三重秘伝

三重秘伝

 六巻抄と日寛上人について少々述べて見ましたが、その際 「三重秘伝抄」 については、日蓮仏法の奥義が説かれた書ですので、久しぶりに手に取ってみました。 
  
 『三重秘伝抄』 は、日寛上人が 「開目抄」 を講義なされたとき、“文底秘沈” の句に至って、其の義甚だ深く、其の意は難解であると観じられた。故に、此の文を三段に分け、その義を十種の法門に開いて講義なされ、後継の弟子に仏法の奥義を教えられたのである。 
 「此れは是れ偏(ひとえ)に法をして久住せしめんが為なり、末弟等深く吾が意を察せよ云云」(六巻抄・3P) と述べられ、日寛上人が三大秘法の広宣流布の大願を期せられて著した重書である。 

 その 『開目抄』 の文は、「一念三千の法門は但法華経の本門・寿量品の文の底にしづめたり、竜樹・天親・知つてしかも・いまだ・ひろいいださず但我が天台智者のみこれをいだ(懐)けり」(189P) という御文です。 
  
 御書の文中で、二行ばかりの短い語句でありますが、日蓮仏法にとって甚深の意義を明かした、重要な御金言であります。 
 日寛上人は、この 「文」 を “標・釈・結” の三段に分ち、甚深の 「義」 を “十門” に開いて詳釈なされ、文底に秘し沈められた大法を明かされて、末法流布の大白法であることを示されました。 

 「標」 とは、標題ということで 「一念三千の法門は」 のところになります。要するに、この御文では一念三千の法門がテーマになっている分けです。 
 「釈」 とは、解釈ということで 「但法華経の本門・寿量品の文の底にしづめたり」 のところです。一念三千の法門を、どのような角度から論ずるのか、ということです。 
 「結」 とは、結論ということで 「竜樹・天親・知つてしかも・いまだ・ひろいいださず但我が天台智者のみこれをいだけり」 までの部分です。一念三千という標題を、解釈していって、そこから導き出される結論ということです。 

 この御文の 「釈」 の部分を解釈すると、そこには三つの意味が含まれている。 
 「釈の文に三意を含む、初めは権実相対・所謂 『但法華経』 の四字是なり、次は本迹相対・所謂 『本門寿量品』 の五字是なり。三は種脱相対・所謂 『文底秘沈』 の四字是なり。是れ即ち従浅至深して次第に之を判ず。 
 ……… 
 応(まさ)に知るべし、但法華経の但の字は是れ一字なりと雖(いえど)も、意は三段に冠(こう)むるなり。謂(いわ)く、一念三千の法門は一代諸経の中には但法華経法華経の中には但本門寿量品、本門寿量品の中には但文底秘沈と云云。故に三種の相対は文に在りて分明なり」(六巻抄・12P)
 


 はじめに 「但法華経」 とありますが、何に対して 「但法華経」 なのかといえば、爾前・権経であり、法華経との比較相対でありますから、“権実相対” になります。 
 次に、「本門寿量品の五字是なり」 ですが、これにも 「但」 の字がかかってきます。「但本門寿量品」 と読めば、法華経の中の迹門に対して、「但本門寿量品」 でありますから、これは “本迹相対” になります。 
 さらに深く見れば、「文の底にしづめたり」 となります。これは寿量品の文上に対して、「但文の底」 という分けですから、“種脱相対” になります。 
 この 「但」 の字は、一字でありますが 「但・法華経」 「但・本門寿量品」 「但・文の底」 というように、三段階にかかってきます。このように、三重に亘って 「一念三千の秘法」 を解釈していますので、“三重秘伝” というのであります。 

 「結」 の部分は、「結とは是れ正像未弘を結す意は末法流布を顕わすなり、亦二意あり、初めに正法未弘を挙げ通じて三種を結し、次に像法在懐を挙げ別して第三を結するなり」(六巻抄・12P) と仰せです。 

 種脱相対して明かされた 「一念三千の法門」 は、正法・像法時代には未だ弘まらなかった、というのが結論である。しかし、その心は末法広宣流布することを顕わしている。 
 この “権実相対” “本迹相対” “種脱相対” の三つ相対はともに、正法時代には竜樹・天親さえも弘めていない。ゆえに 「正報未弘」 である。 
 像法時代、天台大師は本迹相対までは宣(の)べたが、種脱相対は、知っていたけれど懐(ふところ)にしまったままで、宣べなかった。ゆえに 「像法在懐」 という。 
 では、“種脱相対” はどうなのかと言えば、それは末法に、日蓮大聖人によって流布される 「未曽有の大白法」 であるというのが、「開目抄」 の御文から読み取れる結論なのであります。 

 この三種の相対は、「一には爾前は当分・迹門は跨節(かせつ)なり是れ権実相対にして第一の法門なり、二には迹門は当分・本門は跨節なり是れ本迹相対にして第二の法門なり、三には脱益は当分・下種は跨節なり是れ種脱相対にして第三の法門なり、此れ即ち宗祖出世の本意なり故に日蓮が法門と云うなり、今一念三千の法門は但文底秘沈と云う意此にあり」(六巻抄・13P) と仰せです。 (跨節…節を跨ぐ、更に深く一重立ち入った立場)

 以上のことを、図示すれば次のようになります。 

    ……… 一念三千の法門

    ……… 但法華経 …………… 権実相対(第一法門)
       但本門寿量品 ……… 本迹相対(第二法門)
       但文底秘沈 ………… 種脱相対(第三法門)

    ……… 正報未弘(竜樹・天親) …… 通じて三種を結し
       像法在懐(天台大師) …… 別して第三を結す …… 末法流布を顕わす   

 日蓮大聖人は、「開目抄」 で示された、権実相対を第一法門、本迹相対を第二法門、種脱相対を第三法門と名づけられ、此の 「第三法門の種脱相対」 にこそ “出世の本意” があり、故に “文底独一本門”・“日蓮が法門” と仰せられています。