々。生活は乱れ、勤務態度もいいかげんで、上司から叱られることも、しばしばでした。
 そんな暮らしが3年も続き、さすがに将来への不安を抱き始めた頃、友人からドライブに誘われました。「ちょっと、ここに寄ろう」と言われた建物の看板には、「創価学会北海道文化会館」と書いてありました。
 その日以来、「宗教なんて関係ない」と反発する私を、友人は何度も会合に誘ってくれました。その熱心さに心を打たれ、自堕落な生活を変えられるのならと入会を決意。2003年、25歳の時に御本尊を受持することができました(拍手)。
 始めたからには、とことんやってみようと腹を決め、勧められるままに創価班大学校にも入校しました。
 実は当時、学会に入会したことを家族に打ち明けられないままでした。年末に帰省した時、思い切って話すと、だんらん中の家族全員が凍りつきました。偶然、居間のテレビからは「創価学会」とCMが流れ始めました(笑い)。せきを切ったように父も母も猛反対。私は“御書で学んだ通りだ。まずは両親に理解してもらえる自分に成長しよう”と深く決意しました。
 自身の成長を懸け、折伏にも全力で挑戦しました。しかし、何十人に当たっても対話が実ることはありませんでした。
 大学校の卒団を目前に控えたある夜、題目をあげていると突然、大阪で就職していた妹から電話があり、泣きながら悩みを打ち明けられました。
 男子部の先輩に話すと、すぐに会いに行くべきだと、飛行機で一緒に大阪まで付いてきてくれました。真心が通じ、妹は入会を決意。初めての御本尊流布をすることができました(拍手)。
 一、職場でも徐々に信頼を取り戻し、数年後には、あらゆる部署から引き抜きを受けるまでに。特別表彰も3回、頂きました。
 男子部でも札幌白石総区で、部長から総区男子部長まで務め、北海道で模範となる弘教の戦いができました。
 13年には、女子部だった妻と結婚。信心でこんなにも人生が充実するのかと、感謝の日々を過ごしていました。
 そんな矢先、妹が事故に遭ったとの連絡がありました。5日間の意識不明の後、奇跡的に命は取り留めましたが、脳には重い障がいが残りました。
 さらに半年後、今度は父が不調を訴えました。医師の診断は、パーキンソン病。農業を続けることは困難になりました。
 “歴史ある果樹園が、このままでは、なくなってしまう”。実家に戻るべきか悩みに悩みました。ありのままを妻に打ち明けると「自分の信じた道を歩むべき」と背中を押してくれ、親孝行する時は今しかないと果樹園を継ぐことを決意しました。
 一、子どもの頃から身近に接してきた果樹栽培ですが、見るのと、やるのとでは大違い。厳しい重労働に、体は悲鳴を上げました。しかも果樹は繊細で、樹木の剪定一つをとっても、少しの違いで果物の品質も収穫量も大きく変わってしまいます。
 父から厳しい薫陶を受けながら、地域の農家の方にも教えを請い、さらには専門書を読みあさり、懸命に技術を身に付けていきました。
 ようやく仕事に慣れ始めた一昨年、大型台風が果樹園を襲いました。
 手間暇かけた果物が一夜にして無残な姿になっているのを見て、自然の厳しさを痛感しました。しかし、こんな時こそ、信心で立ち上がろうと題目をあげにあげ、いっそう丹精込めて作物の栽培に取り組みました。
 妻も、札幌でのデパート勤務の経験を生かし、果樹園に併設している直売所を担当。店内を明るく変え、ワンコインの果物詰め放題企画を始めるなど販売にも工夫を重ねました。
 こうした夫婦二人三脚の努力が実を結び、昨年は順調に収穫が進みました。果樹園もテレビや雑誌で取り上げられ、果物狩りは連日、多くのお客さまでにぎわい、売り上げも2倍になりました(拍手)。
 農業の後継者不足が叫ばれる中、近所の方々も「若い夫婦が来てから活気が出たね。こんなにも変わるんだね」と喜んでくださっています。
 一、わが家の宿命転換も進みました。社会復帰は無理と言われていた妹が、医師も驚くほど回復。地元の企業で働けるまでになりました。
 父も体に合った薬が見つかり、思いの外、病状も進行せず、今も一緒に畑に出ています。
 昨年12月には、待望の長女も誕生。数々の実証に感動した母は、本年2月に入会することができました(拍手)。
 「3・11」の世界青年部総会には妹も参加。その日の夜には、父と祖母も含め、初めて家族全員で勤行することができました。
 組織では、今年1月に発足した男子部大学校の総県事務局長に任命されました。この冬は豪雪に見舞われましたが、先輩への恩返しの思いで、港町から山奥まで21市町村に点在する64人を一人一人、激励に歩いています。
 仕事では冬の間、最も大切な、果樹の剪定に取り組みました。人と同じように、同じ果樹でも、元気な木、弱っている木と個性はさまざまです。だからこそ、木と真剣に向き合い、一本一本に題目を染み込ませました。
 いよいよ北海道の長い冬が明けます。家族と共に、大切な大学校生と共に、どこまでも励まし合い、必ずや勝利の花を咲かせていく決意です(拍手)。