小説「新・人間革命」第30巻〈下〉のあらすじ 2018年11月29日

小説「新・人間革命」第30巻〈下〉のあらすじ 2018年11月29日

創価三代の師弟の魂を青年たちに
誓願」の章から(内田健一郎画)

 小説『新・人間革命』の最終巻となる、第30巻の下巻(単行本)が、創立の日「11・18」を記念して、きょう発売される。ここでは、各章のあらすじを紹介する(1~29巻の要旨は、創価学会の公式ホームページ「SOKAnet」の「会員サポート」の「小説人間革命 関連データ」に掲載)。

「暁鐘」の章(後半)

 1981年(昭和56年)6月16日、山本伸一の平和旅は、フランスからアメリカへ。ニューヨークでは、メンバーと徹底して会い、地涌の使命に生きる創価学会の確信と誇りを語る。20日、青春時代からの座右の書『草の葉』の著者ホイットマンの生家を訪ね、生涯、人々に励ましと希望と勇気を送る詩を書き続けようと決意する。この日、ニューヨーク市内での日米親善交歓会の席上、伸一がアメリカに到着後、寸暇を惜しんで作った詩「我が愛するアメリカの地涌の若人に贈る」が発表される。詩には、妙法を護持したアメリカの青年たちの使命が示されていた。
 続いてカナダのトロントへ。21年前、伸一たち一行を迎えた未入会の婦人テルコ・イズミヤは、同国の議長となり、カナダ広布20周年記念総会には約1000人の同志が参加。伸一は、一人立つことの大切さを訴える。
 米・シカゴでは、世界広布新章節の開幕を告げる第1回世界平和文化祭が開催される。ロサンゼルスに到着した7月1日、世界芸術文化アカデミーは、伸一に「桂冠詩人」の称号授与を決定する。ソ連、欧州、北米8カ国を歴訪した彼は、8日に帰国。間断なき激闘によって、世界広布の朝を開く新章節の旭日が昇り始め、“凱歌の時代”の暁鐘は、高らかに鳴り渡った。

勝ち鬨」の章

 7月、伸一は結成30周年記念の青年部総会や南米男子部総会に激励の言葉を贈る。18日、会長の十条潔が急逝し、第5代会長に秋月英介が就任。伸一は、これまでにも増して力の限り応援していこうと、強く心に誓う。
 宗門事件で苦しめられてきた地域を回り、同志の奮闘をたたえようと、11月9日、徳島講堂落成記念勤行会へ。四国研修道場での「香川の日」記念幹部会では「もう一度、指揮を執らせていただきます!」と宣言。四国男子部の要請を受け、新愛唱歌に筆を入れる。推敲は二十数回にも及び、完成した「紅の歌」は、青年の魂の歌として全国で歌われていくことになる。
 12月8日、13年半ぶりに大分を訪問。正信会を名乗る“邪信”の若手僧らによって、非道な仕打ちを受けてきた大分の同志を励ます。10日夜、県青年部幹部会の席上、「青年よ 21世紀の広布の山を登れ」が発表される。伸一が口述し、直前まで推敲を重ねた21世紀への新たな指針が、大分の地から全国に発信される。
 彼は、熊本に移動する際には、岡城址で、悪僧の仕打ちと戦ってきた竹田の同志を激励。皆とカメラに納まり、「荒城の月」を大合唱する。熊本では、阿蘇の白菊講堂を初訪問し、熊本文化会館での県幹部会などに出席。15日には、自由勤行会に参加した友と、会館近くの公園で記念撮影し、「田原坂」を高らかに合唱。歓喜の万歳が広がる。
 翌82年(同57年)1月10日、雪の秋田へ。秋田の同志も僧たちから激しい迫害を受けてきた。伸一は、秋田文化会館に向かう道路脇に立つ同志の姿を見るたび、車を降りて足を運び、声を掛けた。秋田でも、自由勤行会を開催。雪の降りしきる中、会館前の公園に記念撮影のために集った同志は、伸一と共に、「人間革命の歌」を熱唱し、民衆勝利の宣言ともいうべき勝ち鬨を上げる。
 2月には、学会攻撃の烈風が吹き荒れた茨城を訪問。茨城文化会館落成記念の幹部会等に出席したほか、日立、鹿島、鉾田、土浦を訪れ、同志への激励を重ねる。

誓願」の章

 3月22日、第1回関西青年平和文化祭が開催され、青年たちは、困難に挑み戦う学会精神を学び、不撓不屈の“関西魂”を継承していった。平和文化祭は、中部、さらには全国各地で行われていくことになる。
 6月には、国連本部で「現代世界の核の脅威」展を開催するなど、本格的な平和運動が展開されていく。83年(同58年)8月、国連は、伸一の平和への貢献をたたえ、「国連平和賞」を贈る。彼は仏法の平和思想、人間主義の思想で世界を結び、平和への流れを開こうと、ソ連ゴルバチョフ大統領やアフリカ民族会議マンデラ副議長をはじめ、世界の指導者らと対話を進める。
 学会は一貫して宗門の外護に努めてきたが、日顕ら宗門は伸一と会員を離間し、学会を破壊しようとする陰謀を実行に移す。彼らは、伸一がベートーベンの「第九」をドイツ語でも歌おうと提案したこと等を、外道礼讃、謗法と言いだした。そして90年(平成2年)12月末、宗規改正を理由に、伸一や学会首脳幹部らの法華講総講頭・大講頭の資格を剥奪する。さらに、学会の組織を切り崩そうと、「檀徒づくり」を公式方針として打ち出し、「破和合僧」の大重罪を犯す。また、信徒を蔑視して僧俗の平等を否定。教条主義権威主義を露骨にし、日蓮大聖人の仏法の教義と精神から大きく逸脱していった。
 学会は大聖人の精神を復興させ、人間のための宗教改革を断行。宗門は91年(同3年)11月28日付で、学会本部に「創価学会破門通告書」を送った。その日は、広宣流布の前進を妨げ、“日顕宗”と化した宗門からの“魂の独立記念日”となった。
 “破門通告書”が学会本部に届いた29日、東京に大使館を置くアフリカ外交団26カ国の総意として、SGI会長の伸一に「教育・文化・人道貢献賞」が贈られた。それは、「魂の独立」を果たした創価の未来に寄せる喝采と期待でもあった。翌30日、「創価ルネサンス大勝利記念幹部会」が各地で行われ、伸一と共に、創価の新しき前進が始まった。
 時代は東西冷戦の終結へと向かい、12月、東側陣営を率いてきたソ連が崩壊。伸一は、92年(同4年)、冷戦終結後の新たな平和構築を展望し、アジア、欧州等を訪問。翌93年(同5年)、北・南米を回り、アメリカでは“人権の母”ローザ・パークスと会見し、ブラジルでは、ブラジル文学アカデミーアタイデ総裁らと対談する。また、アルゼンチン、パラグアイを初めて訪れ、チリで世界50カ国・地域目の訪問となった。95年(同7年)にはネパール、96年(同8年)にはキューバを訪問し、フィデル・カストロ国家評議会議長と会談する。伸一は、恒久平和と人類の幸福を目指し、“分断”を“結合”に変えるために、2000年(同12年)12月まで世界への平和旅を続けた。
 晴れやかに開幕した21世紀。01年(同13年)5月3日、待望のアメリ創価大学が開学。一方、9月にアメリカ同時多発テロ事件が起こる。伸一は、今こそ平和と対話への大世論を起こすべきと主張。
 11月、創立記念日を祝賀し、青年部結成50周年記念の意義を込めた本部幹部会で、青年たちに後継のバトンを託す思いで、「創価三代の師弟の魂」を受け継いでもらいたいと訴える。学会は新世紀の「第2の七つの鐘」へ、地涌の大前進を開始していく。